3ヶ月毎日日記をつけてみた

11月 思い立ったように日記をつけ始めた。

「今月ももう15日かぁ。」「もう1年終わりなのかぁ。」
そうぼやくたびに、一体全体私は何をして生きてきたのだろうかと首を傾げてしまう日々だ。
自分の株を保つために言わせてもらうと、一応助産師として病院勤務をしている。
前から予測されていた未来。安定して入ってくる収入。衣食住に困らない毎日。
実家もそうそうに出て、さぞ立派に自立して社会人として暮らしている「風」である。自分は全くそう思えず、今の生活に嫌気が指すことが難度もある。でもなぜ?と追求されたらわからない。じゃあやりたいことは?と聞かれてもわからない。どうしたいのかわからない。自分のことがよくわからなくなってしまった。

これではいかん。私は焦って方法を考えた。

遡ること高校時代の私。
私はその当時、その日その時の私が大好きだったし、尊敬していた。受験生なのに毎日部活、朝6時には家を出て、学校、部活、塾をへて22時に帰宅する。今考えると鬼のようなスケジュールなのにも関わらず、毎日が楽しくて、幸せでたまらなかった。
今考えると幸せだったなぁ、とかそういう振り返ってみたらという話ではない。
その当時、毎日欠かさず日記をつけていた。日々の部活に関して、勉強に関してはそれぞれノートや手帳にログをとり、毎日見返して振り返っていた。
その当時の日記を見ても、毎日楽しい、幸せ、充実しているとなんかしらのことがかいてあるのだ。
記憶は曖昧だが、記録がそういっているのだから、事実とあっている感情なのだろう。

そう、記録がそういっているのだから、そうだったのだ。
記憶は美化されるし、誇張されるし、なんかしらの自分バイアスがかかる。
昨日何したか、くらいは覚えている。では一昨日何をしたか。だれとどんな会話をしたのか。自分は何について考え、どう思ったのか。次はどうしようかと思ったのか。何も覚えていることができないのだ。こうなったらもう、1日は長く、1年は瞬く間にすぎていく。
そんな曖昧な日々を、客観視してみる。後から振り返り、今の自分と比べてどうなのか。また同じことで悩んでるのか、昔悩んでいたことが解決しているのか。新しい考え方になっていたり、何かしらの変化は現れるのか。
過去の自分と比較し、行動を決めるのはとても有意義であり、合理的である。その手段として、日記、ライフログは有能なツールだと考えた。

とりあえず、形に拘らず、ノートに殴り書きをすることから初めて見た。
1週間、1ヶ月。
特に何も変わらない。
淡々とかく。見返りを求めずかく。
3ヶ月目、年が明けたため、ほぼにち手帳を使い始めた。
特に何も変わらない。

なんだよこれ!!つまらない!!

と投げ出そうとしたが、ふと1ヶ月前、2ヶ月前の日記のページを読んでみることにした。
すると、驚いた。
そこでふんわりと書かれていたことが、今まさに実現しようとしていたのである。
小さいことでいうと、ふるさと納税。やったことなくて手続きも面倒で足踏みしていたのが2ヶ月前。そこからマイナンバーカードを作り、自分の納税額を計算して注文し、申請し、今日ちょうど、最後の返礼品が手元に届いたところだった。
変化はもっとある。

・サウナに通うことが習慣化していた。
・今まで夜勤前後の過ごし方に5年間も迷っていたのに、ベストな過ごし方が見つかっていた。
・高校生までやっていた楽器をまた始めることになった
・食生活が徐々に改善していた(小麦粉の摂取量が格段に減っている)

など。
何も効果ないと思っていたが、きちんと効果は出ていた。思考が現実となる過程を感じ取ることができた。それだけで、なぜか達成感が生まれた。とっくに日々の中に紛れて終わっていた出来事が、あたかも金メダルをとったときのように輝いた記念日に見えた。
日記、日々のログをとることは、未来の自分へのご褒美なのだと実感した。
noteを書こうと思ったのも、日記のおかげかもしれない。
自分の頭の中でぐちゃぐちゃ考えているだけだと、疲れるのでその捌け口にしたいと思う。


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