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コロ休みアダルト文庫『狩り』

作:平 和 (たいら なごみ)

「どれにしよう」
 交通の便が無茶苦茶悪い田口邸から出社している2人の秘書は、それぞれマイカー通勤。勿論、フルチューンされた特別仕様車で、でも外見は普通乗用車。
 その、田口部長の秘書君・林聖(ハヤシタカシ)は、いつもなら地下駐車場に車を止めてまんまで52階の仕事部屋に直行するのだが、何となく気が向いて、自販機で飲み物を買おうと思い立った。
 時間は7時30分。部長は重役待遇なので、仕事が多い。残業したくないから早く出社しているのだが、余り関係ない。サービス残業は平均3時間。面白くない。も一つ面白くないのは、日増しに熱々度が増して行く恋人達の、遠慮のないLOVE×2加減に毎日当てられている事。
 ココアの缶をフリフリして、コクコク。
 今日もあの2人に当てられるのかと思うとムカっ腹も立つが、平和な証拠だと思えば笑っていられる。何より、今は会社そのものが笑いの坩堝‥‥嫌々‥‥阿鼻叫喚。
 俊が美樹との関係をオープンにしたから、嘆き悲しんだ男女が100人や200人じゃきかなかったとか。無論、社内だけの話じゃない。今以て社内は騒付いていて、あの2人に失恋した人間って、社内外男女合わせて何百人なんだろう。
 俊は言わずもがだが美樹も、魔物だ。
 人間如きが━━━‥。
 クイーッと飲み干して、座ったままでゴミ箱目掛けて空き缶を投げ付けた。丸く開いている缶ゴミ箱の口。狙い違わずストライク。この距離で外していたら、お話にもならない。
「さてっと」
 掛け声掛けて立ち上がり、1階の自販機コーナーから離れた。
 仕事しようとエレベーターホールに向かう途中で、人集りを見付ける。気にはなったがいつもより10分押しだったので、無視して行く事にした。が、女性の悲鳴が上がったので、身体の向きを変える。
“な〜にかなぁ〜”
 朝もまだ早い時間帯の、掲示板前の人集り。
 特に苦労もせず、貼ってあるコピーを見る事が出来た。
“あらら‥”
 警告…らしいけど、良いのかね、こんなマネ晒して。そもそもこの会社、同性愛を公認している企業で、同性婚も一世帯として認めている。面接の時にも念を押される。現に、重役面接の時に言われた。だってぇのに、貼ってあったのは、どう見ても犯ってる最中の野郎2人の写真で、誰だか判らないような加工はしてあったけど当人達が見たらさすがに判るだろう。風紀浄化の為にホモ狩りをする、とか正義感振った文言が添えてあったけど、レズは良いのか、って話だ。
“知〜らない”
 聖は興味を失い、オフィスに向かった。
 とんだ寄り道をしてしまったではないか。10分押しだったのに、これでは何の為に早く出社したのか判らない。
 41階から上に止まる、重役室専用のエレベーターで52階迄昇り、田口部長の前室に来た。
 タイムレコーダーをガチャコン。
 本業にタッチしている2足の草鞋組には意味がないと思われたが、建て前の表からも毎月端下金、嫌々、53万少々のサラリーが振り込まれているので要るのだろう。1回の呑み代にもなりゃしない。つまんない上に面白くもない、片手間にやっつけられるお使いに行った方が、まだいくらかお小遣いになる。
 ま、それはそれとして、仕事を始めようか。
 手始めにmailのチェック。秘書が2人共裏になったせいで、その手のmailやFAXや電話も、こっちに回って来るようになった。聖は、十人衆入りこそしてはいなかったが、田口邸住み込みのエリートで、中でも若付きなので、十人衆の次くらいに偉い。普段は腰の低い温和な人だが、怒ると(誰でもだと思うが)怖い、強面の人だ。でも、笑うとチャーミングなんだけどな‥‥‥。
 若の経理をずぅ〜っとやっているような人なので(と言う訳でもなかろうが)数字には滅法強く、けど本職は乗り物の運転。特に陸上の乗り物のエキスパートで、俊が乗る車の運転は、彼の仕事だった。何にしても、武闘派では憧れられる立場の人だ。
 第一秘書の美樹にチェックして貰う用のmailをプリントアウトして、トントンと揃えて彼のデスクに置く。FAXも同じ。俊は特別忙しいので、こっちで判断出来る事は結果報告だけで済ませている。
