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いま響く本。今だから響く本。

 きっと読書をする人には当たり前のことなのかもしれないのですが、
本にも「旬」があるんだなあ、
と感じる本との出会いがありました。この読後感をことばにしてみます。

 読み終えたのは森下典子さんの『日日是好日』。

 映像化された頃に書店で見かけて気になってはいたのですが、学生だった私は読書離れまっさかり。エッセーなのか小説なのかもつかみきれず、なんとなく「映像化されたほのぼの日常系のお話(?)」という認識に留まっていました。

 そんな見逃しから数年後。読んでみようと思ったきっかけは、父の薦めでした。

※父は読んでは売り、売っては買って読み漁る、「ヘビー読書ヤ―」。特別気に入った本は手元に残します。「父さんが売らずに置いているくらいの本だ」が本を薦めるときの決まり文句。

 筆者と茶道との、出会いから現在に至るまでの日々を綴ったエッセー。
筆者の心の動きとお茶を通して見つけた気づきが、
淡々と、それでいて色鮮やかに、紡がれています。

 じんわりと心に沁み入る15のメッセージ。

 すべて読み終えて、大きくも静かな感動とともに心に浮かんだのは、
「この本を見逃したあのとき、もしこれを読んでいたら、私はこんなに感動できた?」という問いかけでした。

 社会に出て働くようになり、文字通りの「忙殺」を体験した今だからこそ、この本は今の自分に響いているのかも。

 もともと季節の移ろいを感じるのが好きで、昔からよく散歩に出かけていました。風のにおい、道端の花、空の高さ。用事のない休日は決まって散歩にでかけました。

 その散歩がだんだんできなくなったのは、社会人1年目を終えるころ。平日の勤務に加えて休日・祝日も働いていたことも相まって(それと、温暖化による気候変動も?)か、その頃の私の「体内季節感」は薄まりに薄まっていました。
 お仕事のために日付は認識していても、「ひな祭り」「お月見」「ハロウィン」「クリスマス」といった季節の行事は、職場で話題になって初めて
「そうか、今日は〇〇の日か…」と思い出す始末。

 今思えば、「忙しさに殺されていた」数年間でした。

 季節を感じる悦びが当たり前だった学生の頃に、『日日是好日』を読んでいたら、共感はできたかもしれない。けれど、しみじみと感動するほどこの本を読み味わうことはできなかっただろうと思います。季節を感じられない状態を経て、それを抜け出した今だから、響いている。
 春に菜の花が柔らかくなるように、秋味と呼ばれる鮭がおいしいように、旬のものは味わい豊か。
 私にとって、この本の「旬」は、今でした。
 一度見逃したけれども、今、出会えてよかった。

 読書をするおもしろさはいろいろありますが、
「旬」を感じる、というおもしろさも、この本を通じて見つけられました。

 愛読書がまたひとつ、増えました。


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