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2023年10月25日春馬さんの「言葉」を詠む〜「日本製」東京都(一首)

2020年4月5日に出版された「日本製」という本は、
三浦春馬さんが、47都道府県の「美しい事、物、人」
4年半に渡って取材し、まとめたものです。

その「日本製」の“東京都”のなかから一首詠みました。
できるだけ彼の言葉をそのままに・・・
短歌の調べにのせて詠んでいきます。
(彼を見習って英語バージョンも)





























The more you chew, the more you feel nostalgia.
Tsukudani, that has been made in Tsukuda since Edo piriodo.


「日本製」“東京都”
【つくだに丸久に見る佃煮の歴史】より

*右手に佃島渡船場跡、その右手に目的地の「つくだに丸久」の店舗が現れる。
白壁に映える青ののれんには白抜きで「安政六年創業」の文字。安政六年は西暦で1859年だから、今から160年前の創業ということになる。

*小林さんは、この地に残る老舗佃煮店「丸久(まるきゅう)」の十五代目店主にあたる。
三浦「ずっとこちらで佃煮のお店をされているんですか?」
小林「いやいや、もとの出は漁師です。徳川家康公が江戸幕府を開いた時に、摂津国佃煮(現大阪市西淀川区佃)にあった住吉神社の神主と漁師達を呼び寄せて住まわせたのがここの始まりだといわれています」
明智光秀のクーデターにより織田信長が倒された本能寺の変の際、大阪の境に滞在していた徳川家康は、明智勢から逃れるため大阪からの脱出を試みる。その時、水に阻まれ立ち往生していた家康を、船を出して逃したのが佃村の漁師達だった。

*その後、家康が三河から江戸に領地替えした際、佃村の漁師達を呼び寄せ、今でいう東京湾の漁業権を与えた。家康から拝領したのは島といっても東京湾の浅瀬。漁師達はそこを埋め立て、故郷にちなんで佃島と命名した。小林さんの先祖も、そんな風にして佃島に根付いた漁師のひとりだった。

*小林「家康公の大好物だったしらすを獲るようにという命を受けて、佃の漁師が家康公にしらすを献上していたのですが、献上出来ないような“あみ”や小魚なんかを辛く煮て自分達で食べていた、それが佃煮の始まりといわれています。だからもとは売り物なんかではなく、漁師の食べ物だったんです。

みんなのフォトギャラリーの写真をお借りしました。
ありがとうございます。
それからnoteからメッセージをいただきました。


ありがとうございました😊
皆様のご健康をお祈りいたします🌸

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