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four summer-6-

 お台場は空気は体にまとわりつくようで、走るには少し息苦しかった。大きな階段を降り、大きな橋の上をスマホを片手に全力で走る。静香は短距離も長距離も僕より速いから、追いつくことはできないかもしれない。夏休みの人ごみの多い中、静香の姿は見えたり見えなかったりしている。
 無言でバックを持ち、控え室から出て行った静香の後を追って、僕と静香のお母さんも控え室を後にした。控え室を出るときに、静香と一緒にオーディションを受けた女の子達が楽しそうにおしゃべりをしているのが聞こえてきた。
「一緒にオーディションを受けた子の歌声スゴかったね」
「あんな音痴、初めて聞いたよ」
「あんなに音痴なのに、特技は歌うことってよく言えたよね」
 僕と静香のお母さんは、お互いに顔を見合わせた後、走り出した静香を全力で追いかけた。
 静香が音痴なのは誰もが知っていた。知らなかったのは静香だけ。僕が静香に音痴だと言わなかったのは、音痴と言われたら静香が傷つくだろうし、言ったら絶対に怒られると思ったからだ。音痴を知らせないでおくことが優しさだと思っていたけど、教えてあげることの方が優しさだったのかもしれない。伝えたいことがあっても伝えられない人だっている。僕はまだ明日も変わらない今日が続くと思っている……
 静香が大きな橋を渡り終えると見えなくなってしまった。橋の先には三方向の道がある。
 右か左か真っ直ぐか……
 こういう時、静香だったらどっちへ向かうだろう……右の方から体がビリビリするほど大きな車のエンジン音が聞こえてくる……静香の性格なら真っ直ぐに進む気もするけれど、これだけ大きなエンジン音が聞こえてきたら、そっちに向かう気もする。
 僕は大きすぎる車のエンジン音がする右側に向かって走り出した。
 金網の向うでタイヤから黒い煙を上げながら、車は細かなカーブを曲がっていく。まるでゲームの世界みたいな曲がり方。大きすぎるエンジン音もカーブを曲がる時のキュルキュルとした音もカッコいい。りょういっさは車ゲーム好きだったっけ......僕の前を何台もの車が通り過ぎていく。車のエンジン音の振動には慣れたので、もううるさいとは感じない。何台もの車が同じところをぐるぐる回っている。車はもっと広くてどこまでも続く道を走りたいとは思ってないのかな?
 ゴールしたところがスタートした場所...…毎年同じことを繰り返す僕たち…...体がゾクゾクっと震えた。違う、震えているのは体全体ではなく右手。握っているスマホが震えている。
「静香は見つかった?」
 静香のお母さんは前のめりな声で言った。
「まだ見つかってない」
 僕は早歩きしながら言った。
「そう...何かあったら、この電話番号に電話してね。電話のボタン押せば出てくるから」
「うん」
 静香のお母さんは、静香が戻ってきた時のことを考えて、テレビ局で待つことにした。僕は静香のお母さんからスマホを手渡され、静香を探す係を任された。
 広場を抜けて、色んな国の旗が立ち並ぶ狭い道を歩いていく。静香なら広い道より狭い道を選ぶような気がした。静香はびっくりするほどの方向音痴で、歩いて十五分以上の道は覚えられない。覚えられないくせに、自信満々で先頭を歩こうとする。僕が何度もこっちじゃないと言っても、言うことを聞かず、ただ真っ直ぐに突き進む。途中で迷子になって、止めなかった僕を怒ってくるから嫌になる。静香のことだから今も迷子になったと思いながらも真っ直ぐに進んでいるに違いない。
 今日は絶対に見つけださないといけない。初めての場所で、僕の近くにいる人が、これ以上もう......
 一度、静香のお母さんに連絡した方がいいだろうか。でも、静香がどこにいるかが全く分からないまま電話しても、余計に静香のお母さんを心配させるだけだ。うえまりさんの電話番号を教えてもらえばよかった。うえまりさんなら静香を探すいい方法を教えてくれるかもしれないのに。
 何度かあった十字路を真っ直ぐに突き進むと駅に出た。降りた駅とは違う方向に来たはずなのに、駅についてしまった。ゴールがスタートになる……僕はその場で跳ねたり、左右を素早く見たけれど静香の姿は見えない。駅の改札口に静香がいるかもしれない。でも、もしこの駅に改札なんてなくて電車も来ない駅だったとしたら……万が一、ここが別の世界に行くための駅だったとしたら……僕は駅に背を向けてスマホを見つめた。スマホの画面が明るくなる。電話マークを押して、静香のお母さんに電話する。
 発信ボタンを押して、画面を見ているとすぐに電話が繋がった。
 僕がスマホを耳に当てようとした時
「あっ!!」
 空から大きな声が降ってきた。
 僕はスマホを耳に当てながら、声のする空を見上げる。
「潮ちゃん?静香はいたの?今のは静香の声だよね?」
 空を見上げても静香はいなかった。左右を見回しても姿は見えない。
「静香に代わってもらえる?」
 思いっきり体を反らしてみると、逆さまの静香と目が合った。
 階段を飛び降りて走って行く静香の姿。静香のお母さんが安心した感じがスマホ越しから伝わってくる。
 僕は耳にスマホを当てたまま、駆け出した。
 静香の方が足が速いうえに、僕はスマホを耳に当てながら走っているので、静香がどんどん小さくなっていく。信号機付きの交差点は僕が渡る前に赤信号になってしまった。静香は右にカーブしていく道を走り抜けていき、再び姿が見えなくなった
「潮ちゃん?静香は見つかったんだよね?」
 耳に当てていたスマホから静香のお母さんの声が聞こえてくる。
 静香をまた見失ってしまったことを伝えようとしても、息が途切れて言葉にならない。
「今……追いか……てす」
 僕の言葉が静香のお母さんに届いたのかは分からない。ただ、スマホを耳に当てたままだと静香に追いつけそうもないから、いったん電話を切った。
 青信号になかなか変わらない。待ち望んでいる時間ほどなかなかやって来ないのは、どうしてだろう。信号が変わってすぐに走り出せるよう、僕はその場で駆け足を始めた。そういえば昨日、静香も僕の部屋で駆け足していたっけ。
 青信号と同時に走り出し、カーブを曲がる前に走るのを止めた。左側にある建物が全ての僕を惹きつけた。
「大江戸温泉物語」
 僕は看板の名前を口にした。
 ドライブ・温泉・武士。
 お台場までドライブをして、温泉に入って、武士の気分を味わえる。僕たちが探していた場所の全てがここにある。りょういっさのためにあるような建物だ。
 一刻も早くみんなに知らせたい。僕は手に持っていたスマホを見つめた。けいちゃんの家と修ちゃんの家の電話番号は分かっているから電話をすることができる。でも……僕がいま電話したいのはうえまりさんだ。この場所を一番最初に知らせたいのはうえまりさんだ。明日までなんて待てない。今すぐに会って最高の場所を見つけたことを知らせたかった。
「おい!なんで追いかけてこないんだ!!」
 振り返ると、静香が真っ赤な顔をして立っていた。
 僕は手にしていたスマホの電話ボタンを押して、静香に近づきスマホを渡した。
 太陽は空高く僕たちを照らしている。海が近い空気は生温く膜のように僕の体を包み込む。まだまだ夏休みはたくさん残っている。やりたいことが出来る時間はまだまだ残っているんだ。

