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構文は大事

先日、とある野球関連のニュース記事を読んでいた時のこと。やや長めの文章だったのだが、読み進めていくうちにそこはかとない違和感を感じてしまった。最後まで読み終わってから記事全体をざっと見直してみたのだが、言葉の選び方や単語の使い方は特に問題なさそう。日常ではなかなかお見かけしない難解な言い回しも散見されるくらいで、筆者が表現力に乏しいというわけでは無いようだ。

もう少し詳しく見ていくと、あの「違和感」の正体がどうやら文章のつくり、すなわち「構文」にあるっぽいことが分かってきた。一つ一つの文章がやたらと長かったり、省略がやたらと多かったり、逆に接続詞が少なすぎたり、、。中でも飛び抜けて多かったのは主語と述語の不一致。長い文の中でいつの間にか主語が別の人にすり替わっている、本来であれば述語から見て主語になるはずのないものがちゃっかり入っている、語尾が受け身になっているのに主語は動作主体になっているなど、読みにくさの原因は間違いなくこれだ!と確信するに足る量の構文ミスが確認できた。これは流石に多すぎる。

 よく話題になるニュース記事の「誤植」だが、誤植それ自体が具体的な問題を引き起こすことは極めて稀なように思える。確かに、信頼性という観点から見れば執筆を生業とする人間がそのようなミスを犯すことは望ましくないし、見ていて気持ちの良いものでもない。しかし、誤植は一眼見て判断できる類のエラーだ。一方、構文ミスはなんとなく読んでいるだけでは気が付きにくく、ゆえに読者に対して言い表しにくい違和感を感じさせてしまうこともあるし、最悪のケースでは致命的な誤解を招いてしまう可能性もある。

もちろん、これは自分も含め誰しもが時折やってしまいがちな誤りの一つだ。長い英文を読んでいるうちに文の動詞を忘れてしまった、なんてことはよくあるが、実は日本語でも文章を書いてるうちに主語を忘れてしまうことも結構ある。後で読み返せば容易に気が付く部分ではあるものの、急いでいるときや思考停止状態で文字を打っているときなどは案外そのまま放置してしまうことも多い。書いた後に逐一見直しが必要だと言われる1番の理由は、このような構文エラーを発見することなのかもしれない。ただ、個人の執筆活動と異なり、メディアには他者の目をいれる「校正」というプロセスがあるわけで... だからこそなおさらしっかり確認して欲しいというのが正直な感想だ。

 記事の内容自体は面白いだけに、このような部分で読者に煩わしさを抱かせてしまうのはもったいない。今後の改善に期待すると同時に、個人としても文章を描く際は主述の一致に今まで以上に気を配っていこうと思う。

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