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Apr. 2023 We're alright

自分のことがよくわからない

という問題に、今までも何度か直面してきたな。というか、なかったことにしているだけで、本当はずっと続いてる自分の問題。

なんだか、自分の考えてることや思ってることをあまりに把握できていない気がしてきて、少しGoogle検索してみたけど
「自己認識 できない」などと調べると仕事にまつわるページばかり出てきてちょっと閉口した。何でもかんでも自分のキャリアに結びつけようとしてるようで、そう仕向けられてるようで、検索ページをひと通りスクロールしてからそっと閉じた。仕事だけが人生じゃないし、仕事してるとき以外にも自分自身はいるんだ。

エニグラム性格診断などもやってみたけど、なんだかピンとこず。思えばこういう性格診断や心理テストの類も、どの選択肢が適当なのか自分でもよくわからないことが多い。現実的な完璧主義者である?はて、どうだろう…?
こうなると、おれは普段何も考えずにボーっと生きているのでは?と疑わしくもなる。まあ、いくらかは事実。一方で、考えないようにしていることもある。感情の揺れを避けたいのか、軋轢を避けたいのか、馬鹿がバレないようにしたいのか。強い感情の波に晒されたときに、冷静さを保てずに頭が真っ白になるというのもある。だから、自分自身の感情も大きく揺れることがないように調整しているのかもしれない。それもそれで、自分の感情が心の奥深くに沈み込んでいって、自分自身がそれに気づけなくなっているのかもしれない。
「自分の欠点を受け入れられずに、自分を責めてしまう」という項目があった。これは実際にそう。自分には珍しく、「強くそう思う」というような右端の選択肢を選んだ。

自分のことはよくわかっていないくせに、このままではいたくないという気持ちは昔から強い。でも、どうなりたいのかをハッキリと自覚していたことがあったかというと、わからない。

安心感がなかったんだろう。欠点があると自分が受け入れられないのではという恐怖とともに思春期を過ごしたように思う。なぜそう思っていたのか思い出せないけど、素直な自分でいることはとても怖いものだった。自分を良く見せることができないと、自分の社会が崩壊するような、そんな綱渡りの感覚。

どんな自分でも受け入れられるようになれたらいいと思う。認めたくない要素もきっとある。頭では嫌っているはずの考え方や固定観念に今も実は囚われていたり、そういうこともきっとある。認めたくないだけで。

愛されている実感や、承認されているという感覚がなくても、そもそも、そのままでも、本当は大丈夫なんだ。愛されていなかったわけじゃないし、誰からも受け入れられないわけじゃない。それ以前に、生きてるだけで、充分、大丈夫。おれも、きっとみんなも。

こういう内省も、もっとカジュアルなものになればいいなと思う。もっと、気楽なもんとして捉えてもいいのでは、と。

とりあえず今日はこんな感じ。

Homecomings - US / アス


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