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書かなきゃやばいね

最近、仕事以外でまったくと言っていいほどアウトプットをしなくなりました。このアウトプット量低下は私生活の安定に付随するものです。私生活が安定しました。私生活が安定しました以上のことは言いませんが私生活が安定しました。例えばツイッターとかで、てめえのパートナーやガキを“皆さんおなじみの”みたいな変な愛称で呼び習わして“うちのほっこりエピソード”みたいなツラで台所の三角コーナーから漂う生活臭みたいな話を垂れ流してるクソみたいな人間たちのことをずっとバカにしてきたのでそういうことはしませんが私生活が安定しました。なので「俺をわかってくれ!」と不特定多数に向けて叫ぶ必要がなくなりアウトプットも劇的に減りました。

それが人として見て良い傾向であることは疑いの余地がありません。しかしなにぶん今まで絶えずなんらかの形で「みんな! 俺をわかってくれ!」というアウトプットを続けていたので、出力量の低下、機能の退化は、こう人生の進行に関わる深刻なバグの遠因になってしまわないか心配です。

のっけから一定層の人間への投石と共に“アウトプット”なんていう頭の悪そうな人が使いたがる頭の悪そうなカタカナ単語を連呼しましたが、自分の“アウトプット”の内容を振り返ってみると徹底してしょうもないものばかりで、しかし間違いなく自分はそれを続けて生きてきました。子供の頃からずっと。それだけは間違いないです。だってこんな社会性の乏しい、怠惰な、オマケに性格もねじ曲がった人間が、一分野に特化した知識や技能を持っているわけでもなくかといって一般的と言える考え方やセンスを獲得したわけでもないただめんどくさいだけの人間が、中年期まっただ中の現在、社会の末端に参加しながら、それなりの生活環境で生存できている、その理由なんてもう運でしかなくて、その運というパラメーターの内訳における重要な要素がアウトプットを続けてきたことなんです。発信を人の目に触れさせてきたが故に抽選回数も多く、それゆえ幸運の初当たりもそれなりにあった、みたいな理屈です。

じゃあ、実はそういう仕組みで生存してきた人間が、生存の肝となった要素を退化させたらどうなるか、まあいきなり死にはしないだろうけど幸福度的なパラメータの平均値がどんどん低下していくわけです。その要素があったから例えば一部の人から好意や興味を持たれるというパッシブスキルも発動していた、なのでそれがなくなれば当然パッシブも消える、しかしながらこちらの自意識はパッシブスキルの発動による恩恵前提で構築されているわけで、結果「なんか昔より周りのみんなが冷たくなった」みたいな気持ちになるし、「それは俺がジジイになってお腹に肉ついてハゲたからだ」「ルッキズムだ」「この世の中が悪い」「ワクチンは政府の陰謀」みたいな誤った因果関係を紐づけてしまう。中年がジワジワ狂う典型パターンですよこれは。

ツイッターで昔みたいに“ネタ”を投稿したり“バトル”したりするのはあまりに厳しい。でもブログ程度のことを定期的に書いて投下するくらいならできる気がする。幸いにも今のツイッターアカウントは前にやっていたアカウントのフォロワーの方がまだそれなりに見てくれているようだし、とにかくなんでもいいから毎日、いや毎日は厳しいな、数日に一回くらいのペースでnoteの記事をやってみようと思います。いつまで続くかわかりませんが今日そう思い立ったのでしばらくやります。よろしくお願いします。ヘッダー画像はうちのユーティリティールームです。なんか脱衣所と洗濯機置き場と洗面台とかがまとまってる空間のことをそう呼ぶらしいです。フフ…。

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