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ギリシャ神話の話9 テセウス7 アテナイ編 中編

「あの若者はなんだったのであろうか」
マラトンへケモノ退治に向かったテセウスの背中に担いだ剣を見て、なにか頭にかかった靄を取り払うように記憶を手繰るアイゲウス。
なにか大事な約束だったような、しかし剣を用いての約束?はて?となり思い出すことは出来なかった。
「うーむ、思い出せん・・・」
しきりに唸り首を捻るアイゲウス。
その様子を見ていたメデイアは嫌な予感は感じつつも、さらりと流すよう訴える。
「きっとどこかに置き忘れてきた剣に似ていただけでは?ほら若い頃よく冒険に出ていたって言ってましたし」
「うーん、冒険、そうだったかな。そうかもしれん。」
うんうんと頷きいったん忘れようと努めることにする。
果たしてテセウスは帰ってくるのだろうか?いやマラトンのケモノは尋常ではない強さだ。
クレタの王子は殺されたし、アテナイからも討伐軍を幾度も送ったが全て返り討ちにあっている。
一人で立ち向かうのは無謀と言うものだろう。
帰ってくるとすればその強さに恐れおののき逃げ帰ってくるという選択以外はないであろう。
逃げ帰ってきたのであればそれはそれで仕方ない。
その時に改めて剣について聞くとしよう。
そう考えをまとめたアイゲウスは木のコップに注いだ葡萄酒をゴクリと飲み干した。

「マラトンの牛倒してきたでー!」
バーンと扉が開くと馴染みの酒屋のような気さくさで開口一番テセウスはそう叫んだ。
その声に驚きアイゲウスとメデイアは口に含んでいた葡萄酒を噴き出した。
「エホッゲホッなんだ?マラトンのケモノを倒しただと!?そんなわけがあるか!」
メデイアは葡萄酒で汚れた口の端を腕で拭うとそう問いただした。
「いや、ほんまやて。ほれその首」
ドンッと背負っていたマラトンのケモノである牡牛の首を床に置いた。
「バカモノ!ここに置くな!」
「いや疑うから証拠として持ってきたんやけども」
「衛兵!この首をすぐに片付けろ!」
メデイアは兵士へ首を下げるように命令する。
「おお、名も知らぬ若者よ!よくぞ牡牛を討伐した!」
アイゲウスは両手を挙げてテセウスの功をねぎらった。
「まずは宴だ!この若者の偉大な功績をみなで祝おうではないか!」
子供のように喜ぶアイゲウスと笑顔で応えるテセウス、そんな二人の姿を苦々しく睨みつけるメデイアであった。

「して、どのようにあのマラトンの怪物を倒したのだ?」
アイゲウスはテセウスに冒険話を欲しがる子供のように語りかけた。
そんな興奮冷めやらぬアイゲウスに対しテセウスは幾分か冷めており
「え、いや怪物ってかただの牛やったで」
「そんなはずないであろう?ただの牛に我がアテナイの精強な軍が破れるはずがないではないか」
「そんなん言われても」
「どのような方法で倒したのだ?やはり一人で挑んだのだから罠のようなものを使ったのか?」
「牛のとこまで行ったらな、ワイの姿見てな興奮してるみたいで」
「おお!チャレンジャーが現れたことに興奮したのだな!」
「ほんで牛が一直線にワイの方に向かってきてな」
「ここから手に汗握る戦いが始まるわけだ!」
「そのまま拳で殴ったら死んじゃった」
「え、ワンパン・・・?」
「せやねん」
「ワンパンであの軍をも退ける怪物を?」
「せやねん」
今までのあの大いなる苦労は何だったのだ・・・と嘆くようにアイゲウスは机に突っ伏す。
テセウスはなんだか申し訳ないとばかりに後頭部を掻き口をへの字に曲げる。

「それにしてもワンパン・・・」
アイゲウスは暗闇広がる夜空を見上げじっと見つめる。
領土の安寧を図るため討伐に送った精兵たち、その精兵を鍛え養うための多くの物資、そしてそれらが無惨に散って行った恐ろしいケモノ。
かつてはケモノを生み出したクレタ王国やアテナイの近隣の地に解き放ったヘラクレスを恨みもした。
そして偉大なる祖国であるアテナイ国を、クレタ国というちっぽけな島国の属国まがいに貶めたあのケモノを。
「ワンパン・・・」
『英雄が生まれれば世は変わる』
そう聞くものの英雄とはかくも只人には残酷な存在なのか。
しかし残酷な現実を突きつける英雄であったとしても、その英雄がアテナイを訪ねてくれたのだ。
アテナイを、いやギリシャを盤石な体勢に支えていくためには、逃がしてはならん。そうだ。うむうむ。
と百面相のように顔色を変えながら様々な思考を巡らすアイゲウスをテセウスは果実酒のグラスを傾けつつ怪訝な顔で見つめる。

そしてそんな二人の話に耳を傾ける女性が一人。
メデイアだ。
メデイアは圧倒的な強者の力を持つテセウスをこのまま留め置いて良いものか熟考する。
テセウスは自身を脅かす存在となるのではないか、それとも円環のように繋がっていく自身の呪われた運命を変える存在なのか。
ふとテセウスを見るとグラスが空いているように見える。
どうやら果実酒が好きなようで、先程からグイグイと飲み干している。
いったん自身の迷いは置いておき、主賓に飲み物でも注いでやるかと水差しを手に持ち英雄の元へと向かった。

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