「おはよう御座います」と言って、第一秘書の美樹が姿を現わした。今日も大きな包みを抱えている。あれは、若と彼のお弁当。
「おはよう。昨日、帰り遅かったけど」
 何分にも同じ館で寝起きしている。若のマンションに訪ねて行くのは勝手にどうぞだが、平素の帰宅時間は気になると言うもの。
「ええ。下川物産の常務は、お酒が入るとしつこくて」
「迫られたんだ」
「な訳ないでしょっ」
 ド赤面して慌てて否定。
 普段は冷静な美樹も、この手の話には過剰に反応する。それが楽しくて辞められない。
「はっやっしっさぁ〜ん!」
「はい。おや。谷山君。今朝もご苦労さん」
 脳天気な声と共にやって来たのは、十人衆も中堅どころ、No.5の谷山三郎(タニヤマサブロウ)34歳。只今せっせと聖を口説き中。
「三郎と呼んで下さい、聖さん♡」
 はしっと手を握り締めたら、スルリと放された。でもめげない谷山君。
 聖はちゃんと想い人が居るので、三郎の求愛は綺麗さっぱり無視している。
「ご用件は?」
「愛してます♡」
「殴りますよ」
「殴らせれば犯らせてくれるなら、何発でも」
「身体の関係がお望みなら、今晩でもOK」
「えっ♡」
「その代わり、2度とココに来ないで下さい」
「え〜っっ。まぁ、連絡手段はいくつもあるけどぉ、毎日会いたいですぅ〜♡」
「1度で終わりですよ。当然でしょ」
「え〜〜〜っっ!!」
「何処で犯りますか。待ち合わせます?」
「遊び半分だと思ってるでしょう」
「思っていませんが応えられない」
「ゔゔゔ〜っっ」
「お引き取りを」
「くっ! めげないっ! 又、来ますっ!」
「もう来んなっ!」
 昨日のやり取りを再現したようだ。毎度毎度、良く飽きないモノである。
 るるるっと涙ちょちょ切らせ、今朝も三郎は青春して去って行ったが、そもそもが表情の乏しい鉄面皮の聖は、三郎が去って行った方向を冷ややかに睨み据えフイッと視線を切った。そして、仕事に戻る。
「聖さんも悪いんですょ」
「どうして私が」
 黙って眺めていた美樹が、聖に言った。
 言われた聖は、心外と言わんばかりにブツブツ。
「愚図愚図してはっきりしないから」
「何の話ですか」
「判りますよ、同じ屋根の下で暮らしているんですから」
「さてさて」
「須貝さんでしょ?」
「━━━‥‥っっ!」
 ズバリだったけど、リアクションはしなかった。
「取られちゃいますよ?」
 須貝匠(スカイタクミ)30歳独身。ファイブカードの一翼。寄せてはならない想いだ。こんな薄汚いオジサンが想っても良い相手じゃない。でも、夢は見ていたいじゃないか、魔物の見る夢だけど…。
 聖は何も言わず、視線を手許に落とした。谷山君に1発犯らせて、引退しようかな〜。
 そんな事をポヤ〜ンと考えていたら、谷山君が顔を覗かせて来た。聖がキッと睨む。整っているから迫力も増すと言うモノ。
「あ〜の〜」
「まだ何か」
「否っ、マジに仕事です、表だけど」
 表は仕事じゃな〜いっ! と2人共思ったけど、敢えて声にはしなかった。
 三郎は、ホモ狩りの話をしてくれた。興味を失ったのは聖で、美樹は不思議そうに聴いている。
「全ての掲示板にですか?」
「うん」
 美樹は感心していたが、聖は小さく吐き捨てた。
「暇人」
「それも当たっていますけどぉ」
「そもそも、どうして谷山君で営業部」
「俺、総務課の係長補佐でこの件の担当」
「で?」
「で〜‥‥随分前から総務には怪文書がFAXされて来ていて、ここ数週間は部長と泉原君の事で」
「で?」
「今日の良き日を迎えたのであります! あたっ」
 手許にあった紙の束を丸めて三郎の頭をパカンッと叩いたのは聖で、その余りの素早さに、言葉をなくしていた美樹がびっくり。
「この会社、同性愛擁護の企業でしょう?」
「そうなんだけどね」
「僕達も、重役面接で念を押されましたょ、中途採用になりますが」
「新卒も同じなんだけどね」
「風紀が乱れるって何ですか?」
「さぁ〜」
「ビアンは良いんですか?」
「さて」
「犯人の目星は付いているんですか?」
「皆目見当も付かない」
「で?」
「えへっ♡」
 ぞわわ〜!
