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認知症介護って簡単な脳科学だったパート2

あんなに穏やかで朝から晩まで畑でコツコツ働く父だったのに、この頃はやる気も無くいつも眉間に力が入っていて、どのタイミングで興奮状態になるのか私はいつも顔色を伺っていた。

面白いほど貯金額が爆増!

この頃父の頭の中ではお金が無限に増えていった
今日は『俺のお金は郵便局に1億円ある』
次の日『郵便局に2億円ある』
その次の日は『3億円』
家族でも毎回増える金額に爆笑していて、最終的には『3兆円』まで(笑)になっていった。
おそらく【兆】の次が解らなかったので青色天井とはならなかったんだと。残念(笑)
ただ増えていっただけなら笑いながら過ごせたが、増えれば増えるだけ厄介な問題が出てきた。
【父が希望の金額が引き出せない問題】だった

答え合わせ

父は毎日100万円を郵便局から引き出していた。
もっと引き出したかったが、『小さな郵便局だからこれ以上は出せないらしいよ』と必死になだめると、父は毎日100万円を無限に引き出すと言う思考になったようだった。
勿論そんなお金はなく、私が父が引き出した100万円をすぐに入金に走る。文字通り走ると言う地味な作業を繰り返していた。

郵便局には申し訳ない気持ちで一杯だった時に、ふと雄二くんの言葉が頭に出てきた。
『警察は市民の話を聞くのも仕事』って言葉だった。
これを郵便局に当てはめると
『郵便局はお金を出し入れする事は仕事』って思考。

今思えば、私は父が痴呆で郵便局に毎日血相を変えて、お金を預けたり引き出したりして申し訳ないと思っていたけど、最近【脳科学】や【ユダヤの商人】の勉強を初めて、私に知識が少し入ったら今になって

あっ!!!!!あの時の雄二くんの一言は、ユダヤの商人で勉強した【人付き合いの原理原則 思考の分離】に基づいてるっ!!と気がついた。

警察に毎日通った事も、郵便局への出入金に毎日通った事も、私達は問題を一つに考えてしまったけど、父の痴呆と警察に相談する事や郵便局でお金を出し入れする事は別で考えるべきという事だった。

記事を書き始めて何だか問題の答え合わせが始まったような感覚になってきて少しワクワクし始めた私でした。

車のキーを隠す

この頃同時で進行していた問題は父は車を運転したかった様だった。でもここは何としても運転させない様に家族一丸となりました。
いろいろ方法は考えたが、最良の方法として兄が少し離れているところに単身赴任でいたので、車のキーを過って持ち帰ってしまったらしい と言うことにし、自宅から見えない様に車も畑の小屋に隠しました。
日に何回も『車は?』『鍵は』と怒りモードで聞かれ、同じ様に根気強く説明する毎日が続くなか、今度は免許返納を自分でさせる為に家族で奮闘することになります。

免許返納と感謝状

どうしても父は畑に行くことや、母の病院に連れて行かないといけない と言う使命感がある様で、なかなか免許返納には納得してくれなかった。

私達はこれを良い機会と思い自動車学校で技能試験を受けさせてみることにした。学科はやはり低くなっていた。次は実技テストだった。家族は建物の中から見ていたが、やはりこちらも散々な結果だったが一番驚いたのは父が所有する車2台はどちらもミッションに対して実技テストではオートマを選択していた事だった。
おそらく父が考えた『ワンチャンあるかも!!』と言う最善の選択だったのだろうと思う。(笑)
この日をきっかけに私達はどうやったら安心して返納してくれるだろうと真剣に考えていった。

とりあえず軽いジャブのつもりで警察に返納することに対して、相談に父を連れていってみたが、やっぱりトントン拍子とはいかず、チャレンジ失敗。
警察の前では外面よく対応をしていましたが、車に乗り込むと
免許は渡すもんか!』と鼻息荒くなっていました。

2回目は事前に前回担当してくれた警察官とやり取りをし、こちらの希望は【父に寄り添って欲しい。】その上でもう一歩踏み込んで話をしてくれる段取りまで仕込んで連れていった。
しかし感触は良くなってきたものの、父はまだ心の整理がつかなかった様でチャレンジ失敗。

3回目も同じく綿密に誘導できる様に段取りをして連れていった。しかし困った事が起こっってしまった。
何と途中で担当警察官の上司の方が、何度も父を連れてくる私達を見ていて私たちのテーブルに突然割り込んできたんです。
しかも困ったことに上司の方は何と!私達に寄り添ってしまって、『家族も何回も来てくれてるからお父さんも家族に迷惑をかけない様にしないといけないよね』と言われてしまい、私は『はぁ!?』『何ばいいよっと!?
と怒りが込み上げてきました。そして聖さんと雄二くんと私で目を合わせ、3人で苦虫を潰した様な顔になったんです。(怒)
父の顔も徐々にこわばっていくばかり。折角これまでの信頼関係が崩れてしまったんです。
勿論結果はダメでした。 
私が帰りの車の中で毒吐いたのは言うまでもありません。
なので4回目は担当者だけで部外者を入れない事をお互い共通認識し、4回目で無事に自分の手で免許返納をする事ができました

通常はこれで良かったね!と終わると思いますが、私達はもう一歩踏み込んだんです。
それは市から免許返納に対して感謝状が届いたよ 
と言うこ事にしたんです。

感謝状


中村昭洋殿
中村様は仕事や農業におかれまして 永らく頑張ってこられた事と思います。この度は ご自身の意思により運転免許を自主返納頂き、長崎市として感謝の気持ちで一杯でございます。
なにかと不便をおかけすると思いますが、ご家族の協力のもと これからも農業など頑張って頂けましたら幸いです。
これからも中村様に沢山の幸せがあります様にお祈りいたしております。
長崎市長

と言う事で額縁に入れて渡しました。
この時の反応はそこそこでしたが、数ヶ月後叔母が訪ねて来てくれた時に、感謝状を貰ったと自慢していたので、免許返納は感謝された事として記憶をすり替える事ができたんです。
この免許返納に関しては根気強く私達と認知症の父に向き合ってもらった警察官の方には感謝の気持ちで一杯です。

次回は【我が家で現金ヤルヤル詐欺乱発(笑)】
   【お金の隠し場所】
   【危険な徘徊で涙】

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