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私たちはこれを待っていた!のか?

映画感想文 『チャーリーズ・エンジェル』(2019) 監督: エリザベス・バンクス

本当に幸せなことに、私には「あの時に戻れたら」ということがない。いつだって今が一番楽しい。それに、その時その時に積み上げてしまった黒歴史を思い出すと、とてもじゃないけど戻れる気にはなれない。かつての若者特有の見栄とか勘違いに起因する言動を受け入れきれていない。とはいえ、昔は良かったとか、些細な記憶が美しい思い出に成り上がっていたりとか、そういう過去の美化をおもいがけず行っていることもある。

キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リューを揃えた『チャーリーズ・エンジェル』はスターの宝庫みたいな映画で、『オーシャンズ11』女版のポテンシャルをバキバキに秘めていながらも『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』でラジー賞を受賞するレベルで大ゴケした。セクシャルな描写やバカっぽい描かれ方はあったにせよ、当時には珍しく「女性のエンパワーメント」的な見方もできる映画だったのに、『フルスロットル』はちょっと馬鹿すぎた。それでも、『チャーリーズ・エンジェル』は面白かった。制作にドリュー・バリモアが入ってるもの良かった。3人の持ち味が活かされてて。

そこにきての、10年越しのリブート。エリザベス・バンクスが監督・脚本・出演という3足のわらじで始まり、製作総指揮にはドリュー・バリモアがしっかりと名を連ねている。エンジェルたちはというと、クリステン・スチュワート、ナオミ・スコット、エラ・バリンスカ。クリステン・スチュワートは良いとして、ナオミ・スコットは『アラジン』で有名になったもののまだ駆け出し。エラ・バリンスカに至っては知る人は少ない。(イギリスでは、母親であるロレイン・パスカルは著名らしいのだけれど)うーん、正直、10年前を超えられない。

クリステン・スチュワートといえば、ウディ・アレンにも出たりして結構な存在感と演技力が光ってるんだけど、トワイライト』や『スノーホワイト』で綺麗だけどエラが張ってて、やたらに白く笑わない、みたいな印象が強くて。そのうえ、プライベートの奔放な様子ばかり注目されちゃってるから勿体ないなーと思っていたんだけど。今回の、このデキる女なんだけど軽薄で、でも情はあるキャラクターがすごくハマっていた。脚本的に、いや雑じゃない?急じゃない?ってところを、よくわからない説得力でねじ伏せてきた。バックグラウンドもなんでそうなったのかも、過去も語られないのに、クリステン・スチュワートの言動一つひとつがキャラクターを作り上げていた。すごい。

ナオミ・スコットはコメディエンヌ具合が良い感じで、正直ダイバーシティの観点でインド系入れたのかなとか思ってたけど、普通にはまり役。MIT主席卒業でテクノロジーにむちゃくちゃ強いってのも、まぁインド人的な配役ではありつつ、賢さとうっかりさんのバランスが良い。広瀬アリスに似てる。オーバーなリアクションが似合うんですよね。実質の主役で、エンジェルじゃないんだけど最終的には仲間になっていくっていう流れも、これまでの『チャーリーズ・エンジェル』とは違って新鮮でした。

そしてエラ・バリンスカ。美しさと強さを兼ね備えている雰囲気は抜群で、ひたすらにカッコいい。これは脚本のせいなのか、泣きの演技のシーンは突拍子もないというか、お遊戯会的な雰囲気があって、なんだこの茶番はみたいな気持ちにはなったけど。というか、色気をさせてみたり泣かせてみたり踊らせてみたり、ちょっとやらせすぎじゃない?キャラクターが定まらなかったんだよなぁ。これはこういうものなんだ!ってねじ伏せる迫力はなく。クリステン・スチュワートより見せ場も要素も多かったのに、全く張り合えなかった。共演シーン、全部食われたよね。

冒頭、このご時世に凄まじい男尊女卑野郎が出てきて、それをクリステン・スチュワートがやり込める。私のことは私が選択する、という言葉は今作全体を通じての言葉ではあるのだけれど、いささか説教臭い。そもそも、全体的に中途半端だったのかもしれない。10年前の要素、セクシーだったり、突拍子がなかったり、いきなり雰囲気変わって踊りだしたり、みたいなファニーな要素を取り入れてるんだけど、振り切れてないというか。賢さを足そうとしてしまって、その結果、馬鹿っぽくなりすぎたというか。

女性のエンパワーメント、強さ、みたいなのが全面に出ていて、そこにエリザベス・バンクスの作家性は感じたんです。でも主張が強すぎて、物語のバランス死んでない?私たちって『チャーリーズ・エンジェル』にそんなことを求めていたっけ?そんなに男を悪に仕立て上げたかったっけ?姑息な男尊女卑野郎も、強欲な起業家も、享楽的な投資家もみんな男で、いやいやそうじゃないじゃん。ここから先はどう表現してもネタバレになっちゃうんで、なんも言えないんですけど、私たちは有能な、もしくは優しい、もしくは常識的な男性とはバンバン手を組んでいきたいし、チャーリーという最高にナイスな男性と一緒にこれ以上になくセクシーでチャーミングな美女たちが問題を解決していくのが楽しかったんじゃないの。

『チャーリーズ・エンジェル』じゃなかったら、お金のかかったB級映画的にものすごく楽しかった。日本ではコロナど真ん中で公開されたので話題にはならなかったし、興行収入を見ると難しいかもしれないけど、続編があるならみたい。あのクリステン・スチュワートがもう一度見たい。それでも、私が求めていた黄金の『チャーリーズ・エンジェル』ではなかった。『チャーリーズ・エンジェル』ってもっと、女も男も手を取り合えてたよね。んで、女でも男でも、嫌な奴はぶっ飛ばしたでしょ。美化しているかもしれないけれど、私が求めていたのはそういう『チャーリーズ・エンジェル』だったよ。



ネタバレ含む私だったこうした
・最初に死ぬ優秀なボスレーは女に(殺されて来た優秀な女たちの象徴)
・次のボスレーは男(腹を見せない、裏切るのか裏切らないのか...?誠実な男性)
・黒幕の投資家は女(女でもクソはいる)
・最後のエンジェルたちに男を混ぜる(男っていうか、トランス的な人がいても良かったよね。男っぽい女とか、女っぽい男とか)
・チャーリーは実は女は採用(純粋にエンパワーメント)

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