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【建築家 砂越陽介】"無の空間"が人々を引き寄せる×祖父の残した工具に導かれて

まえがき

撮影:松野貴則 11-1Studioを運営する
建築家の砂越陽介さん

「まだ、ここに、在る」

その事実が、時に僕たちの心を救ってくれる。

古書ばかり揃えた図書館、駅前ロータリーに立ち並ぶ彫像とベンチ、海辺の砂浜、鉄骨のさびれた歩道橋。

時間の流れはいつも残酷である。過ぎていく一分一秒を大切に宝箱に閉まってありのままを眺めることも、あの頃に戻ることも許されない。

それでも、僕たちは生きていかなければならない。

そんな日常の中で、ふと頼りにしたい何かを求める時に、いつも辿り着いてしまう場所。

そこに、僕たちの思い出は確かに刻まれている。

池袋と板橋のちょうど真ん中に位置する
シェアスペース「11-1Studio」を運営する
建築家・砂越陽介さんにインタビューをさせていただいた。

公共空間に美しさを感じる砂越さん。その佇まいも、まさに「そこに在る」安心感を醸し出している。

この場所が生まれた経緯を紐解くことで、私たちが自分らしく自由に現代を生きていくヒントが見えてくる。


祖父の遺した工具が未来を照らす

撮影:松野貴則 東京都板橋区南町にある11-1Studio

この11-1Studioはどのような場所なのでしょうか。

テーマの一つに「公の場」があります。だから、生活感はなるべく出さないようにしてますね。

あと、なんて言ったらいいのか......。

この場所そのものが誰のモノにもならない
「無の空間」と言いましょうか。
イスにしろ、テーブルにしろ、バラせる状態にしてあるんです。

例えば、店舗建築とかだと、すべてがコンセプトに向かって揃っていることが多いですよね。アンティーク調で、すごいお洒落な家具をばらばらに持ってきているカフェとかあるじゃないですか。

ここはそういう場所じゃないんです。
全部をどかして、自由にカスタマイズできる形にしてある。

「してある」というより、自然とこうなりました。

この場のあり方として、
それが一番適してると感じているんです。

撮影:松野貴則 お爺様の残された昭和の工具

この場所は、そもそも砂越さんのご家族が所有していたのでしょうか?

そうですね。実は、自分の祖父がここでアイロン台の工場を営んでいたんです。

祖父の二人の子供、つまり、母と叔母は二人とも女性なので、この工場は継ぎませんでした。

祖父が廃業してからは、しばらく祖父の道具が置かれるだけの倉庫になっていたので、そこを僕が引き取ったんです。

祖父が元気だった頃は、この裏のガレージで趣味の彫刻をやったり、仕事場として使っていたんですけどね。

僕も建築家として独立して、自分の建築事務所を持ちたいと考えていた時に、どうせこの場所が空いているなら、ここでやろうと。

最初はいわゆる、今どきの格好良い事務所にしたかったんです。

現在のカフェスペースやイベントスペースというのは全く考えていなくて。ただ、1階の作業場に放置されていた祖父の工具を整理しなきゃいけなくなって、一つ一つ掘り出していく内に考えが変わったんです。

多分、戦後の経済成長あたりのモノだと思うんですけど、まだ使えるものばかりなんですよね。今の工具は5年とかでちゃんと壊れるように作られているじゃないですか。

当時はそういうことを何も考えずに、多分すごい頑丈に作ってるんですよ。機構も単純なので、なかなか壊れない。そういう貴重なものがたくさんここには眠っていました。

そういうところに魅了されて、「何かうまく活かしていきたいなぁ……」って思い始めたのが、この場所を考えるきっかけになりました。

あとは、ちょうど祖父の彫刻刀とかもまだ残っていて。仕事を辞めた後も、この作業場で、仏像の木彫を掘ってたんですよね。

祖父の工具を整理しながら、そういう思い出や歴史的な価値とも向き合うきっかけにもなったんです。

モノづくりとお喋りが好きな祖父の姿

撮影:松野貴則 砂越さんのお爺様が作られたアイロン台

お爺様はどのような方だったんですか。

元々、青森の宮大工の家に生まれて、そこから上京してきたようです。だから大工道具は、そこから持ってきたんだと思います。

それで、こういうアイロン台を作って、クリーニング屋さんに納めていたんですよね。それが、ちょうど戦後の、経済成長の時ですかね。

なので、日本社会ではサラリーマンという職業やホテルとかも増えていった頃。

リネンシャツが一般的に広く使われ始めて、それに合わせ、クリーニング屋も増えていった時代だったんですよね。

それで、祖父がこういうアイロン台が必要になるだろうと。

蒸気抜き穴などを取り入れたり、あとは、シャツの襟に紙の型を入れるようにしたり、アイロン台に関する特許もいくつか取っていたみたいです。

撮影:松野貴則 古い街並みを残す11-1Studioの周辺

そういうお爺様の職人としての姿を傍で見て、砂越さんも建築家の道を歩んだのでしょうか?

