G7雇用労働大臣会合ということで、倉敷駅周辺が何やらものものしい雰囲気で、厳しい警備体制が敷かれているらしい。
倉敷市でもそうなのだから、以前(といってもかなり前)参加した、2002年のヨハネスブルグサミットで見た、ものものしいどころか、半端じゃない警備体制を思い出す。
街のあちこちにバリケードが張られ、警察、機動隊、監視カメラがたくさん。
一部のビルは廃墟と化しており、その中を黒人の貧困層が乗っ取り、住まいがわりに使っているとの話も。
ヨハネスブルグでは、なぜそこまで警備が厳しくなるのか。
何から何を守ろうとしているのか。
なぜ、守らなければいけなくなるぐらい、誰かに攻撃されうる状況ができていたのか。
その根本は、南北問題における経済格差や、さらに根深いことには、十字軍の昔から続く差別や支配の歴史にまで及ぶ。
思わず攻撃してしまいたくなるような、耐えに耐えて、もう限界だ!と叫びたくなるような、経済の格差がそこにはあったからだ。
国を豊かに、世界を豊かにと先進個は声高に言う。
しかし、何度も何度もその言葉に騙されてきた、南側の諸国の人たちは限界を迎えていた。
テロと呼ばれる行為が許されるわけもないが、それが起きる背景に問題があるなら、根本的な解決が必要だ。
日本では、そこまでの格差は知られることもなく、今もなお子どもたちや貧困家庭では苦しみは絶えないが、それを知らない人たちにとってはどこ吹く風。
今から行われる会合も、やはりどこ吹く風。
会合が無事に始まり、無事に終わり、世界規模の問題が少しでも解決に向かうことを願う。
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