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アメリカで暮らして感じる他愛もない話

春の花が咲き始め、風景にピンクや黄色が加わるようになってきました。
陽射しはだいぶ暖かくなったとはいえ朝晩はまだ寒く、夜の明けきっていない夫の出勤時車の窓は凍っているし、息子の登校時には芝生や屋根が白く凍って朝日にきらきらと光っている日もあります。

しゃべる家電たち

そんな寒さの中、うっかり気を抜いてトイレに座ると「ひっ」となります。
そうです。暖房便座ではないのです。
もちろん、ウォシュレットもありません。

日本のトイレはどこもきれいで、便座は暖かく、ウォシュレットでお尻は気持ちがいい。入ったら自動でふたが開いて、用事が済んだら流してくれて、除菌までしてくれて、またふたを閉めておいてくれます。

お風呂に入れば蛇口を軽く押したり下げたりするだけで、快適な温度のお湯が出てきます。
お風呂はボタンひとつで適温適量のお湯が準備され、音声で知らせてくれます。
洗濯機も炊飯器も静か~に働いて、出来上がったら音声のお知らせ。
あちこちで誰か(何か)がしゃべってる!
ここは夢のワンダーランド??

こちらにはしゃべる家電はありません。日本のようなふんわり優しい雰囲気は皆無です。
トイレは前述の通り。何のファンシーさもありません。
お風呂は、温まれないのが一番辛く悲しいことですが、それは諦めたとしても、シャワーはえいっと気合を入れて動かさないとお湯が出てこないような重くて固い蛇口だったり、ちょうどいい温度のお湯になるまではあれこれと調整する必要がある上に、とうとうちょうどいい温度にはならないこともままあります。
洗濯機はガタガタバタバタと大きな音をたて、終わったからといって教えてくれることはありません。静かになるからわかりますけど。

アメリカでは、AppleやTeslaなど革新的なものが生まれる一方で、生活に関しては古くて不便を容認しています。家事はなるべくしたくない、楽な方がいいと思っている人が多いのにも関わらず、それぞれの使い心地には無頓着なようです。そもそもやる気がないから興味もないのかな?

しかしながら、こんなにもワンダーランドな日本の家庭にどうしてないのだろう?と気になっているものもあります。
乾燥機と食洗機です。

実家に帰って洗濯をすると、洗って干して畳んでと結構な手間だなーと改めて感じます。ちゃんと乾かないこともあるし。シワにもなるし。
その点乾燥機はとても便利です。お天気も時間も考えなくていいし、シーツなど大きなものを洗う時でも干す場所を考えずにすみます。

食洗機もありがたいです。
こちらの台所のほとんどに備わっているのは、鍋やフライパンも入るような大きなものなので、食事が終わった後、鍋もお皿もさっと下洗いして入れるだけで済んでしまうのです。お酒を飲んで眠くなっても、そのくらいならなんとかなります。

今時の家庭には、これらはもうデフォルトですか?
仕事に家事にと忙しい日本の家庭にもぜひ導入して、みなさんに楽して欲しい!
スペースの問題で難しいところもあるのかなとも思いますが、空間利用の上手さは世界に誇る日本人です。うまいことできますよ。きっと。

なにはともあれ、力の入れどころが違うのだなぁというところは興味深いです。

心づかい

食洗機といえば、少し前、古い古い食洗機が壊れたので新しいものと取り替えました。
いろいろ調べて結局決めたのはドイツ製です。

取り付けてみると、ナイフやフォークが重ならない工夫がされていたり、上の段も十分に洗える工夫がされていたりと、それまで使っていたアメリカ製と要所要所が少しずつ違ってさりげなく便利なのです。
さすがドイツ人。

どうやらアメリカでは、メーカー側が、使う人の心地良さを追求して商品開発をすることは重視されないようです。
大きければいいとか、楽ならばいいとか、大雑把なアメリカ人らしいと思うのでした。