 聖と美樹が仰け反った。イヤな予感がする。
「こう言う事は、少数精鋭で臨まなくてわ!」
「はい。さようなら」
「忙しいですよね、聖さん」
「聞いて〜っ!」
「ヤダ」
「ヤダ」
 息もぴったり。綺麗にハモっちゃった。すると、三郎がマジで涙目になった。
「地上58階、地下3階からなる我が本社ビルの社内掲示板は、全部で80箇所あるんです! 聞いてってばぁ!」
「ヤダ!」
「ヤダ!」
「その80箇所に、今朝5時半から7時15分迄の間に貼れる個人やグループに限定されますっ」
「よし君。空気悪いから、若がいらっしゃる迄お茶してようか」
「はい、聖さん♡」
「ぎいで〜っっお願い〜っっ。俺、午後一でイタリアなのぉ〜っっ、お仕事でっっ」
 聖が美樹を誘って椅子を立ったら、三郎が駄々を捏ね始めた。
「知らない」
「聞きたくないです」
「関係ない」
「づべだい〜〜〜っっ!!」
 遂に、喚き始めてしまった。これは、この階に俊のオフィスしかないから出来る事だが、人目がなくても恥ずかしい。
「何で朝の5時半から7時15分迄かと言うと、深夜2時に警備員が巡回した時に見付けた警告文と写真は、30分後には80箇所全てから回収していて、早朝5時半に玄関シャッターを開けに行った時、1階の掲示板には何もなくて、第一発見者が出社したのが7時15分! って聞いてますぅ〜?」
「ぜ〜んぜん」
「ま〜ったく」
「ゔゔっっ。負けないっ、ボク! 結論から言うと、林さん貸して下さい」
「却下。僕の仕事が倍になる。ダメです」
「私もヤダ。暇な表社員にやらせなさいよ」
「それも考えたんスけど、バカにやらせても無駄に時間だけ食うでしょう〜」
 ああ、そうだった…と、ポンと手を打ったのは美樹。三郎は不思議そうに、聖は、気持ちは判るけどねと苦笑いを浮かべて美樹を見遣っている。
 のんびり・おっとり系の弄られキャラ、谷山係長補佐。ほのぼの系が良いわと、意外とモテているのだが、何処がのんびり・おっとりけだよ、の短気で派手なお人だった。三郎の外面の良さは魔王に準ずるんじゃないかと、武闘派では噂されている。因みに、得意としているのは大規模破壊。イタリアにも、地図からとある村を消せと厳命されて行く。勿論、命令したのは俊だ。ま、それは良いとして、表会社の事〜‥。
「俺が居るんならチャチャチャとやっつけるんだけど、仕方ないか。諦めます。匠には1人で頑張って貰おう! 失礼しました」
 思いも掛けない人物の名前が飛び出し、聖がドキッとしたように表情を変えた…ような気がした。その僅かな変化を、美樹は見逃さなかった。
 今や立ち去らんとしていた三郎に、矢継ぎ早に質問する。
「どうして須貝さん? 彼、デザイン課」
「社内の表社員の事に明るい使える奴だから」
「奴って…ファイブカードでしょ」
「ツ〜ン! 俺のが先に十人衆入りしてるから、アレは後輩なのぉ〜」
「どうして聖さん?」
「生意気にも匠の指名。冷静沈着・頭脳明晰・容姿端麗…最後のは俺の主観ですけど。あんな狼さんと2人で作業させるのも忍びないんですけど、以外はバツとか抜かしやがるんで。ま、ウチの林君で我慢して貰おう♡」
「嬉しそうですね」
「くふふ♡」
 意味深に、三郎が笑った。
「匠LOVEのデブス…嫌々、ぽっちゃりタイプの個性的な娘だよ♡」
 愉快そうに笑い、うんうんと頷く。
「上司として、チャンスを作って上げないと♡」
「谷山さんのお仕事期間は?」
「え? 最短で3ヶ月」
「あら。長期ですね。じゃあ、表は出向」
「そう。潜伏するから、そのくらいは見ないと」
「ふ〜ん。判りました! ウチの聖さん、貸しましょう! 頼みますね、聖さん」
「よっよし君っっ」
「ホントに♡」
「本当に。素早く解決しますよ」
「よっしゃあ! ウチの林君も付けとこ。ダブル林って事で。ぐふふふふふ♡」
「谷山さん。それ嫌がらせ?」
「うん! あっ、否っっ。9時半に11階のディスカッションルームに来て下さい。でわ〜」
 そして、今度こそ本当に、三郎は消えた。
 困惑気味の聖の背中を、美樹がそっと押す。
「聖さん。年齢は関係ないです」
「あるよ。まぁ良いや。若い君に言っても埒が開かない。9時半になったら行くよ」
「ぁっ」
 仕事に出る時のように、聖がスゥッと感情を消してしまった。出しゃばり過ぎた?
