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追いつく背中

思えば、この1年ばかりは、私にとって苦しい時期だった。
今も、抜け出したとは言えないけれど。

なぜ苦しかったのか。
それは、出逢う人出逢う人、みな私の一歩、二歩、三歩、、十歩も先をゆく人たちだったからだと、振り返ってみて思う。

もちろん、楽しかった時間もたくさんあった。
心から幸せを感じる時間もあった。

それでも、そうでないときに、私の中にいつも少なからず苦しい気持ちが居座っていたように思う。

私も、あんなふうになりたいのに、なれない。
心の底から楽しみたいのに、どこか、楽しみきれない自分。
みんなと同じように、心の底から喜びを感じたいのに、心の底から感動したいのに、そうできない自分がいる。

私だってそれを切望しているのに、同じ場面で、みんなと同じように楽しんだり、喜んだり、感動できない自分が心のどこかにいることが、本当にいやで。
許せなくて。苦しくて。

だから、私は嫉妬した。
素直に楽しめている、喜べている、感動できている、その心に。

みんなが幸せなその状況を、心から祝福できない醜い自分がそこにはいた。

心から誰かの幸せを祝福できるときも、もちろんあった。
いつもいつも苦しさを胸にかかえていたわけではないのだけれど、ふとしたときに、胸が苦しくなるときは、やっぱりあったんだ。

私もそこへ行きたい。
今自分がいる環境に心から感謝し、楽しめる世界へ。
心から幸せと喜びを感じられる世界へ。
人の幸せを心から祝福できる世界へ。
人の幸せを心から願うことができる世界へ。

そう思うのに、今ここにいる自分は、醜い嫉妬の心を持ち、みんなが楽しそうなのに、心から楽しめない自分がいることを苦々しく感じていて。
それを表にだせず、誰からも理解されないことに勝手に孤独を感じて。
表立って見せることができないから、その醜い心を押し込めて、笑顔になって、私も心から楽しんでいるように振る舞ったりしたときもあった。

嫉妬の心を持った自分をさらけ出すことで、嫌われるのが怖くて。
そんな醜い自分をみんなに見せることは、私のプライドが許さなくて。
私は、あたかもみんなと同じように楽しんでいるように見せた。

みんなと同じように、純粋に感じることができない苦しさを抱えながら。


そんなだから、きっと感覚の鋭い人は私から違和感を感じる瞬間もあったと思う。

素直に感じている感情を表現できずに、表に表す感情とは別の感情を腹の底に隠していたから、違和感を感じる人がいても当然だ。

だけど私の周りにいた人はみんな優しいから、そんな違和感を感じながらも、気のせいだと思ってその感覚を押し込めたり、感じないようにして私と接してくれた人もいたかもしれない。

違和感を感じさせてしまったこと、謝りたい。
私へのモヤモヤや違和感を感じた人、ごめんなさい。
それはきっと、私があなたの幸せや喜びを心から祝福できていなかったから。
嫉妬という醜い感情を、腹の底にかくしていたから。

だからといって、私はあなたのことが嫌いなわけではない。むしろ、好きだ。憧れでもある、と言える。ただ、羨む気持ちをどうしても持ってしまうのだ。

こんなふうに自分の気持ちを公表するのは、自殺行為だ。
私のリアルな知り合いの中には、これを読んで、私から離れる決断をする人もいるかもしれない。
それは私にとってとても怖いことだ。

noteにいるときの私とは違い、現実世界の私は、素直に感情を表に出すことができないことも多い。
嫌われるのが怖いし、そもそもとっさに出てくる自分の感情と向き合う訓練ができていない。

それでもここでは、正直な自分をさらけ出したいと思った。


何度も繰り返すけれど、私がこの1年ほどで出逢った人たちは、人生のフェーズも精神面も、私の何歩も先を歩いているように私には見えた。

それなのに、ほとんどの人は私より数年も年下なのだ。それが、私を余計に焦らせ、嫉妬の心を強くさせた。


私が喉から手が出るほどに行きたい世界を、みんなは歩んでいるように見えた。

いっときは、私もその仲間入りができたかのように錯覚していた時期もあった。
でも、根っこの部分の私は、変わっていなかった。

私はみんなが羨ましかった。
そして、まだそこへ到達できていない自分をいやでも自覚させられて、苦しかった。


でも、視点を少し変えてみると、羨ましくて仕方がない、私の先を歩くみんなの姿は、未来の私である、ともみることができると気がついた。

私は、変わりたい。
今、一歩も二歩も、十歩も先行くみんなの背中に追いつきたい。
そして、横に並んで歩きたい。

私は、みんなと一緒に、心から楽しさや喜び、感動を分かち合いたい。
みんなの幸せを心の底から祝福できるようになりたい。
みんなの幸せを心の底から願えるようになりたい。  

そう願いながらも、そうできない自分を見るのはとても苦しい。

それでも私は、その背中を未来の自分の姿と思って、いつかは追いつくその背中を見据えよう。

今は苦しいけれど、そんな自分がいることも認めて、自分なりの方法で歩んでいこう。


はる
2024.2.29

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