始めたいのに、始められない精神

 私は始めたいのに、始められないといった不思議な精神性をしている。

 絵を描き始めたいのに、描き始めることができない。
 新しい楽器を始めてみたいのに、始めることができない。
 見たい映画があるのに、見に行くことができない。

 書いていて意味が分からないと思うが、私もよく分かっていない。
 思っているだけで、始めようと心のエンジンをかけるけど、安全装置が作動するみたいにバツンと降りるイメージ。
 嫌なことされたときのイラッとモヤッが合わさったような感覚が溢れてしまう。それが本当に気分が悪くて、嫌で行動することを辞めてしまう。

 ただ、その始めたいアクション事態は好きなのだ。例えば、絵は美術館とか好きなイラストレーターの画集を買うくらいには好きだ。小さい頃は好きなロボットアニメのオリジナルロボットとかの絵を描いていた。可能なかぎり毎日、描いていた。
 小学校の頃の自由帳はサクラクレパスの絵でたくさんになっていた。
 中学校の頃はそれ用ノートがあった。それがきっかけで色々とあったが、いい思い出だ。

 好きなものに理由はいらない。私だって好きなものがあって、その行動をすることに理由なんていらなかった。そんな時代は私にもあったはずだから。完全に無感動な人間ではないと私は思うのだ。

 だからこそ本当に理由は分からない。
 回避性パーソナリティ障害というものが読んでいて、それっぽいな思うのだけど、実際のところはよくわからない。全てを回避しているわけでなく、本当に気になるのなら飛び込んで行っているから一概にはそう断定はできない気がする。
 人の心は白と黒みたいな二元論ではなくてグラデーションみたいに濃い灰色、薄い灰色みたいに曖昧なものだから断定は難しい。
  ましてや素人の私が言うのは少し危険がある。そんな感じかもしれないで抑えておいた方が良いの確かだ。

 トラウマみたなモノが行動を阻害しているのではないかと思っている。
 挫折や罵倒を多く受けてきた人生だったので、実際の行動を行うと自分がさらに傷(挫折)をしてしまうのではないかと恐怖がそれを妨げているのではないかなという推察。
 
 実は興味がなくなっただけではと私は思ったが、興味のないことはそもそも頭の中に思い浮かばないし、葛藤することがないと思うのだ。
 タバコが嫌いな人が、タバコを吸うという選択肢を脳内に持っていないのと同じだ。

 私の課題は見えなかった挫折・恐怖をどのようにして乗り越えていけるかを考えている。
 葛藤したり、逃げたいと思っている時点で本当にやりたいことだと思っている。向き合った上で判断していけたらいいと思っている。

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