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ほんとうに生きる・スティーブンスは銭湯に入るか?

京都という街には、「生きていれば、おっけー」という雰囲気がある。それが不思議と心地がよい。

京都に久々に行った時の話の続き。もう一つ自分にとってはじわりと心に染みたものがありました。そして年末年始とカズオイシグロの作品を読んでいて、それらの記憶と思考が重なったことがこの文章のきっかけです。

京都駅から少し鴨川方面に向かい離れていく途中に立つ銭湯。「梅湯」。日帰りのあまりにも短い京都訪問。一日の緊張をほぐしに暖簾をくぐる。東京の銭湯とはまた違う雰囲気がある。東京の銭湯は、もちろん一様にいうことはできないのだけれど、最近の小杉湯さんの記事を借りればハレとケの「ケの中のハレ」という点で、生活の中にある銭湯、週に幾らかの時間を、お風呂に入るということを外でする、という風習とともにあります。江戸時代に始まり、富士の絵が飾られる、東京は下町を中心に広がった公衆浴場という位置付けがやはり強かったと思われます。風呂なしの部屋に住む人は、いつも銭湯に通って、大体同じ時間に通うので、大体顔を合わせるようになる。僕も週それくらい通うので、大体同じ顔ぶれになっていく。

もちろん京都の銭湯は数えるほどしか行っていないので、何ともわからないのですが、感じた雰囲気としては、例えば、梅の湯は生活の先の生きることの延長線上にあるように思われたのです。どういうことか、具体的には、これも友人の言葉からの推測でしかないのですが、京都大学の吉田寮が例だと思うのですが、文化と生きることが密接に関わっている場所、それが京都にある雰囲気や生活のスタイルなのだと感じました。稼いで、家族を養って、という東京的な「生活」が東京の銭湯にはある。しかし京都の銭湯には、そこで「生きること」そのものが銭湯にも現れていたように感じられたのです。

なんでそのように感じるのだろう。と考えながら湯に使っていたわけですが、ふと目に入った、銭湯で働いている人たちが自分たちで書いているA4サイズの通信を読んで分かりました。ここの人たちが、より生活よりも、生きることに対して心を割いているのだ、ということが分かったからです。一つの紙をざっくりと手で6分割ほどにして、手書きでそれぞれの領域にその時に思っていることを書く、それが本当に取り繕っている様子がまるでなくて、自分が生きているその線的な日常を描いているのに、新鮮な驚きを得ました。今何をしたくて、今どんな気持ちなのか、ということが赤裸々とはまさにこのことよ、という温度で紡がれていたのです。

東京の銭湯でも、運営者が通信を出すことは少なくありません。しかし梅の湯ほどに、生きるを曝け出している人たちはいなかったように思うのです。例えば梅の湯の通信で心に残ったのは、自分の持ち分のところに「ハッピー・イエーイ」とひたすら激しく持ち分の欄いっぱいに躍動した文字が繰り返されている記事については、もう笑うしかありませんでした。こっちまで「ハッピー・イエーイ」になるしかないじゃないですか。あまりにあっけらかんとしていて、取り繕うことなく、自分の書きたいことやむき出しの心情が出ていて、これは手書きだからこそだなあ、と思い編集者の腕を評価するしかないと思います。これは東京ではみることが出来ない。

カズオイシグロの「日の名残」という小説では「品格とは何か」「偉大なる執事の条件とは何か」を内省し追い求めつ透けてきたベテラン執事である主人公のスティーブンスは以下のように「品格」とは?という質問に対して答えました。


結局のところ、公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないことに帰着するのではないかと存じます。
カズオイシグロ『日の名残』(p301)

通信の中の彼らは銭湯という場所において(だからこそでしょうか)すっぽんぽんでした。おそらくイギリス紳士のスティーブンスが銭湯に入ることはどの時代でもあり得なかったでしょう。人前で衣服を全て脱ぎ捨てた上で「うーい」なんて顔でカピバラ然とした顔で温もることはできないです。

