『うたかたの恋』の感想の続き

ライブ配信を見てからかなり日が経ったけど、ふとした拍子にお芝居の一場面を思い出す。マリーの膝にすがったルドルフの表情や、かくれんぼをしていた幸せな時間、ルドルフと周りの人たちのちょっとしたやりとりや、にぎやかなお祭りのシーン、舞踏会で娘役さんたちのクラシックなドレスがひらめいたところとか、全部が懐かしい夢みたいに感じられて、自分のはまり具合にちょっと驚く。

パンフレットの、まるでトートといるみたいに頭蓋骨に顔を寄せているルドルフも好きだ。そして柚香さんがルドルフのことを「一番目に入る机の上の骸骨とピストルをいつも置いている」と書かれているのを読み返して、この死神に取りつかれたようなルドルフは原作に準拠しているのだと再認識した。

まどかちゃんが書いてらした「実際に彼女と向かうと、若さゆえ怖いもの知らずな言動に人間味を感じて」というところも、なるほど、と思った。言われてみると、今回のマリーはかなり天然でマイペースだった。見つけた銃をいきなり手に取ってルドルフを少しあわてさせたり、ルドルフがさりげなくつないだ手を凝視したり、マイヤーリンクについて語りだしたルドルフの顔をまじまじと見つめたり。

たしかにマリーってもともと、唐突に頭蓋骨を拝みだすような変わったところがあって、ルドルフにも新しい発見が多いみたいに言われていた。天然マイペース娘という解釈、とてもしっくりくる。

死の影を漂わせるルドルフとマイペースなマリー。国のために優れた指導者となるべく生きてきたルドルフにとって、型にはまらないマリーの言動はすごく新鮮だったのだろう。いわゆる「おもしれー女」というやつだ。公園で見かけたときから、その片鱗が感じられたのかもしれない。

マリーの自由な明るさだけがルドルフの死の影を払拭することができた。だからルドルフはすごい勢いでマリーにのめり込んでいく。二週間離れただけで指輪に永遠の愛を刻んでしまうし、マリーのほうから姿を消すと、、世界の終わりみたいな顔で自殺しかける。

先日書いた文の中に、心中の話が好きじゃないと書いたけど、見る角度が違っていたのかもしれない。ルドルフは心中したかったんじゃなくて、どうしても手を離せなかったのだ。だって、あんなに撃ちたくなさそうだった。

穏やかな表情でマリーに旅に出ようと言ったとき、ルドルフの心はすでに病んでいた。というか、ルドルフは日頃から頭蓋骨と銃をそばに置くほど病んでいる人だった。ルドルフが死の影に取りつかれていることと、いっときもマリーと離れられないことは、一番初めの大階段のシーンのときから、ひしひしと伝わってきていた。それは先行画像が出た時点で察せられた、今回の公演の一番の特徴だろう。

これほどまでの苦しみがなければ愛する人を撃てないだろうという逆算から出た苦しみ、でもあるのだろうか。それがあまりにも深い。つまりこれは心中を肯定する話ではないのだ。自分がここまでこの物語に惹かれるのが不思議だったのだが、そう認識して、ちょっと安心できた。

そうして改めて、病んだ心を抱えながらも、人間らしく生きようとあがいたルドルフをすごく好きだと思った。

そんな彼のそばに、彼を愛して最後まで寄り添いつづける強さを持ったマリーがいて、彼にあたたかな思いを寄せる人々がいて、彼とはあまり関係ないけど生き生きと暮らしている人々がいた。そう考えると、なんだかぐっと来る。

このお芝居の、人々のちょっとしたやりとりまでもが貴重な宝物みたいにキラキラ輝いて感じられるのは、狂おしいほどの苦しみの中にいたルドルフが見た光景だと思えるからなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?