 僕も静香も自分の居場所がどこか分からなかったため迎えに来てもらい、3人が3人とも別々のことを考えながら、お昼ご飯を食べて家路に着いた。
 静香はオーディションが上手くいかなかったことと、普段優しいお母さんに怒られたからか、お母さんと電話で話をしてから一切口を開かなかった。静香のお母さんも電車で座るとすぐに眠ってしまった。
 僕はお台場で見つけた「大江戸温泉物語」を早くうえまりさんに知らせたくて、電車が止まるたびに座席から立ち上がっては席に座った。僕が座るたびに静香は舌打ちをした。僕はなるべく黒目だけを静香の方に動かし様子を伺った。
 今日もし静香が僕を誘ってくれなかったら、僕は今日一日ベッドの上で布団を被ったまますごしていただろう。りょういっさの夢を叶える方法を思いつかないまま、ただただ時間だけが過ぎていっただろう。静香には心から感謝の気持ちを伝えたい。でも、なんて言えばいいか分からない。大江戸温泉物語を見つけられたのは、静香がオーディションで歌声を披露して、控え室から飛び出したおかげなのだ。静香にとって忘れたいような出来事に対して、お礼を言うにはどうしたらいいのだろう…
 行き道よりも帰り道の方が早く感じるのは、僕だけだろうか。気づけば降りる駅まであと一駅になっていた。静香のお母さんは目を覚まして、まどろんだ瞳で窓の外を眺めている。静香は電車に乗った時から1ミリも動かずに、真正面を睨み続けていた。窓の外は行きのどんよりとした曇り空とは違い、夏の青空が広がっていた。夕方と呼ぶには日差しは強く明るい。今日はまだまだ終わりそうになかった。今日が早く終わればいいではなく、明日が早く来ればいいと思ったのはいつ以来だろう。ここ2年くらいの記憶を辿ってみても見つからない。
僕が大江戸温泉物語のことを話したら、みんなはどんな反応をしてくれるだろう?
 うえまりさんはよくやったと褒めてくれるだろうか? 明日のことを思うとこの場でスタンハンセンのモノマネがしたくなった。
 静かに深呼吸をして、ウキウキした気持ちを静めた。明日のことを考える前に、僕にはやらなくていけないことがある。静香に少しでも元気になってもらいたい。僕が今ウキウキした気分でいられるのは、静香のお陰なのだ。明日も静香に会える変わらない日が続くとは限らない。いま言えることを言わないと、ずっと後悔することになる。
 電車がスピードを緩め、間もなく僕たちが住んでいる街に着く。ドアが開き、静香が立ち上がる前に、できるだけ耳元に口を近づけた。
「オーディション受かってるといいね」
 僕はずっと考えていた静香を励ます言葉を言って、立ち上がった。
 駅のホームに降り、後ろを振り返ると静香は立ち上がらずに、そのまま座席に座ったままだった。静香のお母さんが静香に何か言いながら腕を引っ張っているが、静香は立ち上がろうとせずに俯いたままだった。僕は降りる駅を間違えたかと思い、急いで電車に乗ろうとした。そんな僕に気づいた静香のお母さんが、口パクで「先に帰ってて」と言って、困った笑顔で手を振ってくれた。
 僕はホームに降りて、静香と静香のお母さんを乗せた電車が走り出すのを見送った。

最後までお読みいただきありがとうございます それだけでとても嬉しいです ただ読んでくれただけで イヤ本当に読んでくれただけで十分です 本当に嘘じゃないよ