日本人のユーザー目線ってすごいですよね。

こちらに来て、例えばマヨネーズやピーナツバターなど新品の時についている内蓋がきれいにすんなりはがれるということは滅多にありません。
袋が手だけできれいに開けられるなんてことも稀です。
日本ってなんていい国!とつくづく感じます。

サービス

随分前ですが、夜中に到着する便で帰国し、空港内のホテルに1泊したことがあります。
深夜0時を回ってのチュックインだったにも関わらずとても親切な対応で、久しぶりで慣れなくてどきどきしてしまいました。
さらに、何か少し口に入れてから眠りたいと思ってロビーに降りたら、そんな時間にも関わらず、用意できるものを一生懸命出してくださって、なんてありがたいのだろうと思いました。

これがもしアメリカのホテルだったら、面倒くさそうに「自販機でナッツでも買っておけ」とか言われても「ああそうか」と思うしかありません。

デパートで友人へのお土産のお菓子を購入した時は、雨が降っていたので「新しい紙袋入れておきますね」ときれいな袋を別に準備してくれただけでなく、ビニールをかけて濡れないようにしてくれました。

お惣菜を買えば、パックをビニールに入れ、保冷剤を入れ、それをさらに紙袋に入れてくれたりもします。

これが、滝沢クリステルさんの言うところの「お・も・て・な・し」でしょうか。
なんて素晴らしいのでしょう。

でもこれら、アメリカ暮らしが長くなると、やり過ぎ感もどうしても感じてしまうのです。
なぜなら、これって、コストがかかっているからです。

こちらでは、「人件費」はとても意識されています。
例えば、家の中の何かの調子が悪くて誰かに見てもらわなければならないといった場合、その人が実際来たところで特にできることはなかったとしても「出張費」や「派遣料」といった項目でその技術者の人が対応した時間分のお金は取られます。

レストランだったら、良いサービスを提供してくれたウェイターさんにはチップを上乗せして感謝の意を示すことができます。

昔々祖父母が生きていた頃、近所の電気屋さんで家電を買って、調子が悪くなったと電話すればほいほいと見にきてくれて、祖母なんて電球が切れちゃったのよーなんて、取り替えてもらったりもしていたような気がします。

こちらで暮らしてみたら、それは「搾取」だったんだなーと気づいたのです。
「サービス」をするためには、誰かが無理しなければいけなかったり、余計な時間働かなくてはならなかったり、本来不必要な備品を使ったりしているのです。
それも計算済みで、価格や人件費に反映されているのなら問題はないのですけど。
消費者側としては、やっぱり、与えられたものにはそれなりの対価を支払わなければ成り立たないという意識を忘れてはならないのではないかなと思うのです。

こちらでは、人に何かやってもらう時にお金がかかるのは当然なのです。
だから、自分でやれることは自分でやる人も多いのでしょう。
我が家も節約のため、新しい食洗機も夫が取り付けてくれましたし、乾燥機が壊れた、下水が詰まった、ブラインドが壊れた…とあちこち調子が悪くても、夫がYoutubeなどを見ながら一生懸命直してくれます。
そうやって自分で直そうとすると、あまりにもハイテクだと無理だから、家の中がハイテク化しないという事情もあるのかもしれないと思ったりもします。

環境への負荷

先程少し触れた過剰包装。これはちょっと考えた方がよさそうですね。

日本でスーパーに買い物に行くと、新鮮できれーいにそろった野菜やお肉やお魚がきれーいにパックされて売っています。
なんてきれいなんだろう〜、なんておいしそうなんだろう〜と毎回帰るたびに感激します。何度でもスーパーに通いたい!!
でも、ちょっと待てよ。
エコバック持参でと言う前に、ああいった包装を減らしてもいいのでは?
そんなにみんなきれいでなくてもいいのでは?