 俊が出社し、社内の騒ぎと併せて聖の任務も話した。
「匠の指名ねぇ。三郎もバカだな。敵に塩と砂糖と水も送っちまったぁ〜」
「若は知ってらしたんですか?」
「聖は付き合いの長さで気付くわい。匠は、俺相手に恋愛相談して来やがる。ガス抜きさせねぇとドジるんで呑みには付き合ってたけど、ふぅ…。酔うと決まって聖の話だ。お前は15〜6歳の乙女かって感じ」
「へぇ」
「好き合ってんだから、なるようになるべ」
「はい」
 若からもOK貰っちゃって、林聖絶体絶命。
 9時20分の11階ディスカッションルーム前。52階だから手間取ると思い、聖が一足先に来ていた。でも、鍵は掛かったままで、中には入れない。待つしかないなと溜め息吐いたら、匠が姿を現わした。
「林さん♡」
「須貝君」
「居るって事は、引き受けて下さったんですね。有り難う御座います」
「いっいや」
 そんな爽やかに笑い掛けられると、心拍数が跳ね上がる。
 聖はシラッと視線を切り、上気した顔を匠に見せまいと、深く俯いた。
 匠は、長身でがっしりタイプのイケメンだ。俊とは又異なるフェロモンを持っている。落とせない男も女も居なかったけど、マジ惚れしたら、そんなモン更々効かないと知った。
 元々、聖は気になる存在ではあったが、15歳も歳上だ。相手にされる筈もない、と思い込んでもいたから、打ち明けるなんてとんでもない話で、ほろ苦い初恋‥‥のようなものだった。それがある瞬間、マジモンになった。
 匠25歳。まだ駆け出しの頃、1度だけど、聖と組んで任務を遂行した事がある。結果的にそれは匠の高評価に繋がったが、聖のドライビングテクニックあってこその高評価でもあった。
 旧市街地でのカーチェイス。聖の迷いのなさと、神のアクセルワークと、悪魔のステアリング捌きで敵を分散させる事に成功し、別働隊が根こそぎ根絶やしにした。この時の聖の横顔と、一仕事終えて表情を和らげた時とが忘れられなくて、この5年、ジリジリと片思い。滅多な奴には相談も出来ないからと、聞き役は俊だった。
「林さん、好きな人居るんですかね」
「知るか。テメエで聞け」
「出来れば、こんなところで呑んでません」
「そりゃそうだ」
「男‥‥ダメでしょうか」
「バイの筈だが」
「タチかしら」
「なら、お前がネコになれ」
「そうですねっ。お尻、鍛えなきゃ。どうしたら良いですかね。若、鍛えて下さい」
「バカ言ってんじゃねぇっ!」
 こんなやり取りが、呑む度に繰り返されていたとは、誰も知らない。
「あっあのっ林さんっ」
「はっはい」
「こっ今度、俺…否、私と呑みにっ」
「お待たせしました〜!」
「チッ」
「何? 何、今の舌打ち」
「気のせいでしょ」
「そうか」
 もうちょっとで誘えそうだったのに、お邪魔虫、恋のライバル三郎が丸いのと元気に現われた。
「何? その丸くてブヨブヨしたの」
「おいっ。たく…須貝君」
「空気が薄くなる!」
「まぁ〜まぁ〜中に入りましょ〜」
 匠の反応なんてOUT of 眼中で、さっさと鍵を開けて3人と1個(?)が中に入った。そして、一応、席に着く。
「コレを」
「何だい?」
 どっさりのプリント。
「今日迄に総務に届いた怪文書と、深夜に剥がしたのと今朝の写真のコピー。コレを作っていたから遅れました〜」
 そんな事ぁ訊いてねぇ。もっと遅れて来れば良かったのに、ブツブツ。思っても言えない言葉。匠の豊かな表情が、ムッツリしている。
「一通り、目を通して下さい」
「━━━━━‥‥‥。谷山君」
「はい♡」
「FAXの日付けは正しい?」
「え? はい。どうしてですか?」
「1番古いの、3ヶ月前なんだけどな」
「本当だー!」
「煩いよ、須貝君。もっとお上品に出来ないのかね」
「何遊んでたんスか、総務わっ」
「総務は忙しいんだよっ。こんな怪文書に振り回されてたら仕事にならんわいっ」
「仕事しなかったくせ何言ってんスか」
「マジにするかよっ」
「でも、3ヶ月放っておいたから第二段階に移行したんじゃないのかい?」
「結論から言うとそうなんですけど…」
「総務の職務怠慢!」
「煩いよ」
 匠には強気の三郎だが、聖の言った事にはダメージを受けていた。
「え〜っと…後は任せた! 3人で解決に導いて」
 掛け時計の文字盤にギョッとなり、三郎が早口でそう言った。で、そのまま出て行こうとしたけど、匠がマッタを掛ける。
「タンマ!」
「何だよ、須貝君。俺忙しいの。ね、林さん♡」
「その、丸くてブヨブヨした妖怪は何ですか」
「おいっ。女の子だぞっ」
「女の子かも知れんが、妖怪の女の子に用はない」
