見出し画像

ギリシャ神話の話9 テセウス5 アテナイへの道 中編3

vsレスラーおじさん

「もうじきアテナイか」
海辺の町エレウシスに着いたテセウスは海向こう彼方にある故郷の地を懐かしんでいた。
一通り海辺の景色を楽しんだのち、町の外れが盛り上がってるのに気が付いた。
どうやらレスリングの興行を行っているようで、格闘技をやるのも見るのも好きだったテセウスはせっかくだからと足を運ぶ。

レスリングは地元のトロイゼンでも盛んに行われており、体が大きく力自慢でもあったテセウスは地元じゃ負けなしだった。
しかし世界は広い。まだ見ぬ自身よりも強いレスラーがきっといると確信していたテセウスは、大都市そばのこの町なら自身よりも強靭なレスラーがいるに違いないと期待に胸を膨らませ観戦していた。
そんな夢見る男の子の夢はあっけなく崩れ去った。
三試合ほど見ていたが自身よりも強者と呼べる選手はおらず、今すぐ戦ったとしてもものの数秒で決着がついてしまいそうな軟弱な選手だらけだった。
ガッカリした顔で試合を見ていたテセウスに観客の一人が話しかけてきた。
「あんちゃん、なんや期待外れな顔してんな」
「せやねん。みんなヘタレなレスラーばっかでこんなん盛り上がらんわ」
テセウスのその言葉を聞きケタケタと笑う観客のおじさん。
何がそんなにおかしいんだとテセウスは
「なんか理由あったり・・・?」
と問う。
その問いに答えるかのようにうんうんと頷くおじさん。
「せやねん、原因はアイツや」
おじさんは顎で試合場の方を指す。その先にはテセウスを越える身の丈の大男が気だるそうに立っていた。
「あいつ、強そうやな」
テセウスがボソリと呟くとおじさんは歯を食いしばる。奥歯をギリリと噛みしめる音が聞こえた気がした。
「このエレシウスで、いやアテナイでもトップクラスのレスラーや」
「そんな強いなら、なんでその男を誇らないんや?」
「殺すんや」
テセウスが投げた疑問に躊躇うことなくおじさんはそう返した。
「どういうこっちゃ?殺すって穏やかじゃあらへんな」
「アイツはケルキュオン。98戦98勝と試合には負けなし。そしてアイツに負けた相手はそのまま殺してまうんや」
対戦相手を殺す・・・。そんな凶暴なレスラーがいることに驚きを隠せないテセウスは、ケルキュオンから視線を逸らせずにいた。
先程から見ていても自身よりも強そうな相手はケルキュオン以外存在しなかった。腕を試すならケルキュオンだが、負ければ待っているのは『死』だ。

「試合始まるで」
おじさんがそう声をかけると対戦相手はケルキュオンに向かって一直線に駆けだした。
レスリングは打撃が禁止で、基本は組んでからの投げか締めあいとなる。
そのためバランスを取りにくいお互いの背面をいかに取り合うかが試合のカギとなる。
対戦相手の若者はケルキュオンの目前でステップを踏み、ケルキュオンの背中を取ろうと横っ飛びし一気に回り込んだ。
背後からケルキュオンの腰回りを掴むと引き落とそうと腰を沈める、がケルキュオンは微動だにしない。
ケルキュオンの体感の強さを感じ取った締めに移行しようと、ケルキュオンの背後から首元に巻き付くように絡みつき首元を締める。
がケルキュオンは締めあげてくる腕を虫でもつまむように軽く払い、残った腕の手首を掴むと強引にそのまま地面に投げつける。
───ビタンッ!!!
会場内に轟いていた歓声はその猟奇的な光景に一瞬で静まり返った。
ケルキュオンは静まり返った会場に響き渡る声で豪快に笑った。
「ハッハー俺が最強の男や!この勝利を我が偉大なる父ヘファイストスに捧げたるわ!」
神の血を引いた男。つまりあいつも英雄候補というわけか。テセウスは残虐なレスラーを見やり不敵に笑った。
「アイツが有望なレスラーを次々に殺していくせいで、この町のレスリングはアイツに牛耳られてしまったんた」
観客のおじさんはそう言うと奥歯を噛みしめケルキュオンを激しく睨みつける。

「誰か他におとんへの生贄になりたい小動物はおらんかー!?」
ケルキュオンは試合場内をグルリと周りそう告げる。
会場中から憎々し気な視線を浴びせられるが、誰も名乗りをあげる者はいなかった。
ケルキュオンはフンと鼻を鳴らし会場を後にしようとする。
「所詮は胆の据わっていない小動物どもやな、レスリングでなくなんでもありでも構へんで!」
上機嫌で笑いながら去っていく背中に浴びせかける様に響き渡る声が一つあがった。

「わいがやったるわ!」
テセウスはヒラリと柵を乗り越えると試合場内を進み仁王立ちでケルキュオンを不敵に睨みつける。
口元には少し笑みを浮かべ腕を組み顎を少し傾げる。
その様を見たケルキュオンは「アホが」と呟くとその巨躯を一歩また一歩とテセウスに近づいていく。
「お前の得意なルールは?レスリングか?ボクシングか?それともおままごとか?」
不敵に笑いながらそう尋ねるケルキュオンにテセウスはただ一言告げる。
「パンクラチオン(何でもあり)や!」
そう言い放つテセウスの気勢にケルキュオンは噴き出し笑いだす。
「ハッハッ随分ふかしたな坊主!手加減はせんで!」
そう言いテセウスに向かって駆けだしてきたケルキュオン。
両の手を広げテセウスを包み込み締めあげようと迫る。
テセウスは半身を前に出し拳を自身の顔の前に上げると、その拳を弾丸のように一気にケルキュオスに解き放った。
拳はケルキュオスにめりこみ、ケルキュオスの顔を支点に宙を舞うケルキュオス。
やがて一回転、二回転と舞った体はベシャリと地面に落下した。
ピクピクと痙攣するケルキュオス。
前方に放った拳を再び自身の顔の前に戻すテセウス。そして構えを解き、解いた拳を再び握り高く天に向かい突き上げる。
───────ゥォォォオオオオオオッッ!!
遅れてくる地鳴りのように会場中がテセウスの勝利を祝い叫びをあげる。
叫びながらテセウスを称えるように手を打ち鳴らすものもいれば、ケルキュオスの恐怖から解放されたことに喜び涙を流すものもいた。
テセウスは会場中を見回すようにグルリとその場で身を回すと、会場中に手を振りながらゆっくりと歩み試合場から出ていった。

「あんさん!すげーな!」
先程声をかけてきた観客のおじさんが去り行くテセウスに声を掛けた。
「なんでもありなら、まッあんなもんですわ」
テセウスは自慢げにそう言うと胸を張る。
「あんさんのおかげでまた少し平和な町になりますわ、ほんまおおきに」
「ええんやで、未来の英雄ならこれくらい朝飯前ですわ」
それだけ言うとテセウスはまた町を出て旅に出た。
去っていく未来の英雄の背中が見えなくなるまでおじさんは手を振り続けた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?