こちらでは、不揃いだったり傷ついたりしている野菜も構わずがっつり積まれていて、自分で好きなものを好きな分だけ買うことができます。
ビニール袋や紙袋が備え付けられているのでそれに入れてもいいし、自分が持ってきた袋に入れてもいいし、そのまま何にも入れずに買っていくこともできます。
ゴミゼロ生活を実践している人もいるそうですよ。そういった個人のニーズにも応えてくれます。

例えば野菜だったら、たまねぎや白菜を切ったら中が真っ茶色なんてこともあって最初はショッキングでしたがもう慣れました。
自分で選んで買っていてもそういうのに当たることもあるのです。農家の人だってわからずに出荷することもあるでしょう。
そんなことをいちいち気にしていたら、そこにまたコストがかかってしまうー。
不揃いだって、ちょっとくらい傷があったって、家庭で食べる分には構わないじゃないって思いましょうよ。
きれいなのは素晴らしいけれど、消費者も農家さんも商店も、もう少しおおらかな気持ちになれたらみんなが楽になるのでは。

お菓子の袋も、お詫びに伺う場合にはダメかもしれないですが、友達に渡すなら、雨で濡れちゃったよゴメンでも大丈夫じゃないかな。
何回も何回も包まなくても、持ち帰ることができさえすれば大丈夫じゃないかな。
なんて思ったりします。

電気

これも環境への負荷になりますが、電気のことも気になっています。

震災の直後に帰国したとき「節電であちこち暗くて」と言われましたが、こちらの暗さに慣れていた私にはちっとも暗く感じませんでした。
空港に到着した時の明るさにも驚くし、実家の食堂の電気の眩しさにも慣れるまで数日かかります。
街も、朝まで明るい。

明るいのは治安維持のためにはいいのかもしれません。
でも、もう少し暗くても暮らせますよ〜とも思います。

いつまでも明るいと、いつまでも仕事をしなきゃいけない雰囲気になるし、いつまでも外で飲み歩いてもいいような気分になるのでは?
こちらでは、私たちの住んでいるような田舎では日が暮れたらすっかり暗くなりますし、サンフランシスコのような都市でも、夜には結構暗くなります。
お酒が飲めるお店も、せいぜい深夜の2時頃までしかやっていません。

暗くなったら気持ちを落ち着けて寝る。そして朝日とともに目覚める。
早起きアメリカ人が多いのは、夜暗いのも一つの要因なのかもと思います。

経済

私は、お金の教育というのはほとんど受けずに育ちました。
アメリカでは、小学校低学年の頃からお金の教育を受けていて「Earn, Save, Spend, Donate」と習っています。

先日、ロックフェラーについての話を見た時に、一番最初に就職した時の帳簿係としてのお給料を、三分の一は寄付、三分の一は貯金、残りの三分の一で生活というように使ったとあって、アメリカ!!この頃からか!!と思ってしまいました。

そんななので、例えば、家計にある程度の余裕があるならば、家の掃除や庭の掃除、子供の世話などを誰かを雇ってお願いするのは経済を回すためだという意識があります。
自分がサボりたいからだけではないのです。
稼げる自分は稼げる仕事をしてもっと稼ぐから、それ以外の仕事はやってくれる人にお願いすれば、その人だって収入が得られるじゃないというわけです。

これはつまり、先程のサービスの話にも続いていると思います。
自分が使ったお金は回り回って結局自分に影響するものとなるのだから、賢く使うべきということです。
少しでも安いものを!タダでなんでもやってくれ!と望んでいては、結局経済が悪くなって自分に返ってきてしまうというわけです。

アメリカは消費社会でモノを大切にしない人が多く、「もったいない」意識を持っている日本で生まれ育った私には納得できないことも山ほどあります。
一方で、個人個人が経済を回していくんだというその意識は見習いたい部分でもあります。

アメリカの格差はものすごいけれど、こういう経済の回し方をしているからなんとかある程度回っている部分もあるのかなと感じたりもします。


さて、すっかり長くなってしまったので、今日のところはこの辺りまでとします。
日頃から感じていることをつらつらと書き連ねてしまいました。
ここまで読んでくださってありがとうございます!

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