いや、実は直接的な関係はあまりないと思います(笑)

自分の生まれは埼玉県の和光市で、早稲田大学に進学してからも、同じ場所に住んでいました。

祖父が亡くなると、祖母と叔母だけの二人暮らしになってしまうので、僕たち家族もこっちに引っ越すことになったんです。

ちょうど、私が大学院に進学した頃ですかね。

それまでは、確かにここによく遊びには来ていたんですけど、正直、祖父が何をやっている人なのか、よく分かってなかったんですよ。この工場の一人社長だったんですけど、そういう認識も当時はありませんでした。

高校の技術工作とかあるじゃないですか。そういう時に意見をもらったりとかしてたんですけど。「物を作るのが、すごい好きな人なんだなぁ」っていうぐらいの認識で(笑)

しかも、職人特有の縦社会みたいな堅いイメージも全然なくて、とにかく優しいんですね。

近所の人の壊れた物を勝手に直しちゃったり、頼まれてもないのに作っちゃったりする人で。

結構、街の人たちと交流していて、お喋りするのも好きだったんじゃないかなぁと思います。

町の景観を自分なりの方法で守りたい

撮影:松野貴則 砂越さんが設計を手がけた庁舎

では、建築の道に歩むようになったのは、どのようなきっかけだったのでしょう。

潜在的な経験を辿っていくとしたら、幼少期にあると思います。

子供の頃にゲームを買ってもらえなくて、遊園地の絵を描いて、料金体系じゃないですけど、システムなどを想像していたんですね。

いわゆる、おままごとしながら”創作”に没頭するような子供でした。

あとは、模型とか好きだったんですよね。しかもロボットとかじゃなくて、現存する建物とかお城の。

そういう歴史モノだったり、開かれた建築物は幼少期の頃から好きだったんです。そんな中、世間的に注目を集めるようになったのが建築家・安藤忠雄さんでした。安藤さんを通して、僕は建築家という仕事を知ったんです。

建築学科って、一応理工系なんです。理工系なんだけど、建築家たちはすごい文化を語るんですよね。それがすごい良いなって思って。

ものを作りつつ、文化も語れる姿に憧れたんです。

撮影:松野貴則 通行人が覗く11-1Studioの玄関窓

建築家としての道を歩みながら、11-1Studioの活動もされるのには、どのような想いがあるのでしょうか?

このようなシェアスペースを運営するようになったのは、大きく分けると2つの理由があります。

一つは、先ほどもお話ししたように、祖父の工具が残っていて、そこに価値を見出したこと。

そして、もう1つが工務店や材木屋がこの道沿いに集中していたということです。

祖父の工具を見つけ始めた頃、同時にこの町の景観も目に入るようになり始めました。東京でこれだけ工場が密集しているのは珍しいなって。

何をやってるか分からないけど、作業音が聞こえて、職人さんみたいな人が出入りして、向こうへ行けば、材木屋の凄い木が立ってる。

そういう何気ない風景が、ここにある意味を考えるようになったんです。

ただ、それは何もしなければ、事業承継されずに消えていくんですね。実際、近くの家具工場の隣にあったコイル工場は、今や駐車場になってしまいました。

放っておけば、ここも普通の街になってしまう……。そういう状況を何とかしたいと思ってしまったんです。

直接、事業承継に自分は関われないけど、何か違う方法、違う方向性を示したいなって。

そうした時に、自分がこの町工場を継ぐことで、何かが変わるかもしれないと考えるようになったんです。

公共空間×シェアスペースに込めた”美意識”

撮影:松野貴則 自由に動かせる家具たち

実際にこの場所を受け継いでいくことを決めて、すぐに現在のシェアスペースの構想が浮かんだのでしょうか?

それは徐々にですね。

思考を重ねていく内に、自分のこれまでやってきた建築の仕事と繋がるようになりました。

自分が勤めてた設計事務所が公共建築を多く手掛けていたんですね。例えば図書館とか、公立大学とか。

「あらゆる人に開かれた公の場所」に対する美意識や魅力は僕の中に、ずっとありました。

税金を使って建物を建てることって、一歩間違うとすごい箱物感にもなるのですが、一方で時代を映すことにも繋がるんですね。そういう面白さもあって。

だからこの場所も公共的な「開かれた場所」として作り変えたいと考えるようになりました。

撮影:松野貴則 砂越さんが前職で担当した大分にある大学の図書館

砂越さんの中で公共建築を手掛けることに、どんな面白みを感じるんでしょうか。

公共建築って無駄なことができないんですよ。 無駄な装飾をつければ、どんどん削られてしまいます。でも、例えば、「屋根を無くそう!」とかって、そういうことにはならないじゃないですか。

