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わたしたちの恋と革命 ep.2

 いつも本を読んでいる。
 ホームルームが終わり、部活へ意気揚々と出発していく生徒もいれば、これからどこで遊ぶか喋っている生徒もいる。そのうちに人が一気にいなくなって静かになるだろうが、静寂が訪れるまでの落ち着かない感じが辺りに満ちていた。
 そんな周囲の喧騒をまるで気にも留めず、誰にも干渉されずに黙々と彼女――新井芽衣は読書を続けている。ブックカバーをつけているから、どんな文面を追っているのか分からない。
 本ばかり読んでいて楽しいのだろうか。彼女は周りと積極的に関わろうとせず、積極的に読書に勤しんでいる。どんなに好きなものでも、ほかのなによりも優先するものが詩にはない。
(寂しくないのかな)
 そう捉える詩自身、友達とタイミングが合えば放課後、街に繰り出すこともあるけれど、部活にも委員会にも所属していないがために、一人で帰る日もままある。
 ため息をこぼしそうになり、開いた唇をぎゅっと閉ざす。幸せが逃げてしまう。机に顎を乗せて、瞳を瞑った。顎先で触れる机は少しひんやりしていた。――しかし、心を落ち着ける間もなく、足音がしたかと思うと、詩のすぐ傍できゅっと音を立てて止まった。薄目を開くと、詩が思い浮かべていたとおり、茉白の姿が目の前にあった。
「詩、退屈から救いに来たよ」
 茉白といると退屈することがなさそうだ。
「どこ行ってたの」
「ちょっと、他のクラスで話してて。今週の日曜、バスケ部が試合で、助っ人頼まれちゃって」
 部活の助っ人なんて漫画みたいなことを本当にしている人が、詩の目の前にいる。茉白が運動神経抜群なのはなんとなく知っている。試合でお呼びがかかるのはすごいことだと素直に思うが、なおさら部活に入らない理由が分からなかった。
「試合に呼ばれるくらい上手いなら、その部に入ればいいのに」
「……詩、嫉妬してる?」
 茉白は椅子を引いて、詩の前の席に座った。
「一ミリもそういう話じゃない。ただ単純に不思議なの、あなたという人が」
 必要とされる居場所があるのに、わざわざ新しい部活を立ち上げる動機がますます判然としない。
「上手いと好きは別だし、縛られずにときどき首を突っ込む方が楽しいだけ」
 当たり前の「部活」という枠組みに縛られないことをしたいのかもしれない、と話を聞いて詩は考えた。
(それがつまり「革命」――?)
「さあ、生徒会室に行こう。部活申請だ」
 立ち上がりかける茉白の腕を慌てて掴む。「待って」彼女の腕に触れるのは初めてだった。イメージしていたよりも、意外と細い。
「無理なの、二人じゃ。最低でも五人いないと新しい部は作れない」
 昨日、生徒手帳で確認したから。そう詩が続けると、茉白は首を傾げる。
「ルールはそうかもしれないけど、活動内容を聞いたら許してもらえるかもよ」
 詩は首を強く横に振った。
「そんなわけないでしょ、活動内容なんて輪をかけて曖昧だし。というか、部の名前は? 顧問の先生は?」
「五人いればいいんだね」
「え?」
「五人揃えば、部を作れるってことでしょ、つまり」
 ショートカットも相まって男の子みたいに真摯な茉白の眼差しを受け止め、「当てがあるの?」と問いかける。
(茉白だったらたくさんファンがいるだろうから、声をかければすぐ集まるのかも)
 その手を使うのであれば、詩を誘う必要がないけれど。
「もう一人、勧誘したいと思ってた人がいるんだ」
 誰だろう、とまるで想像できないうちに、茉白はつかつかと歩いていって、少し離れた席で黙々と本を読み耽っていた少女のすぐ傍で立ち止まった。
(まさか……)
