焦ることはないって話

実は、と勿体をつけるほどの話ではないけれど、文章を書くことが苦手な子どもだった。
自由に思ったことを書けばいいのだと言われれば言われるほど、鉛筆を持つ手が強ばり、原稿用紙のマス目は1つも埋まらなかった。

あれから20年余が経ち、今となっては文章を綴るプラットフォームをいくつも持つ大人になった。
note、ブログ、Twitter、etc……。
それら1つとってもアカウントがいくつもある始末。
なのに肝心の文章力は全く向上せず、有益なことは何1つ残せていない体たらく。
単純に通信料の無駄である。

強いて言うならば、喪失した(あるいは元々存在していなかった)語彙力を集結させて、ひいひい言いながら捻り出した月並みな言葉を並べることに躊躇はなくなった。
簡単な言葉、同じような意味を持つ言葉を感情のままに並べて文章を綴ることには抵抗がなくなっているということだ。

それでも、鉛筆を握りしめ、1マスも埋まらない原稿用紙と向き合っていた頃より、自分は成長したと思っている。
文章を書くことが嫌いではなくなったから。
これが上手くなったり、誰かを感動させることが出来たらもっといいのだろうが、今の自分には自己満足の世界が精一杯だ。
その精一杯の世界ですら、「文章は書けない」「言葉に書き表すことには向いていない」といった思い込みのような呪縛から解放してくれた。

前置きがかなり長くなってしまったが、その時出来なくても諦めたくなかったら諦めずに、一旦脇に置いておいていいという話がしたかった。
いずれ時が来たら、出来るようになる。
それまでに、可能ならば、その分野の優れた先達をよく見ておくといいと思う。

オリジナリティとか個性とかが独り歩きしてもてはやされている。
しかし残念ながら一握りの天才以外、いきなりオリジナルは作れない。
優れているとされる型を真似て真似て学んで、初めてオリジナルを生み出すことが出来るから。
焦ることはない。
出来ないことが一生出来ないなんて誰が決めたのか。
嫌いなものが必ず一生嫌いとも限らない。
どうか生き急いで切り捨てないでほしい。
情報が溢れかえっていながら、短時間で行動や進路、生き方の取捨選択を迫る今の世の中に生きる我々が忘れてはいけないことだと思っている。

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