想像力ってなんだろう

最初に言っておきます。
意見には個人差があります。
その個人差、自分とのギャップが許せない人はここから先を読まないでください。
このnoteはあくまで考えの記録です。

ある人のnoteを読んでの話。

そういう発想があるのか、と最初は肯定的に受け止めました。
それは、この今の大変な時期を何年か後に振り返った時、楽しかったことも入れたい、という内容でした。
確かに未曾有の危機の中、小さな幸せに気付いて大切に覚えておくことは素敵だと思いました。
しかし、次の内容で少し違和感を覚えたのです。
楽しかったことも入れたいという意味では、和牛券も悪くないとのこと。
コロナの時は大変だったけど、家族で食べた和牛のステーキは美味しかったね、と思い出作りが出来たらいいというような内容でした。

個人的な考えとしては、和牛券を全否定するつもりはありません。他にも政府は様々な策を出しています。それを全肯定するつもりもありませんが。
けれど、その和牛券って今じゃないよね、って思うのです。

現に今この瞬間、職を失って家賃を払えずに困っている人が、新型コロナに罹患して苦しんでいる人が、家族を新型コロナで亡くした人が、自分が或いは家族が最前線で仕事をしていてマスクがない中感染の不安を抱えている人が、3密を避けるために休むことを選んだ飲食業の人がいます。
そのような方たちにとって、今和牛のステーキを食べて思い出になるのでしょうか。

今の生きるか死ぬかの生活の不安を解消してほしいんです。
「人の気持ちを考えるのが苦手」とはこの話の前に書いてありましたが、想像力を巡らせて素敵な作品を作っているアーティストなだけに、もっと想像してほしかったなと思ってしまいました。

コロナが猛威をふるっているなかで思い出になるのって、「皆が買い占めをやめたからマスクやアルコールが手に入った」「お客さんが優しかった」「コロナ終息宣言が出た」というささやかな日常や、今までの日常が戻ってくる瞬間なんじゃないかな。
その後で、やっと危機を乗り越えられた、会いたかった人と、或いは弔いたかった人と「お疲れ様」と労いあって食しながら今後の経済に貢献していく、これが本当の和牛券の使い方じゃないでしょうか?

そんなこと言い出したら亡くなった方は帰ってこないし、きりがないです。
だからこそ、どこまで想定すればいいのか、きっとその方も自分の影響力を知っているだろうから、考えたと思うし、そう思いたい。
想像力の難しさを感じてしまいました。

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