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人の「死」を思うとき、自分にはなにができるのか?

noteを書いていると、いろいろな人のnote記事がタイムラインに上がってくる。大好きなクリエイターさんであったり、Twitterで知り合ったご近所さんであったり、中には手の届かないような有名人のnoteを読む機会にも恵まれる。

ここ数ヶ月、実はこのようにブログも記事もあまり書けなくなってしまった。きっかけは僕よりも遥かに年月を重ねた方からの一言なのだが、「書くこと」を仕事にしている以上、結構な死活問題でもあるのだが、なにせ筆が進まない。というよりも書けないのである。

死ぬ前提で毎日生きているのか?
人は必ず死を迎える。誰しもである。ニーチェの言葉でもブッダの言葉でもないのだが、人には久しく24時間という一日が与えられていて、365日という一年がある。ぼんやりと過ごしているとあっという間に40年経ち、あっという間に体が自由に動かなくなるのである。

抵抗はしてみるものの、よる年月には勝てないのか、10年前ならできたことができなくなってきたこともある。ところがだ、生意気に経営者セミナーなんてものを今年から主宰している。「中博」という御歳72歳になる伝説的な経営コンサルタントの先生をお迎えして、経営とはなにか?というよりも生きることとは何か?を教えてもらっている。

中先生はかの松下幸之助氏の晩年の秘書を実務されていた方で、大阪万博での未来館の陣頭指揮を取り、漫画「課長 島耕作」のモデルになった人物だ。そんな中先生から得体の知れない中小企業診断士のために、それも毎回考えられないほどの少人数で講演いただいているのだ。こんなありがたいことはない。

いろんなご縁から、中先生のお話を聞く機会をもらい、すでに10ヶ月経とうとしている。毎回勉強することが多く、先生の講演内容を何度も何度も聞いているうちに、あることに気がついた、というよりも気付かされた。

「死ぬ前提で生きているのか?」

この課題というか、サラリーマン時代はなんだか忙殺されていて、こんな思考は微塵も感じなかった。死ぬ前提とは、明日交通事故に遭って死んでしまうとか、ビルの下を歩いていたら鉢が落ちてきて死んでしまうとかそのレベル。日常的にありえる確率の話、決して地震が起きるとか津波で~といった自然災害は含まれない。

日常を普通に過ごしていると、実は死とは身近であることに気づくのだ。明日死ぬかも知れない、だから毎日…どう生きたい?

自分自身が経営という経済活動に関わって生きていると、究極「どう生きるのか?」がつきまとい、決断の連続である経営者は毎日がこの疑問にぶち当たるのだと考える。とどのつまり自分を経営することであり、そこはサラリーマンだろうと主婦だろうと変わらないのだ。ちょっと高い経営者勉強会だが、現在横浜で開催しているので来てみてはいかがだろうか?きっと人生が変わる。

http://nakademyyokohama.peatix.com @PeatixJPさんから


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