『桃を煮るひと』

くどうれいん氏の『桃を煮るひと』を読んだ。

「家事なんかしている暇ないくらい忙しい自分と、
いきいきと夕飯を作る自分をどうしても両方やりたい」という本書の一節が書かれた帯にひかれた。

あー、私にもそういうところあるなー、と。

食にまつわるエッセイですが、その表現する言葉がとてもおもしろいし、あたたかい。言葉から受ける印象は、すなお。

私なら素通りしてしまいそうなことがらをキャッチして、作った言葉じゃない、お腹の底から感じている言葉が全編にわたって貫かれていて、とても心地よかった。

「当たり前という言葉が嫌。強烈ではない体験にも、おもしろさはあるんですよね」というのは本人の弁。

梅干しが嫌いな後輩のお弁当のご飯の真ん中に、小さなカリカリ梅が置かれていて、「もーらい」とそれを奪って口に放り込むと、その彼女が「赤く染まったご飯までが梅です」と恨めしそうにひとこと、とか、

友達の「頑張ろ」というツイートを「頬張ろ」と見間違えた、とか、

ダイエットしようと思ってその方法について検索していたら「ひとくちごとに微笑む」とあり、それを実践しようとした時の同居人さんのリアクション、とか、思わずニンマリと口元がゆるむお話が満載。

また、「立て続けに物事がうまくいかず、不貞腐れてしまうような日」にやることとして、Twitter検索で「焦げちゃった」を検索するという。その数々の「焦げちゃった」人たちとその料理写真を眺めていると、その多種多様性が「たいへんたのしい」、「いつの間にか自分のかなしみが萎んで元気が出ていることに気付く」と。そしてこう続く。
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「焦げちゃった」という語尾に表れる、てへへという空気にうっとりする。てへへ、と暮らしたいものだ。わたしも、どれだけ焦がしても「焦げちゃった」と笑える人間でありたい。
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ポイントは「焦げちゃった」であって、「焦げた」「焦がした」ではない。

私はこの本の出版社であるミシマ社もなんだか好きだ。
出版社としては、直取引を行うなど、細かい仕組みはよくわからないのだが、斬新な取り組みをされているらしい。
総合雑誌『ちゃぶ台』もたまに読んでいる。

「みんなのミシマガジン」も色々なジャンルがあってなかなかたのしい。

涼しくなったら本屋巡りを始めたいけれど、まだまだ先だなぁ。

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