お母さんが癌肉腫だった。

2月13日に初めて119に電話して救急車を呼んだ。
大事な話があると前日の仕事中にお母さんからLINEが送られてきた。
1月25日くらいから動くのがしんどいと言ってたり足のむくみが凄かったり食欲も無くなってたりと色々と兆候が出てた。その時から病院に行こうと言ったりしてたが首を縦に振らず。まぁ何日かしたらマシになるかもって軽く考えてた。

で、その大事な話とは、2月9日に子宮から血の塊が出た事。下腹部が凄く痛くて動けない事などを言われ、明日病院に行こうと思うという話だった。
元々病院嫌いで体調崩しても病院には行きたく無いというような人だったから、自分から病院に行くって言うことは相当な状態だったんだと思う。
もしかしたらその時から覚悟してたのかも。

それと並行して舌が回らなくなってるような喋りにくくもなってた。
2月14日になり、朝から病院に行こうと言ったが、もう少し待ってと言うばっかりで結局15時ぐらいまで動けず。
僕もイライラして、行くって言ったんやから早く行こうともう何時間そうやっておるんだなどと動けなくなってるとは思わずに辛く当たったりした。

#7119の救急医療相談ダイヤルに電話して、救急車呼んだ方が良いのか相談して、救急車呼んだ方がいいから119に電話して赤判定と伝えて下さいって事で、119に電話。
隊員の方が問診などしてて、これは後で聞いたが
お母さんの下腹部はカチカチに硬かったそう。
これも後で分かった事やけど、腫瘍が人間の頭ぐらいの大きさになってて子宮癌肉腫のせいでカチカチに硬い状態になってたらしい。

2月14日の夕方から大きな病院に入院する事になった。MRIなどを撮って産婦人科の先生から、人間の頭ぐらいの大きさの腫瘍があって、大きさからみて悪性だと思うという事。癌なのか肉腫なのか今の段階では分からない。リンパも腫れてて腫瘍もこれだけ大きいから手術では100%取りきれない事などを説明された。
その腫瘍のせいで足に血液が流れにくくなっててむくみが出て歩きにくくなってる事。腸なども圧迫しているから食欲もわかず、お腹がずっと張っている状態になっていると言われた。
癌なのか肉腫なのか分からず診断が出来ないので直ぐに治療を開始する事も出来ない。
ご飯も食べてないからこの状態だと1ヶ月で死ぬかもとも言われた。

2月15日にお腹から針を刺して、癌か肉腫か調べる検査をしたそう。

入院した時は大部屋だったが途中から個室に変わった。病院の冊子には面会は週に2日ぐらいの15分程度と書いてたが、先生から毎日面会に来てくださいと言われたり、面会時間も15分以上いたが何も言われず。
その状況にも、お母さんの病状は結構深刻で先が長くないんじゃないかっていう思いが大きくなっていった。
ちょこちょこLINEしたり電話したりあとテレビ電話したりして足りないものやこれが必要という連絡をしてたが、それもどんどん減っていった。

検査結果が出たのが2月19日。癌の成分もある肉腫で癌肉腫だそう。
診断がつかなかったから、2月19日まで根本的な治療は出来んままやった。
診断がついても肉腫やから抗がん剤が効かない。大き過ぎて手術出来ない。と言う事で唯一残る選択肢が放射線治療。でも放射線治療しても治らないし少しでも小さくなればラッキーぐらいの気持ちでいて下さいって放射線科の先生に言われた。
また、放射線治療が終わったらどうするのかも聞かれた。
転院するのかなど聞かれたが、詳しく聞いていると放射線治療はあてられる放射線の量が決まっているからそれが終わったらもう手の施しようがないからどうする?って事だった。
緩和ケア病棟があるからそちらに移動する事も出来る。でも緩和ケア病棟では心肺停止しても心肺蘇生はしない。それでもいいかと聞かれた。

2月20日から放射線治療を開始したが、本人も凄く辛かったみたいでその1回で放射線治療は終了。

2月22日に緩和ケア病棟に移動。
日に日に目に見えて弱っていってる。痛過ぎて麻薬成分のある痛み止めを点滴でいれて、それが少しずつやけど強くなっていき、どんどん喋りにくくなってるし目を開けてる時間もどんどん減っていった。
緩和ケア病棟の責任者の先生からも明日明後日死ぬわけではないけど1ヶ月ではなく1週間単位で、余命を見ているみたいなことを言われた。

緩和ケア病棟は面会時間や回数が緩くなっているから姉や弟が泊まったりしていた。
僕は面会は毎日行っていたが、わんこの世話があるので夜は家にいた。

2月24日からだんだんと呼吸がしにくそうになっていった。
2月25日には痰が絡んだ状態の呼吸に変わり
呼吸する度にゴロゴロと音がする、ちゃんと息出来ているのか心配になるぐらいの呼吸に。
その頃には喋る事が出来ずずっと目を閉じている状態。こちらが喋って質問すると頭を縦か横に振るぐらいしか出来なくなったら、

2月25日の21時21分に姉からLINEが入った。
お母さんが呼吸しなくなった。

すぐに用意して病室に行った。
触ったがまだ顔も指も温い状態。
その後先生が来て2月25日22時9分が死亡時刻になった。

23時位に看護師さんから、葬儀屋はどこにするのか
いつご遺体を運んでもらうのかなど、1時間ぐらいしか経ってないのにそんな話をされ、現実に引き戻され、ビックリした。

2月26日の10時30分に葬儀場に移動。
2月27日の18時からお通夜
2月28日の9時から告別式
2月28日の23時22分にこれを書いてる。
火葬された後の骨になったお母さんの小さな骨を持って帰るか、骨を細かくして食べれば良かったと少し後悔。やっちゃダメやからしてないけどね。

2月14日から2月25日の短い11日でお母さんは癌肉腫で亡くなった。
こんなに早く亡くなるなんて
でも、最後の方は本当に苦しそうやったから、その苦しみや痛みから解放されて本当に良かったと思う。

65年間の人生、お疲れ様。

いっぱい泣いたけど、お母さんとのLINEのやり取りの履歴を見てまた号泣。
もう会いたくてたまらんしめちゃくちゃ寂しい。

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