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毛玉


ある朝目を覚ますと、ほんの目と鼻の先、私が頭を乗せている枕の端っこに、白い毛玉があった。

小さめのプチトマトくらいのそれはふわふわして、誰かがそこにそっと置いたのか、それともまるで長い時間そこにあったのか、使い古した水色の枕の上にちょこんと乗っていた。

私はその真っ白いふわふわの毛玉を、目覚めたままの横向きの体勢のままぼんやりと眺めた。

埃とか糸くずの塊じゃなく、なにか生き物の毛玉のように思えた。

綺麗だな。

飽きもせずじっと見つめる。寝起きの頭も手伝ってか、私はその毛玉がどこから来たのか、なぜここに落ちているのか、それ以上考えることはしなかった。

あまりにも近いところにあるせいか、手に取ることもしたくない。ただ、見ていたかった。

私は毛玉を見つめながら静かに呼吸し続けている。私の吐く息がかすかに毛玉をくすぐっている。その細い細い毛先が私の吐息で撫でつけられ、まるで小さな生き物が肩をすくめて縮こまっているように見えた。

少し吐く息を強めると、吹き飛ぶか吹き飛ばないかのところで全体がけなげに震えている。

こんな小さな、取るに足らないようなものが、こうして見ているとなんと美しく見えることか。

ふわふわの真っ白な毛玉。ここにある白は、なんと優しく温かい色味だろう。懐かしいのに新鮮で、どれだけ見ていても飽きない。もしもこの毛玉より小さくなってこの中に包まれたら、どんなに心地よく幸せだろう。

吐息で震える白い毛玉が、なんだか生き物のように思えてきた。

ふいに私は思い出した。昔飼っていた白い犬。こんな無垢な白じゃなく、かろうじて白と言えるくらいのくすんだ毛の色だったけど。

私に懐いていた。もみくちゃに撫でられるのが好きだった。私が忙しさにかまけて撫でるのをおろそかにすると、よく癇癪を起した。

ドッグフード以外は何でも大喜びで平らげた。ときどき脱走した。強くもないのに喧嘩っ早く、一度他の犬に大怪我をさせられた。正直賢くはなかった。

強情で手を焼いた。何度も叱った。それでもわからないと、時折手をあげた。少しも学ばなかった。すぐに忘れた。だから私に相変わらず懐いた。

年老いて、ますますくすんだ毛色になって、最後は痩せこけて骨が浮き出て、おぼつかない足取りは弱弱しさと痛々しさを際立たせた。

歩けなくなって、自分で立ち上がれなくなって、それからは長くなかった。それでも最後まで私に懐いてくれた。


そこで不意に、あの子を感じた。私は唐突にすべてを理解した。

あの子が今、ここにいる。
私と一緒に、私の中にいる。
この白い毛玉はあの子のエッセンスだ。この無垢な白は、あの子のまっすぐな愛情そのものだ。

あの子にしかできないやり方で私の前に現れてくれたんだ。私に見つけてほしかったから。
何も言わず、似ても似つかない姿で現れても、私が気づくと思ったから。

胸が熱くなって、毛玉が大きくにじんだ。私はまだ動かない。身体を動かしたくなかった。何も喋らない。何も言葉は要らない。

私は目の前の毛玉を見つめている。時間も忘れて、私は包まれていた。

他には誰もいなくなってしまったような感覚の中で、ただあの子と一緒にいることを感じていた。


次に目を開けると、やっぱり白い毛玉があった。よくよく見ると、さほど白くはなかった。小さな黄色いかけらのようなものが点々と付いていた。


枕の向こう側に、棒だけの状態になった私の耳かきが落ちていた。




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