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断捨離しても意外と平気だったもの①日記


数年前より、断捨離をちまちまと進めています。

BS朝日の番組「ウチ、断捨離しました!」に家族がハマり、毎週見るようになったので自分も影響されたのです。

私は現在実家暮らしをしているのですが、オタクでもあるのでまぁ物が多い。

オタクは物を集めるのが生まれながらの習性であるので、おそらく普通の(オタクではない)人よりも、そもそも所有している物の量が多い方だと思います。

同時に幼少期より、物持ちの良い母と親族に囲まれていたため、もったいない病を併発していました。

使えるのに捨てるということが、とにかく心苦しくて仕方ない。

体型の近い母に「これ要る?」と聞かれた趣味のちがう服も、「使えるなら…」とついもらって溜め込んでしまい、気がつけば身体は一つしかないのにコート何着?ジーンズいくつあるの?という状態に。

収納はいつもパツパツ、無理くり押し込んでギシギシ鳴る引き出しをなだめていた日々でした。

今はだいぶ断捨離が進んだので、まだまだ物は多いですが、以前よりは快適に過ごせるようになったので及第点かなと思っています。

前書きはここまでで、タイトル通り、意外と捨てても大丈夫だったものを備忘録も兼ねて記します。


捨てても意外と大丈夫だったもの①日記

高校生の頃、小さなノートを常に持ち歩き、何かあると書くことを繰り返していました。

用途はメモ帳でもあり、日記。文章を書くことが好きだと話したところ「思いついたことを書いておくと忘れないしネタになるよ」と部活の先輩に言われて始めた習慣を、かれこれ10年近く続けていたものの名残りです。

授業中でも、暇があればよく書いていました。授業に関係ない内容でも、見た目はただのノートであり、落書きをしているときのような大胆な動きにはならないので、先生に怒られることはなかったのです。

(いつもお前何か書いてるなとは言われましたが・苦笑)

そんなふうにして溜まっていったノート・数冊。

中身には当時の感情が生々しく綴られており、時には遅れてやってきた厨二病ポエムや文章のネタとなりそうな日常の話題、好きだったアニメのことなど、読み返すと恥ずかしくも時折面白いことが書いてあるからと、長年本棚の隅にしまっておいた物です。

けれど、それらをついに断捨離しました。

日記とか、当時の自分でしか記せないものとか、大量生産品でないような、二度と手に入らない物を手放すことにどうしても躊躇いがありましたが、

ふとある時「このノートに書いてあること、今考えていることとあまり変わらないな」と気づきました。

今も昔も同じようなこと…人間関係や、自分自身の欠点とかで悩んでいて、

同じようなものが好きで。

結局「今の自分が過去の延長線上にある」ということに、改めて気付かされたのです。

(それは成長していないということでは…?という自分の囁きが聞こえたが、まぁ無視しよう)

その昔、『無限のリヴァイアス』でファイナ様が「過去は断ち切らないといけないのよ!」(注・99年ぐらい放送のサンライズのアニメ。鬱アニメとして有名な群像劇。好きです)と、傷だらけの晃治くんの体を叩きながら言ってましたが、

「断ち切ろうとしてもできない」ということは、そういうことなのかもなぁ…としみじみとしながら、面白そうなページだけ携帯カメラで撮り、あとは思い切って全部破って捨てました。

それから数週間経ちますが、今のところ支障はありません。

よく考えたら、別に折りに触れて読み返すとか、そんなこともしていませんでした。

多分、恋人との交換日記とか、

家族との思い出とかが綴られているものとかだったら、それこそもう二度と手に入らないから惜しむべき、残しておくべきものだろうけれど

私の場合は「脳内会議が記録となって残っていた」ものだったので、特に困らずに生活しています。

そして、当時記していた日常の「気づき」とかは、今も自分の中にあるので「無駄ではなかったんだな、きっと」と思っています。

…そうか。もしかしたらこれが「結晶性知能」というやつではないでしょうか。


結晶性知能…個人が長年にわたる経験、教育や学習などから獲得していく知能であり、言語能力、理解力、洞察力などを含む。byY●hoo検索のページより。


……ちょっと、やっぱり違うかもしれない。





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