京都という街は、「生きていれば、おっけー」という雰囲気がある。そこがどうにも魅力に感じられる。友人の言葉を思い出して、ふと京大の吉田寮の写真記録集を最近読んだのですが、同じ空気が流れていました。人と人が寄せ合って、その時その時の有機的な関わり合いの中で、生きていくことをしている景色。雑念としたカオスの中で、自分たちでその時々話し合って、寄り合っていく文化。京都の吉田寮のルールとしてそこに書いてあることの中で、とても良いと思ったのは、全員に関係する意思決定は、多数決ではなく、全会一致で決めるということでした。全ての人その、具体的な固有名詞であるあなたや私が、生きていることその権利を尊重されるのであれば、本来はそうあるべきというのは確かにそうだ。いつの間にか、意思決定のスピードこそが重視されるようになり、だんだんとその意思決定の中身が骨抜きにされてきたいうことはないだろうか。

翻って東京という街はどうか。もはや都市とも言えるかもしれない。非効率はシステムによって合理化される。合理化が上手な人たちほど、ビルの高いフロアに居着くことができる。逆なら追い出されていく。誰かの目に触れるものは、社会全てに発信するものとして、ある程度取り繕うことをするだろう。東京において、「生活」とは元来そういうところだった。地方から、親の期待を背負って、同世代を押し除けて先へ先へと進んできた生活がつい最近まであったし、まさにそれが今も続いているのだ。そして僕ももちろんその中に組み込まれている。非効率を効率的ものごとに変えるという仕事の一翼を僅かながら背負っているのだ。

僕はほんとうに生きていることが出来ているのだろうか。京都のこの銭湯のお湯に浸かりながら、もう一度思い直す。多分「生活」という面では、どうにかうまく生きているように見えると思う。他の人から見れば、上手に生活しているようにも思われる。それは「公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てない」ということをしてきたからでした。

上手に生きよう、正しく生きようという心が、どうしても現代人の僕らの心を宥め透かそうとする。一律に揃えてヨーイ・ドンの世界線の中で生きてきた僕たちだ。しかし社会に出てみて、どうやらそれは全てではないことが段々とわかってきた。あたりまえだ、生きることに正しさは存在しない。英国の権威的な屋敷に勤めたスティーブンスは、品格の真理を求めようとした。しかし、それには一つの答えがあるはずなどないのだ。答えに至ることへ向かうプロセスこそが、彼を品格に近づけるのである。

だからこそ、生きるとは、こういうことだったのか!!に至ることは難しいし、答えが出ないような、果てのない問いを自分の中で育てることこそが大事なのである。答えのある問題ばかり解いている場合じゃない。

スティーブンスは、物語の最後に、仕事に従事し続けた自分を振り返り、自分は「品格」に少しでも近付くことが出来た、と内省した上で、それによって、かけがえのないものを失ってしまい、それはもう失われてしまったことで、もう時は元に戻ることはない、ということに気づかされました。「日の名残」のスティーブンスはあまりにも正しく生きることをしてきて、人生の日の当たるところが、地平線に沈むのを眺めながら、喪失感に泣いたのです。彼はもしかしたら、僕のいく末なのかもしれない。正しさはそれゆえ幸福につながるわけはない。もしかしたら、幸せのようなものこそ、正しさというフィルターからは溢れてしまうのかもしれない、とすら思えてくるのでした。

新年が明け、東京銭湯の湯の中に浸かりながら、そのようなことを考える。
京都はただ生きることを許してくれる街でした。別に高尚な目的なんてなくても、仕事が終わった後の僕みたいに、何かについてなんでだろうと考えていることも許してくれる。東京で散文の世界を離れると、鼻で笑われてしまうような気がする。SNSだってそう。衣服に身を纏った僕を保つために、取り繕った投稿をすることになる。

浅瀬でチャプチャプと問いを問うことは心地が良い。深遠な問いに向き合うのは難しいし、しんどい。人生は長期戦だ、真っ向から生きる?とか死って?とか考えるのはしんどい。だから僕はとりあえずのところは、「イエーイ・ハッピー」程度に、現在地を照らしていくことこそが、その積み重ねがいつの間にか、振り返れば眩しい日々になっているのかもしれない。

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