だから、そういう無くせない構造の部分を工夫するのが面白くて。華美な装飾よりも、どちらかというと機能性の中に美しさがあったり、逆に美しさの中に機能性があるような。そういう意識はありますね。

その美意識をこの11-1Studioにも投影していきたいと考えるようになったんです。

11-1Studioが建築家の感性を磨く

撮影:松野貴則 守っていきたい町を見守る砂越さん

今後、この11-1Studioはどのような場所になっていくのでしょう。

まずは、この場所をいろんな人が出入りして、
人が流れていく”流動的な場所”にするっていうのは常にあります。

あとは、設計事務所をやりながら、ここを運営することが第一の目的でした。11-1Studioと設計事務所。この2つをうまく回していく。

最初は、11-1Studioの運営を自分が100やる。そして2年目は 大体70ぐらいやって、残りの30ぐらいを使ってくれる人に任せる。3年目になる去年は50:50。今年は自分が11-1Studioに関わるのは30にして、設計事務所に70ぐらいかけていく。

多くの人のおかげで、少しずつ、僕の理想が叶っていっているような状況で、これからも、この流れは変わらないと思います。

撮影:松野貴則 11-1Studio前に座る砂越さん。会ったこともないお爺様の面影を感じて

多くの方が11-1Studioを利用しに来る。これもまた、建築設計の中に活かせる何かがあるのでしょうか?

そうですね、そこがすごい面白くて。
公共建築って、今の人たちがどういう集まり方をしたいかとか、 どういう戦略を持って生きていきたいかみたいなのが、結構反映されるものなんですね。

公共建築の利用者は、ごくごく一般の人たち。
建築物を構想する時、役所の方から色々な要望も当然上がっては来るんですけど、そういうのだけ見ていても、あまり面白いアイデアって出てこないんですね。

ベンチを増やしてほしいとか、 そういう想定できるアイデアが多くなってしまう。本当に生きた情報って、なかなか手に入りにくいんです。

それがこの場所なら、間近でいろんな人たちのリアルな姿が見られるじゃないですか。それはすごく生きてくるんじゃないかなっていうのは感じます。
実際の肌感でしか感じられないものって確かにありますよね。

一過性の流行っていうのも、もちろん建築としては大切なのかもしれないけど、もっと根底にある、何かに触れる感じ。

その時代の流行とか、人々に刺さる欲求というよりは、生活をしていく上での価値観とか、もっと言えば、こういう暮らしがしたいという美意識みたいなもの。

言語として上がってこないものを、いかに掘り下げて、組み込むか。
それが、結構面白いところなんですよね。

飲食店、写真展、交流セミナー、ワークショップ、講演会イベントなど、多くの人たちに多種多様な使い方をしてもらうことで、流行ではなくて、その時々の”時代性”を11-1Studioでは感じているんです。

プロフィール

撮影:松野貴則 

建築家 砂越陽介
建築事務所をいくつか経験したのち、自身で事務所を立ち上げる。

祖父の遺した工場をシェアスペースとして開放して、多くの人々が利用できる場所として運営。

飲食店、写真展、舞台、映画上映イベント、講演会など、多くの人々が自らの企画を持ち寄り、賑わいを見せる11-1Studio。

この場所そのものにファンになる人が多く、人通りの少ない路地裏にもかかわらず、沢山の人々が新しい出会いと刺激を求めて集まる。

あとがき

11-1Studio。
ここには驚くほど多種多様な人々が集まってくる。お客さんも主催者もみんな、稀有で面白い人生を歩んでいる。

そこで、僕たちは「よくぞこの社会を生き抜いてきましたね!」と言わんばかりに(心の中で)肩を組んで、同志と共通の美意識を共有する。

それは逢瀬の密会のようであり、前世から運命づけられた再会のようでもある。

そんな、ある一定の美意識と価値観を持つ人にしかたどり着けない異空間。それが11-1Studio。

この場所の魅力はなんなのだろうか?
どうして目立たない路地裏に人々は引き寄せられるのだろうか?

それは、冒頭にも書いたような「まだ、ここに、在る」という安心感であろう。

お金や地位や名誉では手に入らない、
時間が過ぎ去れば、
永遠に失われてしまうかもしれない儚い場所。

けれど、「在る」というだけで、
救われたような感覚にさせてもらえる温かい場所。

東京の暮らしの中で埋もれてしまいそうな、
自分たちの本当の在り方や大切なモノを確かめるために
人々はここを訪れる。

そんな多くの人々の想いが11-1Studioには刻まれている。

砂越さんの話しぶりに、どこかお会いしたこともないお爺様の面影を見てしまう。

もしかしたら、魂の存在になっても、まだここでモノづくりを続けているのかもしれない。

誰に頼まれたわけでもなく、楽しそうに……。


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