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大工という生き方 vol.2


さて、4ヶ月ぶりに前回の続き笑

前回は、
「なぜ大工になったか」〜「入学するまで」

https://note.com/haruga45/n/n421d439552ea

今回は大工を志すところから、弟子入りまで。



この世界に片足をいれて


入学したまでは良かった。
卒業したら旅をして、いつか村を作る!

夏頃の進路希望調査には「フリーター」とか書くぐらいには予定通りだった。

けど、だけど…
本当に楽しくて毎日が充実してて

座学も楽しくて仕方なくて
授業で触れなかったページを夜な夜なめくった
本を読み漁って、久しぶりに会った仲間には熱っぽく語った。


バイトで生計を立てながら、学校いって、自動車学校いって、仲間と遊んで、旅して、と忙しい日々。

職人のYouTubeをみたり、
実際に家を建ててるところを見つけては大工さんに話しかけた。

とにかく毎日感動してた。

だけど、、
爺ちゃん大工たちの手、顔、眼、仕草…

大工としての誇りを語る眼差しの裏にみえた、寂しさや劣等感
受け継がれずに失われていく職人の技
時代の変化と建築物の価値


風化していく木造建築の素晴らしさ
みたいなものを感じて

あれ?
こんなに感動して、毎日が楽しいのに
卒業したらまた旅に出るの?
風化してってるのを見ていろんな想いが込み上げたのに、結局自分も?


大工を「伝統工芸」にしたくない
宮大工みたいな技術はいらないけど、
仲間のどんな想いもカタチにできる人でありたかった。

みたいな感情になってるうちに冬が来て
あ、このまま卒業してもこの世界の1割もしらない
って。

この世界を覗く前
天井が10ぐらいの世界で5ぐらい学べればいいな
って思ってたら
天井が100の世界で3ぐらいしか学べてないやん…ってなった。




あともう一つ大きかったのが

大工技術のコンクールみたいなもので失敗したことも大きかった。
誰よりも勉強して、準備していた。

先生にはおまえは絶対受かるから全国大会の準備しとけ、みたいに言われて調子に乗っていた。

当日、まわりをみて余裕だなと思いながら進めていた。先生にも全国いけるな、最後まで落ち着いてやれって囁かれめ。

だけど、最後の最後で材料が割れた。
すべてが真っ白になった。

先生に謝られた。「悪かった…」
なんで謝られるの…
みんなの期待にあぐらかいていた自分が悔しかった。

大好きな「モノヅクリ」で敗北感を味わった。
ぁあ、この感覚、知っている。。


この経験はものすごく悔しくて、
このままこの世界から去れなくなった。



サッカー少年がペレを神様と言うのなら
野球少年がベーブルースを神様と言うのなら
僕はそんな眼差しでこの人を視る。

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4101190313/ref=cm_sw_r_cp_api_i_4M04DR7Y0NGVHEFKGHVV



進路変更、弟子入り




もっと学びたい、レベルあげたい!
弟子入りしかない!

ってなって親方のもとへ弟子入りすることにした。
当時生意気だったから(今もか)先生に、

「どんなに厳しくても給料とかなくてもいいんで、ここらで1番良い親方教えてください」
って言って教えられたのが
最初の親方だった。


「普通、半人前まで10年かかる道、本気で付いてきたら4年でものにしてやる」

本当に厳しくて、頭おかしくて
でもこの世界が大好きでそれなりの実績もあって…
っていう親方だった。


学校を卒業したら、仲間のところをまわるつもりだったから
みんなにまた遠回りさせてねってFacebookに書いた覚えがある。




親方との修行の日々




そんなこんなではじまった弟子入り生活。

初日はお茶の淹れ方
掃除の仕方からはじまった。

掃除は、あんな高校にいたから認めてもらえた

「何年も弟子をいれているけど、すぐに辞めていく。お前も辞めたくなったら辞めていい、けどな、お前は辞めなさそうな気がする。根性と覇気だけは認めたる」

(3年間の親方との時間で褒められたことはこの時ともう一つしかない)

親方はthe.昔ながらの職人

昼休み、呑気に飯を食っていたら失望されたろう。
飯をかき込んで、少しでも練習した。勉強した。

給料日には茶封筒にて現金渡し
手書きの給与明細。
今だから言えるけど最低賃金以下。

わずかな給料と一緒に、給料より高価な材料と
替え刃のノコギリの刃を数枚渡された。
その材料を15ミリに切り刻むのが宿題だ。
宿題は少しずつレベルがあがった。
次の給料日に同じお題を出されるのが屈辱で仕方なかった。

大工の友達たちに泣きそうになりながら電話してコツを聞く。
親方の技術を横目で盗む。


専門的な話になるが
建築もこだわった。ベニヤ板や修正材は使わない。
全て国産無垢の木を製材からした。

基礎も板金も何もかも自分たちでやった。

お茶の時間は、奥さんのつくった漬け物や御施工主さんからの差し入れ。
どんなに忙しくても休憩はしっかりした。

とになく一息もつく間もないけれど
必死こいていた日々。

そんな親方との時間も、
ある日突然終わりが来る。
そして今、フリーとなっての葛藤。

というわけで
次回、突然の別れと、葛藤。



あとがき


生い立ち編を読んでくれた方は覚えているかな

好きなこと、いつまでやってられるんだろうの問い。

好きなことをやり続けていたら、仕事になった。
この辺に関しては、また別で話したいことがたくさんある。

でも、vol.1でも言ったように、
幼稚園の砂場の延長線上にやるべきことはあった
好きなことをやり続けてカタチになった

職業として大工を志したことは一度もなく
好きなことを続ける最高の手段だった。

そして俺は大工ですというより
仲間やコミュニティの中で、大工という役割を仲間から任された気持ちでいる。

みんなの中で、「大工は陽我」があるわけであって、○○が木こりでいてくれて、○○が料理人をしてくれているから、自分が大工を出来ているのだ。逆も然り。

この想い、この灯火を、この燈を、熱量を
いつまで持っていられるんだろうか

蒼すぎたケツは今何色だろう
青臭かった心は、今どうなっているだろう

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