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ローカル線紀行#03 「三陸本線」(上)(八戸~釜石)


はじめに

三陸本線とは

三陸本線とは,仙台駅から八戸駅までを結ぶ鉄道路線の総称で,私が命名したものである.具体的には以下の路線を指す.

  1. 仙石東北ライン(仙台~石巻・女川)

  2. 石巻線(前谷地~石巻・女川)

  3. 気仙沼線(前谷地~気仙沼)

  4. 大船渡線(気仙沼~盛)

  5. 三陸鉄道(盛~久慈)

  6. 八戸線(久慈~八戸)

「三陸本線」の概念

なぜこの概念なのか

三陸海岸に向かう鉄道路線は,内陸部(東北本線)と連絡するものと,海岸沿いに走っていくものとがある.前者には以下のように独立した線名がある.

  • 石巻線

  • 大船渡線

  • 釜石線

  • 山田線

しかし,後者に関してはそうではない.前述のような6路線に細かく分割され,直通できない.これらの路線をすべて国鉄が建設するはずであったが,途中で頓挫しついに直通列車が走ることはなくなった.ほぼ全区間が「ローカル線」と化した瞬間である.震災後は一部区間がBRTに転換されたのでなおさらだ.

その一方,高速道路に目を向ければ,三陸自動車道が復興支援を目的に仙台から八戸まで全通しており,公共交通機関でのアクセスとしてはここを通る高速バスが一般的である.

つまり,「高速道路における三陸自動車道のような役割」がここにあるとみなした場合の仮称の線名が「三陸本線」といえよう.では,八戸から「三陸本線」をたどってみよう.

八戸線

八戸

時刻は朝6時前.本八戸駅から臨時快速列車に乗って陸奥湊駅へ.この駅でほとんどの乗客が下車した.私もこの人波に呑まれながら海岸へ向かった.朝の早くから市が開かれている.市は曜日ごとに開催地が変わり,日用品から海産物までさまざまなものを売る露店が並んでいる.地元の方が野菜を買っていった.とくに日曜日の「館鼻岸壁朝市」は非常に規模が大きく,観光客向けにスイーツも販売されている.

館鼻岸壁朝市

八戸線

再び列車に乗り込み一路南下する.陸奥湊駅を過ぎてもしばらく八戸の住宅地は続く.白銀駅をはさんで次に鮫駅に停まった.以前訪問したときに訪れた蕪島神社の最寄り駅である.弁財天が祀られており海上安全を祈願する神社であり,参拝者は頂上で3周すると幸運になるといわれる.そして,この神社の周辺は春から初夏にかけてのウミネコの繁殖地として知られ,空を舞う様子が観光資源となっている.

蕪島神社
種差海岸

鮫駅までは八戸市内線として機能してきた八戸線も,ここからは「三陸本線」色が強くなる.汽車は海岸の集落に沿って走り,途中には景勝地たる葦毛崎や種差海岸が見える.

ここからは大久喜や大蛇などの海岸段丘の上に立地する集落を一つ一つ結ぶように走っていく.ときおり防風林がベールになっている.海に近づく区間では太平洋が見渡せ,大海原の中に奇岩が屹立する.そうでなくとも,集落の家々の隙間からも海が顔ををのぞかせている.

種市の街を過ぎると再び海岸線に沿うようになる.高く上った太陽に砂浜が照らされている.段丘面の上から海を見渡せる箇所では,地元の方の車が駐車されていた.そうこうしているうち,列車はいったん内陸に入り久慈駅のホームに滑り込んだ.

久慈

久慈は「あまちゃん」のふるさととして知られる,久慈川と長内川に挟まれた港町である.三陸鉄道側の駅舎や観光案内所にも「あまちゃん」関連の展示がみられるくらいだ.とくに観光案内所では,小学生くらいの女の子が塗り絵の展示を興味深そうに見ていた.「北三陸鉄道再開」の看板や,関係者のサイン色紙まで幅広く展示があった.

観光案内所のパネル

駅からはバスに乗り久慈琥珀博物館に向かった.この地域の琥珀は白亜紀の樹脂が固まってできたものであり,加工品が芸術作品や工芸品,装飾品となっている.展示内容としては琥珀製のモザイク画やチェスセット,郵便ポストにはじまり「琥珀の中に入った昆虫の化石」まで,人文から自然まで,琥珀とのかかわりをもとにしている.久慈から産出されるのはなにも琥珀に限らず,ジェットと呼ばれる瀝青炭も豊富である.

三陸鉄道リアス線

「北リアス線」

久慈からは北リアス線に入る.この路線のうち,北半分の普代までは「国鉄久慈線」として開業したが3セクに転換され,南半分は最初から三陸鉄道として建設された.

汽車には「3.11 あの日を語り継ぐ みんなに思いを寄せて」のラッピングや「クウェート国からの支援に感謝いたします」の表示があった.この日はJR東日本の激安切符を使用する人が多く車内は満員であった.座席では老夫婦がうに弁当に舌鼓を打っている.

しばらくは八戸線区間同様に内陸を走り続ける.陸中野田駅あたりからは海が見えるようになるが,今でこそ穏やかな海とそこの手前にある防波堤の対比が甚だしい.