 不意に近くに立たれたことに気づいた彼女は本から顔を上げ、じっと茉白のことを見つめる。地味な眼鏡をかけ、艶やかな髪を三つ編みにしている彼女は、いかにも文学少女らしい外見をしている。
「あなたも、一緒に革命を起こさない?」
 詩たちがほんとうに革命を起こす日が訪れるのは、いつになるのだろうか。


 雨が降り続いている。急な坂を慎重に下っていくと、川が見えてきた。ごうごうと、濁流の勢いが増している。川は整備されて水流は低いところにあるから、こちら側にはなんの影響もなかった。
 春の終わりを感じるような暑い日が数日続いた後で、梅雨入りした。雨が降っても気温が下がらず、むしろじめじめしているから蒸し暑くて不快だ。夏服が解禁されていることがまだしも救い。
 川沿いに瀟洒な喫茶店がある。詩は扉の上に掲げられた文字を見上げ、店名を確かめた。樹上の庭。ここだ、と呟いてから、詩はそっと店内に足を踏み入れる。店の前を通りかかったことは何度かあるものの、中に入るのは初めてだ。大人の雰囲気が漂い、入りづらく感じていたのだ。
 入ってすぐ右手にレジスターがあり、いらっしゃいませ、と静かな声で告げられた。制服に身を包んでいる男性店員と目が合い、続けて、お一人様ですか、と尋ねられる。いえ、待ち合わせで――と返答が出かかったところで、「詩」と名前を呼ばれた。広くない店内だが、やや死角になっている最も奥まった席にいた茉白を捉え、そちらへ向かう。
「お待たせ」
 と、言いながら、茉白の隣に座る新井芽衣をチラ見した。教室でいつも本を読んでいる彼女もちゃんと来ていることに、詩は改めて驚いた。
 ――あなたも、一緒に革命を起こさない?
 教室で話し合いの途中だったあの日の放課後、茉白が歩み寄っていってそう語りかけたものだから、まさかの行動に目を見張った。
 ――革命? 学生運動でもするつもり?
 詩は、「革命」という言葉にときめいてしまった瞬間を思い返す。目の前の彼女が、本来正しい反応だろう。ただ、学生運動だとしたら、たぶん文学少女は誘わない。
 ――ごめん、突然。実は、わたしたちで新しい部活を始めようと思ってるんだけど、人数が足りなくて。部活入ってないだろうから、一緒にどうかな?
 確かに、彼女はいつも教室に残っているからその推測は正しいだろう。
 ――どんな活動をするの?
 芽衣の問いかけに、茉白は「革命」と端的に、どこか得意げに答えてみせる。
(それじゃ説明になってない)
 ため息をつきかけると、詩は芽衣と目が合った。足りない言葉を補ってあげられたらよかったのだが、詩自身も具体的には聞いていなかった。まごついていると、まあ、いいけど、と意外にも、芽衣は提案に同意した。
 ――部活、入ってないし。
 そうして、今日は茉白の行きつけの喫茶店で集合し、今後について話し合いをすることになっていた。詩の注文が済むと、茉白が切り出した。
「さて、揃ったから、早速会議を始めようか」
 話し合わなければならないことはなんだろうと、詩は頭の中で思い浮かべてみる。部の名前、誰を勧誘するか、顧問は誰に頼むのか、エトセトラ。その前に、純粋に気になっていることを訊いてみることにした。
「あの、一つ訊きたいことがあるんだけど」
 芽衣の顔を見ながら口にすると、芽衣は自身を指差しながら首を傾げた。
「どうして、茉白の誘いにOKしたの?」
 敢えて茉白の目の前で尋ねてみたのだが、茉白はクールな表情でブレンドを啜っている。芽衣はカップの把手を撫でながら、ぽつりと漏らした。
「たぶんだけど、菊池さんと同じような理由だと思うよ」
 細い三つ編みに地味な眼鏡をかけている芽衣は、女の子らしい女の子かは分からないが、守ってあげたくなる存在ではあった。茉白とは対照的だ。
(同じ、ってことは、これと言って大した理由はないってことかな)