「匠ぃ〜っっ」
「何ですか、谷山さん」
「フン! 林伸子(ハヤシノブコ)ちゃん。一緒に調査して貰う」
「要らない! 妖怪の言葉知らないもん」
「おいっ」
 聖と2人だけにさせたくない三郎と、聖と2人だけでイチャイチャやりたい匠が、聖の意思を無視して火花を散らす。
「ヨウカイって、あたしのコトですかぁ〜?」
 口元に、逞しい左右の握り拳を添えて、本人、精一杯の可愛子ブリハマチっ子。けど、気味悪い。可愛いつもりで泣きそうな表情を作っているが、それの醜い事。
「おいっ! 妖怪っ! 誰が喋って良いって言ったっ!」
「ひどいですぅ〜っ」
「そのベチャベチャした喋り方、止めろっ! 妖怪っ!」
「ぶぇ〜んっっ。ひどい〜っっ」
 マジ泣きして、ドスドス出て行った。
「あっ伸子ちゃん! 匠! テメエ!」
 三郎が妖怪を追い掛けて部屋を出て行き、図らずも聖と2人切り。
「林さん♡」
「おっ」
 ヒシッと手を握られ、瞳を覗き込まれた。顔が近い! と思ったけれど、引き合ってしまう。今や唇と唇が触れん、と言うところで、バンッと扉が開いて、三郎が妖怪を連れて戻って来た。慌てて手を離しそっぽ向く2人。この2人の在り方に危機感を感じた三郎が、硬い声を発した。
「何か‥‥ありましたか?」
「何も」
 鉄面皮の聖が、感情を消した。
「林伸子ちゃん。一緒にやって貰う」
「要らない。そんな妖怪に何が出来る。バカが移る。出てけっ! 会社辞めて良いぞ!」
 煽りはしないけど、匠の言わんとする事も判るので敢えて何も言わなかった聖が、三郎に何か言われてお目々キラキラさせている妖怪伸子にゾッとなる。何だ、このバリケード。
「頑張ります。たっくん♡」
「はぁ〜?!」
 匠の声が又見事に裏返ったが、イシシと笑う三郎に気付き、聖がそっと声を掛けた。
「どんな魔法を使ったんだ?」
「匠は、好きな相手程悪く言うって」
「そう…。良いけどね」
 ぐふふ笑いを溢したら、ドスッと物凄い音が響き渡った。三郎が、自分の頬スレスレに投げ付けられ、そのまま後方の壁にめり込んだ卓上セロテープを見遣る。咄嗟に口を押さえたけれど、時既に遅く、唇は読まれた後だ。
「テメエ、殺すぞ」
「なっ何もそんなマジで怒らなくても」
「何だと」
「あっ…済みません。悪ふざけが過ぎました」
 深々と頭を下げたのは、係長補佐。チーフデザイナーでしかない匠の方が、睨みをきかせている。然もありなん。十人衆に年齢は関係ない。属年数も無関係だ。あるのはNo.1から10迄の逆らえぬランク。ハートのエース事No.2の匠に、例え先に十人衆入りしていてもNo.5でしかない三郎が、勝る道理もない。
 判らないのは、空気の読めないバリケードな妖怪1匹。
「たっくん、補佐に失礼よぉ〜」
「うっせぇよ、デブス。殺す」
「良いよぉ〜♡」
 あ〜あ。こんな所で脳漿ぶち撒けても仕方ないのに。
 屠られた妖怪。屠ったのは三郎で、同部下が、さっさと後片付けをしている。それを無視して、匠は出て行ってしまった。
「はぁ…調子に乗り過ぎた…どうしよう」
 頭を抱える谷山君。
「宥め透かしてみるよ。イタリア行っといで」
「あっ有り難う御座います。帰ったら何かご馳走様したす♡」
「要らない」
「林さ〜んっっ」
「じゃ」
 三郎にはとことん冷たい聖なのだった。
 匠が置いて行ったコピーも持って、そのフロアを後にする。
“宥め透かすったって、あっちらさんは十人衆No.2だよ。簡単には、曲がったヘソは治らんだろうな。どうしよう”
 あれこれ思案しながらも、33階の企画部、デザイン課にやって来ていた聖は、良い魔物(?)だと思う。
 広いフロア。ここの何処に居るんだろう。秘書が常駐する前室がある訳でも、案内板や席順を記した何かがある訳でもなし、困ってしまった。
「匠だからたっくんか。たっくん♡」
「はい♡」
「いっ」
 扉口から見渡したくらいじゃどうにもならず、半ば諦めて、諦めて次いでにもう一つも諦めて、最初で最後と想いを込めて呟いたら、殊の外嬉しそうな匠の顔がヌーッと近付いて来た。
「今、俺、もとい、私を呼びましたよねっ」
「あっ」
「ねねねねねっ! 私がたっくんですっ! 呼びましたよねっ!」
「はっはい」
 にじり寄られた分逃げたが、両手を握り締められていたから、思った程逃げられなかった。
「なんの御用でしょうか♡」
 匠のテンションに付いて行けない。
「こんな色気のないオフィスではなく、喫茶ルームに行きましょう。さぁ、行きましょう行きましょう♡」
「あのっ」
 こんなキャラだったっけ?
