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人生一周目日記を始めてみます

気づけば昨年の10月を最後にnoteがまた停滞していた。
高尚なものを書こうとして、筆が遠のいて、期間が空いた分、それに見合うものをと勝手に自分の中のハードルを上げて、記事を作れずに足掻いていた。
年始から、そんな自分に辟易している。

一時、noteを「後ろ向き日記」と名付けてみたのだが、これがあまり良くなかった。
「後ろ向きでもいいじゃないか」と自分自身のスタイルを肯定しようと思ったのだが、気分は沈んでいる時もあれば、浮いている時もある。
しかし、その浮上している瞬間をうまく掴めず、名前にふさわしいものを書かねばと、図らずも「後ろ向き」をテーマとして据えてしまったが故に、ダウナーな気分になり、なかなか筆が進まずにいた。自分自身の言葉に引きずられてしまったのだ。

名付ける、ということは、とても大事な作業なのだと改めて思う。

では、今度はどんな名前にするべきか。
それを考え始めて、また数ヶ月悩んでいた。仕事の合間にメモに書き出してみたり、noteのプロフィール画面と睨めっこしたり。遅々として進まぬ日々がまた続いていた。
「そんなことよりさっさと書けばいいのでは?」という心の声も聞こえてはいたのだが、いつか書くことで生計を立てられるようになれたら、いつか、自分の本を作れたら。
そのきっかけにしたいと密かに願っていたこともあり、この命題とちゃんと向き合いたかったのだ。

そして今日、仕事中降りてきた言葉があった。
日々色んなことがままならず、それでも「生きてるだけで偉い、人間としてちゃんとできてるだけで偉い」と、もはや自分が何者なのかすら疑う、レベルの低い励ましを自分の頭の中で行っている時、ふと「すぐにうまくいかなくても、この人生は一周目だから仕方ないじゃん」という声が聞こえてきた。

そう、人間としての生は一回目。少なくとも、私には前世の記憶というものはないので、この人生が人間初体験のはずだ。創作界隈で最近流行中のループものという認識もない。
「人生一周目」。ならば、失敗して当たり前。自分自身を責めすぎずに、もう少し気楽に行こう。
もちろん、うまくいくように努力はたくさんするけれど、ダメで元々、うまくいけば万々歳。そんな結論が出た。

多分、またつまづいたら、その都度悶々と考えてしまう気もするのだが、それも性分だ。
それをこうして綴っていくのも、いつか役に立つかもしれない。自分自身の理解に繋がるかもしれない。
そうした日々の気付きみたいなものを蓄積させていったら、小さなカケラでも立派なものにできるかもしれない。
そう思えたので、こうしてまた筆をとってみようと思う。

……口に出すと夢は叶うというので、恥を偲んでここで書いてみる。

私の夢は、いつか自分の本が図書館に並ぶことだ。
その夢に少しでも近づけるよう、人生一周目なりに、頑張ってみようと思う。


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