どうして麒麟のお腹は赤いの?
何年か前の夏、私はよく居酒屋で半分くらいビールが入ったグラスを見ていた。今思えば当時付き合っていた彼氏が大きく口を開けて、つまんないビジネスの話を嬉しそうに話している姿を見ていられなかったんだと思う。あと単純にガッツリ刈り上げたツーブロックも好きじゃなかった(付き合いたてはそうじゃなかったのに、夏直前に突然変えた)
彼氏がつまんないビジネスの話をするときは、適当に相槌を打ちながら、グラスにプリントされた麒麟の鱗を数えた。よく見えない足の毛も想像した。お腹はなんで赤いんだろう。そんなことばかり考えていた。会話の内容なんて覚えてない。
でも、よく覚えている会話もある。というか、飽きるほどに何度も同じやりとりをしたから、さすがに忘れたりなんかしない。
「一口飲む?」
「いらない」
何回ビールが苦手だと言っても、酔うとあいつ――彼氏はそれを忘れた。
決まって嬉しそうに、私がつまんなそうな顔してることにも気づかずに、いつも同じ口調でビールを差し出してきた。
7月も8月も、毎週末それを繰り返した。
私はなぜか段々、キリンに腹が立ってきた。
とばっちりもいいとこだし、キリンビールさんには本当に申し訳ないのだけれど、毎週見るキリンが嫌いで嫌いで仕方なかった。
9月の頭、いつもと同じ南堀端の居酒屋で彼氏は
「今までありがとね」みたいなこと(元彼氏の名誉のために付け足すと、本当はもっとたくさん、エピソードみたいなものも交えながら一応感謝を伝えられた。といっても同じようなことだけど)を言った。
私も一応、10分くらいかけて彼氏が話したエピソードを交えながら「いい人見つかるといいね」みたいなことを言った気がする。結構いいことは言ったと思う。ちゃんと褒めるとこは褒めたし(たぶん)。
「一口飲む?」と言われたらその日は飲む気でいた。
最後だし、何より「飲み込んで」やりたかった。
けれど、あいつはなんも言わなかった。一万円だけテーブルに置いて(グラスが結露して水浸しのところに置いたせいでびしゃびしゃになった一万円を店員さんに渡すのは少し恥ずかしかった。こういう周りが見えていないところがちょっと苦手だった)頼んだビールも飲まずに立ち上がって、路面電車の駅の方に行ってしまった。
一人になったテーブルでグラスを眺めた。やっぱり鱗を数えた。足の毛も想像した。いつも偉そうなことを言ってたあいつに「どうして麒麟のお腹は赤いの?」と尋ねなかったことを少し後悔した。
一通り後悔してから、泡がほとんどなくなったビールに口をつけた。
苦くて苦くて、おしぼりに吐き出した。
それから数年、すっかり忘れていたはずなのに、
昨日、Twitterの「おすすめユーザー」に突然あいつがでてきた。
相変わらず似合ってないツーブロックの下でへんな笑顔をしている写真をアイコンにしていた。プロフィールをみたら、今は都会で楽しくやっているみたい。(本当かどうかはわからないけど)
もう会うことはないかもしれないけど、会ったら聞きたい。
ねえ、どうして麒麟のお腹は赤いの?
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