May.2023 Sway

心の揺れへの耐性が低い。

不安や、緊張や、おそれや、とにかく感情が大きく揺れたときに、ひどい眠気に襲われて、休んでる場合ではないのに思うように動けなくなる。

平静を装って、自分の生活をする。

といっても、髪を切る以外は、食べて寝てを繰り返すだけ。年始から何も変わらない。気分の浮き沈みは落ち着いてはきたけど、それでも心が揺れたときは、いつも以上に寝てばかりになる。


思えばそういう感情の揺れを避けるために、意識的に感情を抑えて受け流すようなこともしている。それはそれで、自分が何に怒って何に悲しんで、どう感じているのか、自分の内面を外部に取り出すことがますます難しくなってしまっていたのかもしれない。鈍感になることで自分の心を守り、その鈍感さによって心が錆びていく。

残念なことに外を見てもクソなことはたくさんある。TLをひと通り見て、うんざりして、そっと閉じて。Instagramには日常を満喫する友人たちがいて、自分の現実はますますねじれを起こす。世界が遠のいていく。はたして自分はどこにいるのか。自分が目にしたクソは幻なのか。幻だったらどんなに良いことか。

無意識であれ意識的であれ、ボーっと過ごすことで自分を守っている。自己防衛としてはアリなのかもしれない。でもそれで何かがより良くなったり、何かを守れたりということはないのかもしれない。
ボーっとせずに、感覚を研ぎ澄まして、痛みを見つめて−−−今、それをする元気があるのか?と問われると、ちょっと怪しいものがあるけれど。

自分だけに限れば、煙草を吸いながら朝の光を浴びて、夜の空気を感じて、それだけで、今はいいや、と思うことにしているけれど、それだけじゃいけないような気もしている。


どうすれば自分の気持ちは届くだろう

と書いたところで、なんてエゴイスティックなんだと、自分に呆れる。

それでも……ということもある。きっとそうなんだ。

人間、できることなんてたいしてないのかもしれないけれど。

たいしたことはできなくても、生きていてほしい、死なないでほしいという気持ちだけ、届いてほしい。

終わりのない眠気に襲われていても、打たれ弱い心が身体の動きを止めていても、その気持ちだけは、ずっと、ハッキリと、持ち続けている。
それだけじゃあ相手に伝わらないのも、わかってはいるけれど。今はまだ、全然足りない。


いつでも動ける身体が欲しい。

何があっても揺らがない心が欲しい。

肝心なときに自己防衛に走らず誰かを想える人でありたい。

痛みを近くで感じられるだけの想像力と優しさが欲しい。


今日もずっと眠い。

Fishmans - Pokka Pokka 





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