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大工という生き方 vol.3

vol.2の続きだよ

https://note.com/haruga45/n/n548845b92f9a


初任給


初めて給料を手にした時の気持ちは今でも鮮明で。

好きなことでお金をもらえた。
過去の自分に、歩いてきた道にガッツポーズした。

好きなことで生きていくとか
好きなことで食っていくなんて
言いづらい世の中だけど

大きな声で叫びたいことがある。
大きな声で伝えたい人がいる。




旅の途中に出逢った仲間は

「好きなことを続けていたら、いつかやるべきことがみつかるよ」と言ってくれた。

中学高校のあの時に悩んで悩んだ答えは今小さくてもカタチになった。

親はアリとキリギリスのキリギリスだと思ってた。でも楽器を奏でながら冬を越した。

親への尊敬と感謝を込めて、初任給で酒を送った。

父の日も母の日も誕生日も、何もしたことなかったどころか連絡も滅多に取らなかったけど
今やっと素直に顔を合わせられる。

「俺、好きなことをやり続けたら、お金もらえたよ」

伝票の品目欄には「初任給」と書いたな笑

「仕事」の位置付けや価値観は人それぞれでいいけれど

仕事に限らず何もかも
いけるところまでいってみる、とことん好きなことしてみるって決めたから。


葛藤と、魂を売った親方



(こんなタイトルつけたくなかった)

そりゃその世界にはいれば、現実も知るわけで
蒙古斑だってそのうち消える。

夢を語る70を越えた親方。
新しい土地を買い設備を揃える。

志半ばの工場


でも、現実は、容赦なかった。

好きを貫いてこだわりを貫いた。
素人目からしても、経営はあまりにも杜撰だった。
(夢と現実、エゴ、商売、時代…)

破産申請すらできない生々しさ。

愛犬の猟犬が売られた。
道具が少しずつ減っていく。
車も減った。
家も追われた。

取引先の業者は未払いでその度相手が変わり
ついに誰も相手にしてくれなくなった。

病にも追われ、意識を失ってハシゴから落ちる、車ごと川に落ちる。

そして、、
魂が売られた、目も当てられない仕事。
あんなにこだわっていたのに…
弟子として泣き叫びたかった。
(それだけは守り抜けよ…)


弟子入り当時、
地域では名前を言えば伝わる親方だったが
だんだん借金取りに追われて、
後ろ指を刺されるようになる様。

弟子の自分にも借金取りの手は迫る。

そしてその日は訪れた。
いつか来るだろうのその日は、大雨の日だった。

払われなかった給料。
最後のお茶の時間は、お茶菓子もなかった。

その日を境に散り散りになった職人たち。

建築中に解散した時の御施主の顔…。
何年も完成しなかったあの家。
スーパーで御施主を見かけたら、逃げた自分。

毎日つかった機械はもう売られる。

70を越えた先輩はこの日、引退した。

この日、初めて親方に謝られたんだ

「一人前になるまで一緒におれなんで、ごめんな。お前みたいに友達がたくさんいれば、何をしてても食いっぱぐれることはない。けど、大工を続けてくれたら嬉しいなぁ。弟子を手放す手前そんなこと言えないんだけどなぁ」

弱音を吐いたのも、謝られたのも初めてだった。

謝るなよ!ふざけんなよ!こんなことなら喧嘩別れのがよかった。


「お前はそこらのやつとは違う。覇気がある、どこへ行ってもやってける。今まで建てた家のこと、よろしくな。」

褒められたのは、弟子入り初日と、最後のこの日だけ。

ふざけんな!全然嬉しくねぇ!

給料払えないけどついてきてくれって
めちゃくちゃなこと言って欲しかった。
夜バイトしてでも、親方の夢を叶えたかった。

もう一度、やりたかったな



独立するしかなかった


1人になった。
ほんとは、すぐ次の親方を見つけるべきだったのかもしれない。

けれど、あんな親方でも、
俺の中で親方はあの人だけ。
「お前が俺の最後の弟子だ、ついてこい」

あの日のあの言葉はまだ終わってない気がした

幸い、人脈はたくさんある。
倒産の噂が地域を駆け巡り、たくさんの大工さんから声をかけてもらった。

待遇は今までに比べて最高だったけれど
他の親方についたらもうここへ戻って来れない気がした。

今は下請けでコンスタントに収入を得ながら
仲間や地域の仕事を少しずつ増やしていく。

尊敬する棟梁に呼ばれたり、仲間のもとへ遠くへ行ったりもする。

親方がやるなと言った仕事にも手をつけた。
親方が嫌った仕事もやってみた。
親方よりもレベルの高い仕事もした。
仲間の仕事もした。

いろんな仕事を見た。
でもどんな仕事をしても、誰と仕事しても
根本は基礎は基準は親方との3年間


自分が思う100%の仕事をできないもどかしさ。
エゴ…需要…予算…価値観…生活…材料…環境…実力…夢

プライドとか、こだわりとか、遠くへいってしまった

残ったものは、「想い出」と「想い」と「楽しい」

ある友達が言った
「熱量があった時があったらいつでも戻ってこれるからなぁ」
「極端な熱量は感動として覚えている」

ほんとそう。
たまにあの感動を蘇らせる仕事や、仲間がいる。
その時、うんと楽しいんだ。

家はその人の暮らしを写す。
家をみたらその人の価値観がわかる。


生業と暮らし



つくづく思う
親方が教えてくれた「大工」は職業じゃなくて武道の様な、生き様のような。

だから、自分にとって大工は「暮らし」
生業と暮らしに境界線をひきたくなかった自分にはピッタリだった。

親方はある意味ではプロじゃなかったのかもしれない。

でも、木の触り方とか仕事に対する想いとか
教科書のどこを探しても教えてくれないようなことを教えてくれた。


はぁ。またこんなことを書いてしまった。

何者でもない駆け出しのガキの戯言かもしれない。でもこれが今のこたえ。



毎日学ぶことがたくさんある。

当時75歳だった親方の口癖は

死ぬまで勉強
引退する時が一人前

まだ、一度も辞めたいと思ったことはない。

(脳内BGMは北島三郎の山で)


部活みたいなもので
好きではじめたはずなのに辛いことはある

自分の技術のなさや頭の悪さ、要領の悪さに泣きたくなる時はある。
悔しくて寝れない時はある。

けど嫌いになったことは一度もない。
たぶんこれからもない。



あとがき


あともう一つ珈琲で想い出した。
この珈琲屋の名前は「啓榕社」

珈琲屋さんの名前ではなく、
マスターのJさんの生き様だ。

珈琲をいれる行為は手段であって職業として括るには無理がある。
彼が珈琲をいれる暮らしが啓榕社。

そう、俺もそんな感じがよかったんだ。

さて、いつまで大工するんだろう。




はぁ、長くなった。
生い立ち編の伏線、だいぶ回収したよね?笑

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