『アレクシエーヴィチとの対話 「小さき人々」の声を求めて』
以前、アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』を読んで心が動いた。それまでこの作家を知らなかったし、2015年にノーベル文学賞を受賞していることも知らなかった。『戦争は女の顔をしていない』は、独ソ戦の兵士として戦った女性にインタビューを重ね、本にしたもの。その内容もさることながら、こうした聞き書きの作品をこれまであまり手にしたことがなく、新鮮だった。その後、他の著作も読んでみたいと思い、今年に入って本書を購入。NHKがアレクシエーヴィチと旅をしながら対話を重ねるというNHKスペシャルの制作がきっかけだったとある。その後も何度か対話を続けることになり、本書はその時の取材ノート18冊をもとに記されたものである。
仕事も重なりなかなか読み始められなくて、本を開いたのは偶然にもロシアによるウクライナ侵攻が始まった2月の終わり。本当なら、この本を読みながら、アフガニスタンやチェチェンへの侵攻、チェルノブイリの事故など、過去の事柄における「小さき人々」の声を聞くはずだった。それなのに、そこに書かれていることが今まさに21世紀の、今この瞬間に起きていると、つくづく恐ろしく、悲しく、愚かしく思いながら読んでいる。
著者の一人であるNHKの鎌倉氏によれば、2020 年8月、当時ベラルーシに住んでいた彼女は、大統領選挙の不正を訴えて設立された評議会の筆頭メンバーに選ばれ、活動していたが、そのことをきっかけに当局に拘束されたり、軟禁状態に置かれたりすることが続き、ついにドイツに出国したという。彼女にとって、亡命は初めてのことではない。彼女は今もベルリンに滞在し、その抵抗運動について、故郷で抵抗を続ける「小さき人々」と対話している。2021年にはメディアに対して「スターリン崇拝の潮流が復活してきている」と述べている。今、ベラルーシの市民は「ヨーロッパ最後の独裁者」ルカシェンコ大統領政権に立ち上がっており、同時に多くの死傷者を出し、多くの市民が拘禁されているという。
現在はロシアの同胞として位置するベラルーシについて彼女はこう述べている。
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ベラルーシの人々は、自分たちの国家を持ったことがほとんどない。ロシア革命直後わずか一年間の独立を宣言しただけで、瞬く間にソヴィエト連邦の一部に組み込まれている。以来、西側の諸外国から連邦国家中央を守るための緩衝地帯とされてきた。ポーランドに割譲されたり、ソ連側が奪回したり、大国の狭間でやりとりされた地域でもある。
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彼女は自身の言う「小さき人々」について、こう話す。
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「小さき人々」の物語はいつも取り上げられず、(中略)「小さき人々」の姿が消されていて、まったく存在していなかった。「小さき人々」の歴史が書かれていないことに気づいたのです。(中略)なぜ、通りを歩いている人々の姿はないのか。彼らの心はどこに行ってしまったのでしょう。(中略)その存在が、砂や嵐のように闇のかなたに埋もれてしまわないように、わたしは見向きもされてない歴史を書き留めようと思うのです、それこそが、教科書などには載らない本当の歴史です。
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アレクシエーヴィチは1948年、ウクライナ西部のスタニスラフでウクライナ人の母とベラルーシ人の父の間に生まれた。
アフガニスタン戦争でのソ連撤退の1年前の1988年には、さまざまな声を聞き取りに戦場まで足を運ぶ。
チェチェン戦争の際には、若者を戦争に送らせまいとする「兵士の母の会」と対話している。ここには少しの希望が見えたという。以前は、自分の命は国家のものというように誰もが思い込んでいたけれど、この時は、多くの若者、母親、父親が、つまり「小さき人々」が「これはわたしの人生だ」「私の命だ」「私の息子だ」と語るようになったと。
チェルノブイリ原発事故における「小さき人々」の声は、やるせなさでいっぱいになる。彼女は、東電原発事故後の福島も訪れている。
また、この本には「名もなき抑圧される人々」を見つめ、多くの作品を著した作家で在日朝鮮人の徐京植さんとの対話も収められている。
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いつも戦争か戦争の準備の中で生きてきた。(中略)「ただ生きていく」ということができない。(中略)また侵略攻撃というやり方で屈辱から立ち直ろうとする。
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私の想像や理解を超える話で、形容する言葉が見つからない、というのが正直な感想だ。人類は経験から学ばない。答えの出ない感情が体の中に満ち満ちていく。何度も読み返したくなる本、というより、きっと読み返さなくてはいけない本のような気がする。
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