途中の安家川橋梁では,海岸側に国道45号,山側に三陸自動車道の橋梁が架かっており,国鉄時代からの撮影地として知られている.観光需要にこたえるように列車が一時停車した.窓のあたりに観光客のカメラが多く見えた.この先でも,海岸段丘の段丘崖や赤い橋梁が見えると撮影大会が車内で開催された.

安家川橋梁から見る国道45号
海岸段丘

普代を過ぎたあたりから本格的な海岸段丘の区間に入る.ほとんど平地がないため,ひたすらに長大トンネルを多用した線形をとらざるを得なかった.まるで「三陸メトロ」である.車内に轟音が響く.トンネルの間のわずかな灯り区間に駅が設けられている.えちごトキめき鉄道(旧北陸本線)の糸魚川~直江津の区間を彷彿とさせる.

田老

新田老で下車した.この駅の南方,集落から遠いところに田老駅があるが,2020年にこの駅が開業したことでこの駅はこの集落への玄関ではなくなっている.

駅からしばらく歩いたところに野球場が見える.銘板を見ると,「キットサクラサク野球場」となっていた.キットカットのロゴが小さく入っている.

このあたりに道の駅がある.三陸海岸のトレイルルートの拠点となっていて,周辺の解散・農産物が販売されている.案内所に入ると,かつての田老地区の姿を表したジオラマが設置されていた.3.11まではもっと海に近いところにも集落が広がり,人の営みがあった.ただ,東日本大震災のとき17mもの津波に襲われてしまったところである.

宮古市田老野球場

実際,漁港に行けば防潮堤が聳え立っており,そこから先に進むと過去3回の津波の高さを示すプレートが岩の上に備えられている.その近くの「たろう観光ホテル」は2回までをがらんどうにし,配管や非常階段をへし折った状態でなにか訴えたそうな目をしている.そして,このホテルのあたりは地震の前よりも2m以上も南東にずれたそうだ.

田老観光ホテル

この先には三王岩がある.白亜紀の地層が風化されて形成された奇岩で,その名のとおり3つの岩からなっている.こちらに至るまでにもごつごつとした岩や東日本大震災でも耐えた松の木があり興味深い.

この日は別の用事があったので,宮古からは山田線に乗って盛岡を目指した.

宮古

別の日に改めて宮古に向かった.このときはすでに日が落ちていたので,夕飯として「瓶ドン」を食した.そのあと,市内に宿泊した.ゲストハウスであったので,ほかの宿泊者によるイギリス旅行談義を聞くことができた.

瓶ドンは2018年ごろに生まれた宮古の新名物で,ウニを牛乳瓶に入れて出荷していたことに着想を得たものである.たっぷりと牛乳瓶に詰められたさまざまな種類の海鮮をスプーンで取り出し,ご飯と一緒に食べる.なかなかに斬新である.

瓶ドン

翌朝,市街を抜けて浄土ヶ浜まで歩いた.途中に巨大な堤防で覆われた漁港があった.震災後,防災のために設置されたものであろう.人間の清朝の3倍くらいはありそうなほどで,威圧的な風貌であった.わずかな窓から港と漁船を見渡すことができた.その間隙からは朝日が昇ってきた.

宮古漁港

「浄土の如し」とまで歌われた絶景はこの先である.4000万年ほど前に形成された流紋岩が大量に鎮座しており,岩の下には碧い海が広がる.白亜の岩の上には植生がみられ,橙色の空に映えている.

浄土ヶ浜

街に戻ると,目抜き通りにバスが走っていた.個人商店をメインにして,2階建ての建物が林立しており,お年寄りが体操をしている.

「中リアス線」

ここから乗るのは震災前まで盛岡からの「山田線」だった区間である.車窓に映る地形もここから南ではリアス海岸に変わる.復興にあたって,この区間をBRT化する計画もあったが,バス路線が並行していることやJRがこの路線の復旧に消極的であったこともあり三陸鉄道への移管が決まった.2019年からは前後の区間と合わせて「三陸鉄道リアス線」として,通学生や観光客を乗せて日々走っている.

三陸鉄道線

宮古の市街を抜け,釜石に向けベージュの汽車が走り出す.家々が少なくなり,海沿いの集落に沿って南に向かう.津軽石で最初の交換.駅名看板の根元にコスモスが可憐に咲いており,濃い灰色の駅舎に映える.

このあたりからは豊間根川を遡上していきながら,沿線の集落にこまめに止まっていく.沿線の各駅から学生が乗ってきた.どの駅も新しいものである.線路も駅舎も,みんなそうだ.なかでも陸中山田駅には子育て支援施設が併設され,震災後の街づくりがうかがえた.オランダ島も姿をのぞかせた.陸中山田を出てしばらくは海岸沿いに小集落が並ぶようになるが,海側には家がみられず,山側ばかりに人が住んでいるのが目に見えてわかるようになる.

海沿いの集落

大槌駅からはツアー客が大量に乗ってきた.海側には防波堤に薄の原,山側には住宅地,という景観が流れてくる.あまりにも対比的である.鵜住居には2019年のラグビーW杯の会場になったラグビー場,震災関連の博物館ができるなど整備が進む.山側には店舗や住宅が立ち並んでいる.

両石あたりからまた内陸に入り峠を越えた.汽車は釜石に到着した.先ほどの学生とツアー客がすべてこの駅で下車していった.再び空いた車内で一路盛を目指す.

鵜住居駅
釜石駅

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