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今まで住んだ家を振り返る

 東京に来てからの7年間は、引っ越しとともにある。東京に保護者が住んでもいなければ持ち家があるわけでもない、お金のない独身として、転々としている。

 一番最初の家は、大学寮だった。設備は新しく綺麗で、ほかの学生と2人で1部屋。キッチンとシャワーは共同だ。テレビのあるリビングもあった。管理人は住んでいるし、カードキー式で安全な物件だったと思う。家を出れば「自分一人の部屋」が手に入るかと思っていたので、ルームシェアなんて嫌だったけれど、案外居心地がよかった。事前のアンケートをもとに、フロアリーダーの学生が決めたという組み合わせの割には生活時間は全く噛み合っていなかったが、ルームメイトの性格のおかげで、互いに少しの我慢と譲歩をしながら楽しく暮らしていた。私は朝に起き夜には寝て、ルームメイトは夜に起きて私が起きる頃に眠る。暖房はがんがんにかけたい派だったので、エアコンをめぐって争うこともなかった。
 この寮では、部屋替えという小さな引っ越しが度々あった。そうでもしないと、人によっては物を溜め込みすぎて酷い有り様になっていただろう。クローゼットや本棚の数は十分で困ることはなかったが、部屋替えのおかげで定期的に整理できていた。部屋の両端にベット、真ん中に本棚があり、ルームメイトの顔はあまり見えないようになっている。おかげでややプライバシーが保たれていた。

 それから2年後、留学でイギリスの寮に住んだ。皮肉なことに、日本を出たことで初めて一人部屋に住むことになった。さすが欧米の部屋は広いのか、机はどれだけ置いてもあふれないデカさ、ベッドも150センチ代の人間には大きいくらい。キッチンやシャワーは共同。同じ建物に4人まで住めるため、シェアハウスのようだった。そんな家が同じ敷地に何件も連なっている。ちょっと古っぽい見た目の建物で、可愛らしかった。なんとかレーンという名前がついていた。
 月に一度しか清掃業者が来ないので、寮によってはとても汚かった。同じ寮に住む人が綺麗好きかによって居心地の良さは変わる。パーティー人間が集う寮があり、毎晩うるさかった。

 日本に戻るとコロナが流行っており、大学寮は閉鎖。私は両親の家(東京ではない)に行った。楽しい一年にもなったはずなのに、全員がイライラしていて、喧嘩が絶えず辛い毎日だった。一人部屋がないというのはとてもストレスだ。

 それから大学院に入り、今度は別の寮に住み始めた。一人部屋で、キッチンなどは共用。部屋は狭いながらも収納スペースが多く、何より防音がしっかりとしているのが良かった。わりと大きな音で音楽を聴いていても、隣の部屋には全く聞こえない。ドアを開けるとすぐにベッド、奥に本棚と机。ベッドには引き出しがついているなど、モノをしまう場所が十分にある。ベッドと机がほぼくっついているので、机にパソコンを置けば寝ながら映画が観られる。学部生の寮のテレビの前にはいつも誰かしらいたが、大学院生は忙しいのか、テレビの前でたむろすることはほとんどなかった。誰かが食料を勝手に取った取らないの騒動はあったが、基本的には自分の生活ペースを守り他者には干渉しない、大人の集まりだった。大学院でうつ状態になった時、この誰かはいるけど過度な干渉はしてこない、という空間がとても助かった。

 その後休学し、寮にいられなくなって、近くのアパートに越した。初めての、本当の「一人暮らし」だ。不動産で契約書にサインした時、緊張で手が震えた。和室とキッチンの2部屋がある、古いアパート。ユニットバス。もちろんエレベーターやインターフォンはない。知人らには「昭和アパート」と言われていた。ブレーカーは突然落ちる、隣の部屋の音はほとんど聞こえるで最初はかなりイライラしていたが、大家さんがとてもいい人だった。電気屋の人が修理に来る度、こんないい大家さんは他にいないよと言っていた。和室の窓をあけると公園が見え、多少開け放していても安全な町だった。よく畳の上で寝転がって、窓から公園を見ていた。夏は風が吹き込んできて気持ち良かった。

この寮から昭和アパートまでの間、最寄り駅はずっと同じだった。ファストフードチェーンやカラオケが並ぶよくある風景。意外に人が乗り降りして、電車では座れることはあまりなかった。
 
 そしてまた引っ越した。最寄り駅も変わり、街も変わった。まだ「自分の場所」という感じがしていない。


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