 なんかズルズル引き摺られて、25階の喫茶ルームに連れて来られていた。
「何にしますか?」
 喫茶ルームも食券制。
 匠の押しに負けてエスプレッソを頼み、匠はブレンドを。適当なテーブルに着きオーダー。ここもオーナー社長のテコ入れで、本格的なコーヒータイム、ティータイムが送れる場所となっていた。味の方は言わずもが。
「いつもエスプレッソなんですか?」
「たまに。いつもはココアかウインナコーヒーかな」
「あれ。変更しましょうか」
「否。今日は朝、ココア飲んだから」
「そうですか? じゃあ…。甘いのがお好きなんですね」
「そうだね。お酒も甘いのが好きだしなぁ」
「ブランデーとかカクテルとか?」
「うん。じゃなくて」
「はい」
「あの」
「何でしょう。今度、呑みに行きましょう。旨い日本酒置いてる店があるんですよ。是非」
「良いけど、甘口じゃないと」
「勿論勿論。ワインみたいなフルーティーなのはNGですか?」
「大丈夫だけど」
「良かった。いつ行きます? 都合の悪い日を教えて下さい」
「それはちょっと置いて」
「えっ! どうして置くの? 大事な話です」
 匠が身を乗り出すから、その分仰け反った。話をホモ狩りにしたいんだけど、中々上手く行かない。そこに、エスプレッソとブレンドが運ばれて来た。ほぅっと一息吐いて、救いを求めるように上っ面を啜る。
「それで、いつ呑みに行きますか? どうせだから、夕食も一緒に」
「これ」と言って、持っていたコピーをテーブルの上に置いた。匠の反応は悪い。表情も不愉快そうになって、こうなる事を恐れて中々切り出せなかった聖がしくったなぁと、腹の中で溜め息を吐いた。
「こんなの、三郎さんにやらせとけば良いんですよ。それより」
「コレ解決しないと、何処にも行けないですよ。若の指示ですし」
「えっ。そんな上からなのっ」
 不愉快そうだった匠の顔色が、瞬時に変わった。
「私がです」
「あ、そうか。聖さん、若の秘書でしたね」
「え?」
「何か?」
「いえ」
 余りにも自然に、名前で呼ばれた。いつも、そう呼んでくれているのかな? だと嬉しいな。
「解決したら呑みに行く?」
「はい」
「夕食も行く?」
「はい」
「映画とショッピングとドライヴもOK?」
「はい。━━━━‥‥え?」
「よっしゃあっ! おっと。ケホン」
 声が大き過ぎた。周りの目を気にして、匠が咳払い。
「では、張り切ってやっつけましょうか」
「あの…須貝君」
「たっくんか匠で、聖さん」
「否。そう言う訳には。君、ハートのエースなんだし」
「そんなの関係ないです、聖さん」
 耳に心地良い、好きな人の声で名前を呼ばれるのって…。もう一度、呼んでくれないかな…。
「たっくんと匠、どっちなら呼んでも良いですか? 聖さん」
 矢っ張り、良いよ〜。
「じゃじゃあ‥‥たっくん‥‥で‥‥」
「はい。聖さん。俺をそう呼ぶ人は、もうこの世に居ません。だから嬉しいな♡」
 そんな無邪気に微笑まれると、もっと先を望んでしまうよ。浅ましい‥‥。
「…かちゃん」
「え?」
「たかちゃん。私をそう呼ぶ人も、この世には居ないけど」
「はい。たかちゃん」
 うううっ。幸せ。死んでも良い。思わずに〜っと、笑い合ってしまった。
「まず、全文を読もう」
「そうですね」
 総務に送られて来たと言うFAXを、日付け順に読んだ。文字は、新聞や広告の切り抜きだろう。文面は稚拙で、文才の欠片も感じられない。1日平均70枚。これは、会社が休みの土日祝祭日も含めての数だ。貼り出されていた写真。同じ物だと思ったが、違った。
「何だかなぁ〜」
 バカ臭いとも続け、匠がファンを回してタバコに火を点けた。喫茶ルームも社食も、分煙。しかも、喫煙席の各テーブルにファンが付いていて、煙が余所に行かないようになっている。
 確かにバカ臭いんだけど、それを言ったら終わりだろう。仰る通り、撮られた側にも落ち度はある。社員なのだとしたら穏やかでは居られないだろうが、まだ、社員だと決まった訳じゃない。
「ネットワーク使えば直ぐに、この2人は限定出来るのに」
「それやると、2人での時間が持てなくなる」
「それは大変! 止めましょう! え?」
「いっ否」
「2人で解決しましょ、ね、たかちゃん♡」
「うっうんっ。たっくん」
 ああ、恥ずかしい。浅ましい。
「専任ですか?」
「ん」
「若にはなんて?」
「タラタラやらずにキリキリ片付けろ」
「ははははは〜。音声映像付きで再現出来る…。俺も上司に許可取らなきゃ」
「専任じゃないんだ」
「たかちゃんがOKしてくれるかどうか判らなかったので、専任ではないんです。でも、専任になりますょ。デザイン課の課長、保ですもん」
