見出し画像

民主主義と多様性という矛盾

こんばんは、大久保です。
最近、個人資産(遅雨ほどのものでもないですが)を見直しています。日本企業株か、米株か国債か、投資や資産運用にもいろいろなやり方があります。
私には幸い本業があるので、資産運用はあくまで水揚げて寝かせて(たまに動かして)いるだけの庭の花のようなものではありますが、日本円を握り合いめているのも心もとない今の時代、分散投資は拠出型年金よりもよほどいいかな、と思ってます。





ここから本題に写ろうと思いますが、さておき私の本業は教育関係。
今回表題にした、「民主主義と多様性」こちらのテーマで話していきたいと思います。
日本は世界中でも(強めの)民主主義国家であることはみなさまもご存じだと思います。子どもの頃から何か決めるなら多数決、足並み揃えてみんなで横並びで歩いていこうよ、というスタンス。民主主義自体が、弱いものに開かれ平均値を基準値とする。
平均値が基準値となるため、教室ではIQ70〜120の子が同室にいたとしてもIQ100の事業が行われる。IQ70のお子さんには難しでしょうし、IQ120のお子さんには簡単すぎるかもしれませんが、今や誰も疑問を持ちません。楽しいとか楽しくないじゃなくて、学校に行けばOK、IQ 120のお子さんは暇つぶしテクを早々に取得するでしょう。


これに適応した教育、すなわち民主主義における教育は平均主義に陥りがちである、というのが私の考察です。この民主主義の国の中でいくら資本主義のような特異点を活かして活躍せよ!と説いたところで、限界があると思うのです。
教育にあたる私たちにできることは、「この国は民主主義である、特に日本はその指数が高い国である。もし合わないと感じたら、同じ民主主義国であってもアメリカのように実力で勝負できる国もあるから、夢を持つことを諦めないで」そういうことぐらいなのでしょうか。



私も実は日本国内ではありながら特異点を活かして活躍していきたい勢の一人。
昔を考えれば、自分を自分らしく表現ができる時代になってきたような気もします。(自身が海外に出たとともに振り切ったのもありますが)教育の現場では「個性を活かして〜、自分らしく〜」という言葉を使うことが多いですが、あえて言わなきゃ行けないことか?とも思うのです。それこそかねてより培ってきた民主主義の亡霊なのか国民性なのでしょうか。今すぐには変わりませんが、私にできることといえば、このようなつぶやきをnoteに記すことぐらい。いいね!と思ったら♡を押していただけると励みになります。

2022/12/19 22:15
寝ます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?