 それから、詩はもう一つ別のことを考えた。
「詩、でいいよ」
 昔から、「菊池さん」は少し言いづらい苗字だと感じている。芽衣は頷く。
「芽衣でいいよ、わたしも」
 コーヒー豆の豊潤な香りが店内に漂っている。普段行くカフェとは違う雰囲気に、非日常感を覚えた。
 話し合いでまず言及されたのは、今後誰を勧誘していくか、についてだった。部を設立するには最低五人必要で、それが多ければ多いほど、恐らく申請は通りやすくなるだろう。
「同学年で帰宅部の人って、なかなかもういないんじゃないかな」
 詩がそう言うと、芽衣はこくりと頷く。
「掛け持ちしてもらう、あるいは引き抜くって手もあるけど、今のところ万人に受けそうな感じじゃないから――」
 詩が続けると、そうかな、と茉白は小首を傾げて、隣を見やった。芽衣は柔らかく笑むばかりだった。
「だから、一年生を勧誘するのがいい気がする」
 一年生なら、部活に所属していない生徒の割合が、二年生よりも高いはず。それに、茉白のファンを狙っていけば、容易に人数面は達成できそうだ。だが、
「あまり闇雲に誘っていくのはどうかと思う。部の理念に反する」
(理念なんてあったんだ……というか、まだ部じゃないし)
 詩が内心独り言ちると、芽衣が控えめに片手を上げた。はい、新井君、と茉白が促すと、芽衣でいいよ、と前置きしてから、「部活である必要あるの?」と投げかけた。
 それに対し、詩は同意を示そうとして、はたと立ち止まった。ちょっと前のやり取りを思い返す。茉白は、闇雲に誘うのはどうかと話していた。つまり、ここにいる顔触れは必然性というか、そういうものがあって集まっているらしい。茉白が詩と芽衣を勧誘したのには、二人が帰宅部だった点以外にちゃんと理由があるみたいだ。
(それが、部活である必要性にもつながる……?)
 ちらりと茉白を窺いつつ、
「でも、茉白は絶対に部活を作りたいんでしょ?」
 と訊いてみた。その答えを聞くよりも先に、芽衣が首を横に振った。
「そうじゃなくて、同好会でもいいんじゃない? という提案。同好会なら、三人でもう申請条件は満たしているわけだし」
 確かにそれはありだと、詩も感じた。これ以上部員を増やすつもりがあるのかどうか分からないが、同好会の方がハードルも低いはずだ。芽衣の提案に、茉白は腕を組んで目を瞑った。
「同好会じゃ革命は起こせない?」
「うーん、あまりしっくりこないな」
 どう違うんだ、と詩は心の中で突っ込みを入れた。もし茉白が嫌がるのなら、五人揃えるか、揃わなければ諦めるしかない。
(諦めた瞬間、わたしたちの関わりも途絶えてしまうのだろうか)
 まだ交わり出したばかりの線なのに、それはあまりにも寂しかった。
 話の方向をどうしようか迷いながら温かい飲み物を啜っていると、「はい」と芽衣がおずおずと片手を小さく上げた。
「はい、どうぞ」
「同好会は申請上の名目に過ぎないから、活動を行っていくうえでは、わたしたちで別の名前を付けたらいいんじゃないかな」
 別の名前、と詩が眉根を寄せると、芽衣はこくりと首を縦に振った。
「同盟を結ぶの。革命には同盟がふさわしい」
 そう告げられた刹那、茉白は身を前に乗り出して、芽衣の手をそっと包み込んだ。
「それだ! 素晴らしい、なんで今まで気がつかなかったんだ……」
 店内にほかのお客さんはいない。マスターだけがカウンターの向こう側で黙々と働いている。詩たちのやり取りがもし聞こえているのなら、そこからどんな想像を膨らませているだろう。
 茉白みたいに共感はできなかったものの、話し合いが一気に前に進んだ手応えはあった。詩はカップで口元を隠すようにして、薄く笑ってみせる。

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