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唯一無二なんて無いという真理は何かを守り、奪った気がする

「君じゃなきゃ駄目だ。」なんて言う言葉は、年々薄っぺらい戯言に感じてしまって、聞くことも口にすることも無くなってしまった。

世の中の殆どのことは代替が利く。最初は受け入れられなくても妥協を知り、気持ちは迎合させることが出来る。誰から教わることも無く、少しずつ心を蝕む大人の真理。

私だけじゃなくて、皆が知ってしまった、真実。


子どもの頃、自分の玩具じゃなくて、三つ上の姉が持っている玩具が欲しくて泣いた。それじゃないと嫌なのなんて、それ以外はもういらないと、馬鹿みたいに泣きじゃくって、拗ねて、困りかねた姉が譲ってくれるまで、駄々を捏ねた。

けど、もう今となってはそれがどんなものだったか忘れてしまったし、多分、いや絶対、それじゃなくても良かった。


大学の時、好きな人がいた。生まれて初めて告白をした。貴方じゃないと駄目だと恥ずかしげもなく言い放ったのは20の春だ。大学を出て、社会人になって、結婚して…と、その人との未来しか信じていなかったし、本当に彼じゃないと付き合う意味は無いと思えた。

一年間の思い出の後振られた時は、歴史が塗り変わってしまったのかというばかりに困惑してなかなか受け入れられず、どうこうして復縁出来ないかと、現実的なものから非現実的なものまで馬鹿にまで手を出して、眠れない日々を過ごした。占いとかおまじないとか数珠とか、本当に。笑

でも、たしかに時間はかかったけど、現にその後も好きだなと思う人はできたし、恋人も出来た。

彼じゃなくても良かった。と、結果的にはそうなってしまった。


同じような経験は誰にだってある筈で。そういった経験や思い出が、私たちに教えてくれる。真実であり、暗黙の了解みたいな、社会のルールのような。妥協とか代替とかは世の中を生きていきやすくしてくれた代わりに何かを奪ったのかもしれない。

「自分じゃないといけない」「君じゃないといけない」は、まるで結婚の制約みたいで大それ過ぎていて、現実味が無いからこそ、口にした途端に酷く軽いものになってしまう気がする。紙切れの婚姻届とかよく分からない成分で出来た銀の輪で、契約して初めて意味を持つ気がする。初めて信じて貰える気がする。馬鹿みたいだね。



「俺じゃなくてもいいんだよ、君は。」

突然投げられた言葉。渇いた声のそれに私は、困った顔で笑うことしか出来なかった。弱くなった、大人になってしまった私は、否定の言葉は愚か何も言えなかった。

奥義のように重くて、反対に戯言のように軽くもある、「貴方じゃないと駄目」を伝えて、後者になるのが怖くて、何も変わらない現状とか、自分の無力さを知りたくなかったんだと思う。


でも、真実とか暗黙の了解とか恐怖心なんて全部取り払って、子どものように馬鹿みたいに言葉を伝えていたら、何かを変えることが出来たのかな、と私はその日のことを思うのもまた、事実だ。



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