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日本文化人類学会@北大に参加してきた

この週末は北大で開催の日本文化人類学会へ。めっちゃ勉強になった。無職な中でなかなかの出費だったけど笑、行ってよかった。

発表テーマが本当にいろいろで、聴けた発表だけでも(何個も並行してやってる)、アイヌ、原爆、ハンセン病、水俣、ホロコースト、葬送行為、仮埋葬・震災、パプアニューギニア・月経処理、江戸時代・遊廓、東祖谷・給水システム、モザンビーク・結婚観、フィリピン・気候アクティビズム・・・とかとか、扱っている対象や地域、事象がこんなにも多様。

あとはこれまで学んできた理系や経済学との違いをすごく感じた。自然科学系だと先行研究で明らかになっていないことについて、仮説を立てて、対象を選定して、適切な実験や調査をして、一つの正解を出す。人類学だとフィールドで何かの事象に出会ってそこから問いが立って、それを説明する言葉や概念を人類学含め先行研究に求めつつ、論じる。フィールドともたまたま出会ってて、そのフィールドである理由は特に求められない。最終的な考察・結論も唯一の正解はなくて、人によって違くて、どう捉えたかの話。

なんだろう、自然科学だとバックキャスト的と言えばいいのかな。人類学は矢印が逆。私の生き方もそんな感じだな、行き当たりばったりだし。笑

そもそもの前提がこれだけ違うと、お互い(主には自然科学から人文社会科学に対して?)理解できないのもまあわかる気がした。もっと両方混ざればいいと思う。実務者と研究者もだけど、異分野の研究者同士も。

あとはほとんど触れたことのなかったアイヌについて知れたのもよかった。前日にウポポイに行って、アイヌの歴史や文化について見たり体験できてすごい満足〜と思ってた。北大のキャンパスは緑が豊かで川もあって芝生もあってすごい素敵だな〜と思ってた。でも、分科会で話を聞いて足元からすごい崩れた感じがした。

・北大の札幌キャンパスがある土地には、明治初頭まで川があってその傍らにコタン(集落)があった。それを枯らして今はアスファルトの道路、コンクリートの建物、人工の水路がある。
・キャンパス内にはアイヌの納骨堂がある。かつて北大の研究者が持ち去ったもので、今も遺骨の返還が求められている。

・「何もない空間」につくられた大学、博物館などの「施設」。それはなぜそこにあるのか。何が消され、見えなくなっているのか。(施設をつくった者には)そもそも見えなかったし、今も見えないのではないか。過去の問題ではなく現在の問題。
・博物館の展示物と見学者を隔てるガラスの「壁」は、空間的に展示物と人間を分け、時間的に過去と自分たちが生きる現在と分ける「安全装置」になっている。

私は知らなくて見えてなかったし、たぶん切り分けられていたからこそ(安心して)見れていたような気もする。

過去の責任を誰がどう負うのかをテーマにした分科会もあった。
・無関係の自分がなぜ引き受けなければならないのか(ノン・モラル問題)
・一方で、我々は過去の迫害によって受益した社会に生きている(連累)。民族責任論に移行するのは危ういが。

時に当事者に厳しいことを言われながらも、目の前の不正義に対して、研究者個人として引き受ける何らかの実践を行ってきた話をきいて、すごく価値のあるというか、すごくすごく大事なことをしていると思った。人文系の学者がやっていることの価値を金銭的に表すことは難しいかもしれないけど、いなかったら今も「見えない」ことがたくさんあるんだろうと思う(いたことによって踏み躙られてしまった歴史もあるんだろうけど)。

未来の自分が見てもよくわからなそうな乱文だけど、雑でも書いていかないと書きたいこと溜まっていくし忘れていくのでとりあえず。

北大の札幌キャンパス

キャンパス内を流れる「川」
奥に見えるのが北大アイヌ納骨堂
札幌農学校第二農場。中は農機具などがいろいろ展示されてた。

ウポポイ

チセ(家)
チセの中。正面の窓からカムイ(神)がやってくる。
イヨマンテ(カムイを送り返す儀式)


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