AM:TIGER×凋叶棕『Urge』への恨み辛み

2019年の暮も暮、大晦日にとんでもない東方二次創作本が世に出てしまいました。

これまで何度か合作・楽曲提供などでコラボレーションしてきたAM:TIGERさんと凋叶棕さん。その最新作が、この『Urge』です。一昨年に制作されたレイマリ本の『約束』に続いて、凋叶棕さんが原作を務めAM:TIGERさんが作画を担うという、合作形式の漫画となっております。

前作はとっても素敵なお話でしたので、まだはお読みで無い方は以下の特設をクリック……と言いたいところでしたが、委託完売しているようですね。残念。折角なのでリンクは残しておきます。


さて本題。この問題作『Urge』についての話に入りたいと思います。

当然ながら全てネタバレなので、まだお読みでない人はこのままタブを閉じてくださいね。





よろしいですか?





……いや、よろしくないんですけど。私自身が一番。

正直なところ、この本、ものすごく苦手な系統のお話なんです。苦手な話が、すごい説得力と原作力いう武装をして、真正面から蹴り飛ばしにかかってくる。困ったものですよ、ほんとに。


私の理解したざっくりのあらすじを一応記しておきます。

自らの求める【真理】が“博麗霊夢の感情(とりわけて怒り)を識ること”であると確信に至ったアリス・マーガトロイド。それを、考えうる最高の形で自分自身に向けさせる手段────霧雨魔理沙の惨殺を、事もあろうに魔理沙自身による「それは、恋だ」という助言に後押しされ、成し遂げる。アリスの持ち込んだ《醜悪な人形》を見て、霊夢は激昂する。そうしてアリスは、終に、求めた【真理】へと到達したのであった。

あらすじ下手ですね私。いやまあ、ここを読んでいる人は全員本を読んでいるんだから気にするところではないんですけど。


先ほど、苦手、といったのは、本作のアリスの行動全てですね。魔理沙を叩く、蹴る、踏み潰す。死体を不格好な木偶人形に仕立て上げる。それら全ては、霊夢の反応が見たいがため。己にその激情を向けさせるため。自分一人が、博麗霊夢を独占するため。どこまでも身勝手。自分勝手。目的のためならば、何がどうなろうと構わない。それが、自分の命であっても。【真理】を知らずにいられない、魔法使いのサガ。どこまでも、妖怪。これを嫌悪せずに、何を嫌悪すればよいのでしょうか。

そしてこの最悪なところは、このアリスの性質や行動に起因する全てのロジックが、どうしようもなく《原作》であるところなんですね。妖怪は、自分勝手なもの。魔法使いは、真理を求める。そういった“事実”をもとに、矛盾なく(あるいは矛盾を矛盾のままに)、緻密に組み上げられた方程式のようなストーリー。そうであるなら、こう考える。こうなったら、そのようにする。会話、行動全てに“納得”がいってしまう。ご丁寧に、映画のプロローグのような前置きと、原作会話をもじった終局の展開で説得力に厚みをもたせようとしてくるのがタチ悪いんですよね。

タチが悪いといえば最も性悪なのが、この話、誰が悪いかって霧雨魔理沙が一番悪いように作られているんですよ。いや、悪いことはしていないんです。それは作中のアリスが言っているとおり。ただ、察しが悪い。どこまでも察しが悪い。そして事が起こってからの対応も悪い。未熟者よりも未熟な半端者。魔理沙がしっかりしていれば、このような結末には至らなかったんですよね、この話。P31の1コマ目、見えない選択肢が見えますよね? ここで「馬鹿だな」を選んでしまった魔理沙が一番馬鹿なんです。これら全てが、行動だけを並べると一番酷いことをしているのはアリスなのに、読者にはアリスを憎むことができないというこのモヤモヤの極みともいえる読後感を生んでいる元凶なのです。そう思うように仕組まれているんです。


そう、ひっっどい本なんですよ、これは。

見てこれ。実に腹が立つ。


本作のキーワードは「魔法使いは、その真理について────けして知らずにはいられない」ということで、作中のアリスはその通りに、彼女の【真理】を突き詰めようとしました。

そしてその【真理】を追い求めているというのは、作中のアリスやパチュリーらだけでなく、作者自身についてもそうなのではないでしょうか。

この本そのものが、かれらの【アリス】へと至る、道。

だからきっと、とらんさんとRDさんは“魔法使い”なんです。




最後に。

本作は上述したようにどうしようもなく《原作》で、限りなく【真理】に近付けようとした結果の産物であることは間違いないのですが、読者たる我々には、これを解釈する自由があります。

アリス・マーガトロイドは、博麗霊夢に、そのような感情を持っているでしょうか。

アリス・マーガトロイドは、霧雨魔理沙を、ただただ手段として消費するでしょうか。

これは、【アリス・マーガトロイド】でしょうか。

あとがきにて、RDさんは「アリスをアリスのまま描くことは原理上不可能」「アリスに一歩遠ざかると同時にアリスに一歩近づける」と仰っています。とらんさんは「我々は99.99%を目指す」「この本を描いたことで50%くらいまで行ける」と仰っています。

読んだ貴方は、どうでしょうか。これこそがアリスであると、嘆き悲しみ、あるいは愉悦に浸ることもできます。こんなものはアリスではないと、一笑に付すこともできます。


その、どちらでもいいのだと思います。


だって、ほんとのアリスは、どこにもいないから。


けれどそこに、我々が《彁》を見るのなら。


私が思うに、これはアリスではなく、しかし、アリスである、と。


そんな矛盾した答えこそが、“それ”の本質に違いないと、言えるのかもしれません。

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