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俯瞰

「5月きっちりに5月病がくるわけじゃないからね」
一段と人の少ない教室を見渡して、ゆるくどこか分かった口調で、先生が言った言葉

すごく普通に、大学生活が楽しい
とても正しく
みんなに囲まれている間はそのことしか考えてない
今度集まろーね!って、今は自然と口から出ている
俯瞰しなくなった
それを今日付のまわった帰り道に思い返している時点で、根っこは全然変わっていない
きっとそこまでは変われないし、変わるのは怖い、まだこういう思考が働くところに自らのアイデンティティが滲んでいるから

高校の頃は、面倒くさい、って一緒に言える相手がいた
その友達に5月会った ほんとうは楽しいはずの私の日々なのに、一歩引いて、大して覚えていない過去を飾った発言ばかりした、面倒くさい、って言った その友達からは、もう同じトーンの返答はきけなかった 本当に楽しいこと以外堂々と興味を示さず、面倒くさいと自由に言っていた友達はもういない 目の前を受け入れず、何かもっと良かったはずの道があったという幻想に囚われる。俯瞰は往々にして目の前の人々への(結果的な)軽蔑に結びつく。私だけが何も変わっていないどころか、単純に醜い人間になっている。というより、元からあった自分がかわいいがだけの醜さがやっと浮き彫りになった

うまくいくとは思っていない この先また何度も自分の醜さと何もなさと不器用さを切に認識し、苦しい思いをしていく あるいはみんなに受け入れられてそれが嬉しいだけの何も考えずに済む日々が続いていく どちらにせよ、怖い 
けれど、私のこれからの日々は、憧れの方へ行くことになる 今まで何も動かなかったことを忘れるようにして、自分のことを好きになれる日が来る
俯瞰をやめた先には、人にどう思われるかではなく自分が本当はどうしたいかで動けるようになって、恥をたくさんかいて、いっぱい傷つきながらも、最後にはすべてが愛おしく、これこそ愉快だと言える日が来る そんな覚悟を、決める

どっちにしたって、自分はすごく恵まれているし、運が良かったから
何を言ったって罪深いままだから、せめて、全部から逃げないことを、決める

とかいって、ほんとうは自分の内面世界はまっさらで、誰かが下書きしに来ることを意識的に待ってしまっている 何かをつくり、描くのは、ほかでもない自分なんだということを、骨の髄まで分かる6月にする

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