見出し画像

結局吐露だけ花が咲く


書きたいことが足元にたくさん散らかっていてひとつも形にならない。形にしようとしていないから当たり前なのだけど。種を床に放置していても芽は出ないし花も咲かない。

「理想のミックスフライ」も書きたいしお昼に行ったご飯屋さんが最高だった話も聞いてほしいし1月に出会った音楽についても語りたいしゴチャゴチャと頭の中で考えていることの整理もしたい。これをこういう形で書いたら面白そうだな、シリーズ化しようかな、なんて運転中に妄想を繰り広げるだけで、実際は仕事終わったら寝てしまう。書きたいことの妄想たちが全部とっ散らかっている。どれに水をやり陽を当てて土を整えたいのかわからない。そうしているうちに、自分の中でのスケジュールが狂っていく。

創作大賞応募作が5メートル手前にある東京タワーみたいにそびえ立っていて一作品読むごとに魂を持っていかれる。作品の世界への吸引力が半端ない。すごい。その上おそらく私は感情移入が激しい方。それは長所だ。観賞する上で間違いなく良いところだと思っている。でも書きたいし読みたいし仕事も頑張りたいし私生活も整えたい今の私にとっては、読む、で魂を全て持っていかれてしまうとなかなかに不都合。じゃあ読まんければいいやんか。うん、そうなんやけどさ。何作か読むうちに段々と、あのハッシュタグから滲み出ている本気度がものすごくて怖くなってきた。知らずに読み始めて気配を察知して一気に下までスクロールして、ハッシュタグで応募作だとわかって読むのを中断したこともある。

作品にひとしきり感動して放心したあとは、私何してんやろ、と我に返る。こんなすごい人たちが書いているプラットフォームで同じような顔をしてその文章、恥ずかしくないんか、雑記だ日記だ練習だと予防線ばっかり張って情けなくないんか、ともう一人の私が蹴りを入れ始める。時間と魂をかけて書いたことなどないくせに、自信の喪失だけは一丁前。そのくせこうしてまた訳のわからない文字を並べているのだ。へこんではいない。恥ずかしいね、情けないから、どうする? 考えていくしかない。そんなことないよ!あなたの文章素敵ですよ!という類は申し訳ないけど嫌い。求めてない。別にそんなこと言われてないのに最初から拒否してんのウケるね。思い上がりも甚だしい。でも世の中結構優しい人がいるから。私は慰めてほしいときは「慰めて!!いい子いい子して!!」って言います。

私は今回応募していないから呑気に感想を呟いている。でも自分が応募していたらできてたかな。作品をシェアして良いところを褒め合っている光景が、どこか殺伐として見えるのは私だけだろうか。嫌いじゃないけどさ、そういうの。嘘で褒めていると言っているわけではない。でも、内心穏やかじゃないでしょ、違う? 本気で一切、一回も計算せずにシェアしている人がいるのなら心の底から尊敬する。芸術で競う世界に身を置いたことがないせいか、ただ心がガキンチョなだけなのか、同じ土俵で戦っている最中の人たちが褒め合う図にむず痒さを感じてしまう。……って、なんで私こんな黒々としてんの。

書きたいことが散らかっていて形にならない! と言いながらこんなぼやきを真っ先に形にしてしまった。こんな私も私なので、今日は黒い花を撫でながら寝よ。次に咲かせるものはせめて、有彩色にできますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?