「ああ」なる程は、心の中で。上司より実力が上で偉い部下なんて、本社では珍しくない。寧ろ、その方が多いくらいだろう。現場に近い順に動き易いポジションに就いている。
「?」
 匠が徐ろにスマホを出し、何処かに電話を掛けた。静かにしてよっと。コーヒーカップを唇に運ぶ。コーヒーはすっかり冷めていた。と、普通の喋り声で匠が話し始めちゃった。
「あ、保ぅ〜? あのさぁ、三郎さんの案件、専任にさせて貰うわ。若の指示受けて、林さんも専任だからさ。じゃ、宜しく」で、切ってしまった、返事も待たず、一方的に喋って…。まぁ、自分も似たような事するけど‥‥。だって、説明する時間が惜しいんですものぉ〜‥。
「さ〜て。何処から攻めましょうか」
「手掛かりはこの写真かな。加工、外せるかな」
「そんなの簡単ですよ。52階のミーティングルーム、使えませんか?」
「使える筈だ」
「では、コーヒーをゆっくり飲んでから行きましょう♡」
「え?」
「ね? たかちゃん♡」
「ん‥うん」
 新しくコーヒーを注文して、ゆっくりと楽しんだ。この、コーヒーブレイク中に美樹に連絡入れて、ミーティングルームの鍵だけ開けといて貰った。
 話が弾む。趣味の話、好きな音楽や映画の話。愛読書とオススメの一冊とか、昼休み迄そこで話し込んで、お昼は匠が良く行くと言う和食屋でお昼の定食をご馳走になって、午後の始業を合図に写真の加工を外しに掛かった。
 匠の整えられた指先が、慣れた風にマウスを動かす。グラフィックデザインもやるので、匠のデスクには専用のPCがあった。普段はそれを使ってデザインしている訳だ、色々と…。
「あっ、取れた」
 加工そのものは初歩的な物で、僅か5分足らずで外せた。匠の肩越しに画面を見ていた聖が、思わず感嘆の声を上げたが、匠本人は無感動。
「誰だろ、こいつら」
「本社勤務の全員の顔と名前迄は‥‥」
「ですよね」
「そうだ! 名簿、使える!」
 匠と場所を変わり、田口部長の秘書のIDで社員名簿一覧をダウンロードした。詳細な特徴を照合しながら、個人を特定して行く。外見的及び身体的特徴を細かく入力したのは聖だ。裏関係の資料作りに必要な事だったりする。
 声もなく眺めていた匠は、惚れ直し中。
 顔がもっとはっきり映し出されていれば、写真で照合出来るだろうに、ピンボケだから、写真照合迄に踏む手続きが面倒い。
「よしっ。特定出来た。2人共、社員だね」
 福井太陽(フクイタイヨウ)26歳。入社4年目の経理部2課平社員。カミングアウトはしていない。因みにネコ。
 もう一方のタチは、同三浦班班長、三浦勇(ミウライサム)30歳。これ又、カミングアウトしていなかった。つまり、隠れホモ。
 2人共出社していた。犯ってる最中の写真が貼り出されていたとも知らず、興味もない女の子の話で盛り上がっているところだった。課のマドンナ的女の子が班に居て、その娘の事で班と言うか課で話題になっていたそうだが、知ったこっちゃない。事情聴取だ。
 2人で訪ねて行ったが、呼んで来たのは匠。名前じゃないが、言葉巧みに連れ出してくれて、邪魔の入らない52階の談話室で話を聞いた。8階の経理部から重役室の52階に連れて来たから緊張すると思ったのだが、物珍しさの方が勝ったようだ。珍客2人は、談話室の豪華さにキョロキョロしていて、てんで落ち着きがない。
 しかし、写真を見せたら固まった。そりゃそうだろう。励んでいるところの写真だ。だが…。
「お前ら恋人同士じゃないの?!」
「はぁ」
「まぁ」
 声をひっくり返した匠を宥め、聞いておくべき事を聞き出す。憎からず思っていた相手と初めてのバー。そんな気は更々なかったけど、太陽が潰れた。だから、その店の近くのビジネスホテルも唯一空いていた部屋に泊まる事になった。特定の相手は居ない。同じベッド。相手には不自由していた。それで何となく犯っちゃった。と言うのが全貌。
「早くカミングアウトしろ!」
「こんなの出回っちゃ出来ないっスよ」
「明日からどんな顔して出社すれば良いのか」
「化粧しろっ、化粧!」
 匠がエキサイトしている。
「たっくん」
「だって、たかちゃん」
 聖に諫められ、匠がブウッと膨れた。何か可愛い。聖が思わず失笑。
「何スが、その呼び名」
「まさかお2人は」
「そーだ! 恋人同士だ! 証拠見せてやる!」
「えっ! ぅっんっっ」
 思わぬ展開に焦ったら、匠にKISSされた。
“うわっ…キス…上手…”
 頭の芯がスパークする。相当場数踏んでるなと思ったら、少し悲しくなった。匠の事、とやかく言えないのに‥‥!
