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自分の行く道を照らす一冊

先日、年末恒例の本棚整理を敢行しました。

リノベ後は、本を置くスペースを決め、そこから本が溢れないようにというルールを死守しています。

今年読んだ本だけでなく、ずっと置いてある本でも、本当に手元に置いておきたい本かをよーくよーく考えて、時には数日寝かせて決断しています。

そんな作業の途中では、その本を読んだときの心持ちや、印象に残った言葉や場面を思い出すこともしばしば。

今回は村上春樹氏の自伝的エッセイ『職業としての小説家』がそうでした。

学生結婚して、好きなジャズを聴いていたいと、ジャズをかけながらコーヒーやお酒や料理を出す店を国分寺に開いたり、ヤクルトの大ファンで、阪神戦を観に行っていたとき、阪神のバッターが二塁打を打ったときに、「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と思ったりしたエピソードなど、初めて聞く話を本人の口から聞いているような感じが楽しくて、あっという間に読了しました。

中でも特に印象に残っているのは、推敲にかける果てしないまでの情熱です。どのように書き直すかは二次的なもので、大事なのは、書き直すということそのもの、だそうです。「ここをもっとうまく書きなおしてやろう」と決意して机の前に腰を据え、文章に手を入れる、そういう姿勢そのものが何より重要な意味を持つと。

また、個人的ルールがあって「けちをつけられた部分があれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということだそうです。納得がいかなくてもとにかく書き直す。「読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです」と。どんなに完璧だと思っても、とにかく書き直すのだとか。「なぜならある文章が『完璧に書けている』なんてことは、実際にはあり得ないのですから」

ここ、肝に銘じたいところです。

たまーに、ほんとにたまーに、自分の翻訳した文章に「まさにこういうことを言っているよね」とうっとりしてしまうことが、うっかり、あります。そんな時は要注意。村上春樹氏でさえそう思うのですから。

また、「文学賞について」と題する章では、毎年盛り上がるノーベル文学賞の発表についても触れ、「何より大事なのは良き読者です。どのような文学賞も、勲章も、好意的な書評も、僕の本を身銭を切って買ってくれる読者に比べれば、実質的な意味を持ちません」とあります。

他にも、基礎体力を身につけることの大切さも書かれていて、この本はタイトル通り、自分の行く道を照らす一冊です。ぜったいに、手放しません!

ここで、先日読んだ小説を一冊ご紹介。
青山美智子氏の『月の立つ林で』。

一話一話は独立しているけれど、それぞれのキャストがつながって、つながって、連なり合っていくという青山さん独自の連作短編です。どれも少し切なさを併せ持つ話ですが、どこにでもいるふつうの人たちの心の奥の奥の奥にあるものを浮かび上がらせているような場面が多く、小説ってこれだよな、いろんな人が生きていることを改めて教えてくれるな、と思いました。
また、どの短編にも、ある男性によるポッドキャスト「ツキない話」が一貫して流れています。月にまつわるちょっとした話に「へぇー」と思ったり、優しい声のポッドキャストを実際に聴いているような感覚にもなりました。

そこで久しぶりにポッドキャストを覗いてみたら、なんとなんと、本作の刊行に合わせた青山さんのインタビューの配信があって、さっそく聴いてみることに。

今回なぜポッドキャストを軸にしたかという問いには、最近はSNSなどによって ”目が埋まっている” と知り合いが言っていたことを紹介していて、実は今、耳で聴くことにすごくニーズがあると感じると話していました。
目が埋まっている、とは、なかなか的を射た表現です。

さて、noteを始めてちょうど一年。
来年も力を入れすぎることなく、続けていきましょう!






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