見出し画像

いつかは、唐揚げを食べてる時にレタスが必要になる日が来る。

小さい頃はナスが食べられなかった。

というよりも野菜全般が受け付けなかった。
味付けにも好き嫌いがあって、シチューなどのクリーム類やマヨネーズもダメだった。
厳しい祖父には怒られ、食わず嫌いはダメだから、一口食べてみなさいとお皿に盛られた。
好き嫌いが多い自分はダメなのだと、幼いながらに自覚していたように思える。


みんなが楽しみにしている給食の時間。
私とっては地獄のようだった。
栄養バランスが考えられた、健康的な食事。
素材の味を活かすか、マヨネーズで仕上げるものも多い献立は、
白いご飯と牛乳以外食べられない時もあった。

好き嫌いというよりも、ほとんどアレルギーなのではないかと思うほどに、苦手な食べ物は口にした途端に吐き気を催していた。

そんな家庭でのことや、学校のことが積み重なり、食事は残してはいけない、嫌いな食べ物があること自体がよくないと思うようになっていった。

どんなに苦しくても全部食べないと、と思うようになったし、残している人を見て腹が立つようになった。
自分は無理して食べてるのに、なんであなたは残すんだ。
自分にも他人にもどんどん厳しくなっていった。


好きだから全部食べるのと、怒られないように全部食べる。
この二つは似ているようで全く違う。

大学に入ってからは、味覚も徐々に変化したのか、苦手だった食べ物もかなり食べられるようになった。
苦手なものほど、好きになった時の反動も大きい。
苦手だったナスもほぼ毎日食べるようになった。

だからこそ、好き嫌いしている子供を見かけると
大丈夫だよ、と言ってあげたくなる。
好き嫌いがあってもダメじゃないし、いつかは唐揚げ食べている時に、レタスが食べたくなる日が来る。だから今は唐揚げをたくさん食べていい。

むしろ、嫌いなことを嫌いと言えないで我慢したまま、大人になった方がまずかった。

世間的には残さないいい子なのだろうが、それを周りに強要する人、残している人を強く批判する人はいい子と言えるのだろうか。

たまに出てくる、意地悪な自分に気づくたびに、小さい頃大人の言うことを素直に聞いて、真面目に頑張ったんだな、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?