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家の味を作る。
麻婆茄子を作ろう、と思った。
長ネギと挽肉を胡麻油で炒める。
長ネギがない時は玉ねぎにしたっていいし、豚ひき肉の時もあれば、鶏ひき肉の時もある。
そこに乱切りにした茄子と、ニラを入れる。
茄子に火が通ってきたら、適当に、醤油、酒、鶏がら、豆板醤、少しの砂糖と山椒を加える。
油と調味料が混ざり合って、湯気がジュワジュワと立ち上っていく。
仕事終わりの夜ご飯は、いかに適当に、満足度の高いご飯が作れるかが重要だ。
一人暮らしを始めた大学生の頃は、麻婆茄子やチンジャオロースを作ろうとすれば、市販の素を使うしかなかった。
中華料理に留まらず、炊き込みご飯や筑前煮といった和食でさえも、素を使うことが、そのレシピなのだと思っていた。
「出汁の取り方が分かった上で、その手間を省くために素を使うのは構わない。
けれど、初めから素を使うのがレシピだと思ってしまうのは少し危ない。」
なんとなく受けていた講義の中で急に耳に入ってきた言葉だった。
出汁の取り方はおろか、基本的な料理にも素を使っていた自分だ。
素を使うのがレシピだと思ってしまったら、きっとそれを食べて育った子供も、麻婆茄子を作るには素を買わないとできない、と思ってしまう。
素を使うのが当たり前になった時、どの家も同じ味になって、"家庭の味"はいつか無くなってしまうのだろうか。
出来上がった麻婆茄子と、同時に作っていたレタスのスープをお皿へ盛り付ける。
帰宅後20分でこれだけ作れれば、きちんと生活できているという自信にもなる。
豆板醤や鶏がらスープ、オイスターソースなど、全ての材料を一から作るのは膨大な手間がかかる。
けれども、基本的な調味料の組み合わせで、幾通りもの料理になる。
そして、できそうな調味料は手作りしたり、アレンジしてみたりすればいい。
レシピとは、ラテン語の「受け取る」という言葉のレキピオが語源になっているという。
自分の作った料理が、家庭の味になっていく。
ほんの少しのクセやこだわり、適当ささえも
家庭の味となって食べる人が受け取ってくれればいいと思う。
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