断片的なもの

帰り道にふと右を見たときに木々の向こうに見えた空が印象派の絵画のようなパステル調のピンク色をしていたこと、それが少し立ちぼうけているあいだにも赤く赤く映っていて、そう遠くない未来には消えてしまうだろうことと、偶然今に居合わせたことの幸運を思った

シロツメクサが群れて咲き広がる時期が来たのだなと思いながら、10年も昔の自分が少しだけ蘇り、今の自分の中にちゃんといるのだなと思った

特別支援学校の送迎バスの中にいた子どもたちは窓から乗り出さんばかりにすごいパワーで外を眺めていて、中でもある男の子の外、そしてそこにいた私を見つめる瞳の純白さにしばらくぼうと意識を取られた

帰り道すれ違った、ベビーカーを押す女性はマスクをつけていなかったのもあって、そのだいぶ意識的に作られた優しい笑顔が顕になっていて、多分あのベビーカーの中の赤ちゃんはいつもあの笑顔を向けられているのだろうと思った

コンビニの手前、片手で紐をもって犬を引き連れ、片手でビニール袋を持って歩く男の子とすれ違い、18時半の今、彼はきっとお母さんに晩ごはんのために急なお使いを頼まれたのかな、とか思いながら通り過ぎた、そして私はきっと前髪を切りすぎた女子高生が黙々と帰路についているように他の人の目には映っている

ずっと建っていた家の一つが何かの機械(名前は忘れた)で壊されている途中で、その家になんの愛着もないけれど、その壊れてもう物質的には存在しなくなった部分と断面を見ながら呆気ないな、とだけ思った

「断面的なものの社会学」を朝少し読んだだけなのに、感動や感銘といった大きかったり決定的な感情は何一つ抱かなかったのに、日々の厖大さがどこか頭の片隅に残り、これは私にとっては大切なのだろうと朧気に思う そんな本を読みすすめていたとき、「これは私にはかけないな」と反射的に思った文があった(難しい数学の問題の解答を読みながら、この発想は無理だよと呆れ笑いする感覚に近い)そう思ったのは初めてな気がした

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という破壊的で妙におさまりの良い魅惑的なこの言葉は、小説「檸檬」の主人公にとって、丸善にしかけた爆弾みたいだな、ああ愉快だ!

人生には排水溝を眺めるだけの時間があっていいという又吉さんの言葉を心の盾にする日々

これを書いて早15分、もう空の赤さはどこにもない、あれをあのとき見た人しか知らないものになった

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