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27歳になる。好きな人の副流煙で死んでおけば良かった


1月某日、恋人に振られた。


「気持ちのゲージが0になってる」

という恐ろしい発言をぶん投げられ、穏やかな彼から出た言葉か?と思わず周りを見回してしまった。
が、紛れもなく"元"恋人のものだった。

年末のnoteで数年ぶり(数えたら5年ぶりだった‥)に出来た穏やかな恋人と書いたのも束の間、書いて1ヶ月も経たずに振られてしまったという現象に少しばかりじわじわと来ながら、また私はこれもネタにしようとnoteに書いている。どうしようもない26歳女性である。ネタ乞食か。

週初めに来たLINEで何となく察していたので、部屋にあった向こうの荷物は纏めておき、その場で渡したら怪訝な顔をされた。
だって別れた人と予定組んで会う必要感じないしね、と言うと、さらに引いた目で見られ、あっさり改札前で解散した。
さよなら、多分もう二度と乗らないであろう、京急線!

解散後、お馴染みのJR線に揺られつつ、「まぁ、こんなもんか。」と思った。
涙なんて一粒も出ないし、思い出が蘇ることは無いし、関連した写真も30枚くらいしか無くて帰り道にすぐに消すことができた。

私はどこかで人の心を失ってしまったのだろうか?

26歳。女性。独身。
人生のこのタイミングで、高身長、高学歴、高収入の言わば三高(死語)の恋人を失った事実より、
その事実に何も感じない己の死んでしまった感受性が悲しいです、神様。

これから先、スマホの画面を眺めて、顔写真とか収入・身長とかのスペックで人を左右に振り分けて、私は恋を”する”のだろうか?
その中の誰かと一緒になって、別れて、また涙も出なくて。何も残らない日々を私は恋だなんて思えないのに。
"する"という能動的な行為じゃなくて、落ちるような、堕ちていくような恋はもうできないのだろうか?

生活をするに困らない+αの収入に恵まれているおかげか、大した結婚願望も無いので、恋愛をする原動力は自分の心が動くことなのに、きっともうそんな機会がないことが分かってしまうほど、歳をとった。

そんなことが、ただ、どうしようも無く悲しい。

そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、現実見なさいよ、とか言わないでよ。ネットの世界くらい許してくれよ。懇願です、懇願。



私、今年27歳になる。この間まで22歳の女子大生だったのに。

ねえ神様。

私には何の才能もないからきっと27歳では死ねないよね。ならせめて、色んなことを感じれてたあの頃に、好きな人の副流煙で死んでしまった方が良かった。


haro

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