 モヤモヤしてたら首筋に吸い付かれて汗々、
「ちょっ…ダメだよ…こんなトコで…ダメ」
「こんなトコじゃなければ良いですか」
「ゔ…っ…はい…」
「よっしゃあっ」
 目線バッチリで、逸らしもしないから、それから逃れたくて、ついつい頷いてしまった。うわ〜っっ!!
「やっぱ、社内恋愛多いですかね」
「そうだな。氏素性もはっきりしているし。但し、カミングアウトしている人達の間でだ!」
「ぎゃふん」と、その2人が言ったかどうかは別にして、酒とバーとホテルが怪しい。そこで、その夜に2人で行ったけど、普通のバーでホテルだった。匠も聖も酒が入ったけど、同じ部屋に泊まったけど、KISS一つ交わさず、翌朝、ホテルのモーニング食べて、聖の車で運転で出社した。2人共、会社に着替えを置いている。聖は52階にプライベートルームがある。匠はファイブカードなので、オーナーのオフィスの一画、56階にプライベートルームがあった。なので、他の社員の目を避けるように地下駐車から、それぞれのプライベートルームに向かった。まだ7時だ。社員は徹夜組しか居ない。
「やれやれ」
 俊は重役待遇。裏重役と同じく、ワンフロアが俊の為のオフィスだ。そこには7室のベッドルームがあり、その内の1室が、聖が充てがわれているプライベートルーム。
 聖は、自分のプライベートルームでゆっくりシャワー浴びて、身包み一式着替えた。ドライヤーで髪を乾かしセットする。と、スマホが鳴っていた。慌てて出ると匠で、次の写真が貼り出されていると言う。聖は背広は着ず、ネクタイを結びながら、社内掲示板のある一番近い40階に降りた。そしてびっくり。別の2人のハメ撮り写真が、顔を加工されて貼り出されていた。昨日やった事と同じ事をしたが、共通点はない。今回はカミングアウトしていたし…。でも、糸口は見付けた。唯、言いたくない。それは2人共。もっとこの時間を続けた。
 しか〜し! 怖〜い若から喝を入れられ、その後1日で解決させた。真面目にやれば3日で解決出来た事件を、私情に依り20日も掛けてしまった。この間の被害者は40人。同じ事を繰り返していたけど、被害者に共通点はない。カミングアウトしている者・していない者の差はあったが。唯、日を追う毎に加工が薄くなって行って、最終的には個人が特定出来る様にしたいのだろうと判った。
 ヒントは画素とアングル。
 犯人は、庶務課の冴えない女子社員だった。
 好きになる人なる人どいつもホモで、犯されて悦ぶ女を見てみたい、との理由で、輪姦されたらしい。その娘が好意を寄せたホモ社員の名前で呼び出されて輪姦されたのだが、そのホモ社員は喜んで見ているだけで仲間に入る事はなかったそうだ。デートの誘いに乗って睡眠薬入りの酒で潰され、何処だか判らない小屋で輪姦されロストバージン。35歳にもなって処女だったのかとか、呑んでなきゃ犯れね〜とか、散々囃し立てられた。これに逆上した彼女は、本社のホモ社員全員のハメ撮り写真を集め、公開してやる気だったらしい。唯一の心の支えだった田口部長迄ホモなんて許せない! と、言う事だ。
「えっ? 俺?」なんざ、すっ惚けていたが、俊がああ言う形で美樹との関係をオープンにしなければ、今回の事件は起こらなかったと思う。
 電気工学科卒の彼女は、本社社員が普通にスマホとPCをケーブルで繋いで情報の出し入れをしていた事から、一つのアプリを作り表社員のPCからウイルスを感染させた。カメラ機能を自由に使えるようにするアプリなのだが、当然、女子社員もノーマルな男性社員も居る。その選別確認の時間も必要だったようで、彼女が暴行を受けて写真を発表する迄に掛かった時間は5年。恐ろしい女の執念だ。しかし、無関係のホモ社員迄ターゲットにしちゃうと、弁護出来ない。彼女は、表社員のホモをほぼ全員把握していた。それにはカミングアウト前の社員も含まれていて、会社調べより確かだった。彼女は、有罪実刑丸確だけど、この情熱を仕事に向けて欲しいなと言う恩情で、実名を公表される事もなく、支社に飛ばされた。
 この事件が発端で、表社員のカミングアウトが増えたと言う事だ。
「終わった〜」
「終わっちゃいました」
 全てが終わったのが、更に10 日後。
 気忙しかった毎日がなくなるのだ。
 一抹の淋しさが━━━‥。
 けれど!!
 ほぼ同時に思い出した。確かに、この事件は終わったけど、2人の仲はまだ、スタートさえしていなかった事に━━━━‥。
「たかちゃん♡」
「はい」
 耳慣れた呼び名。
 唇が慣れた呼び名。
「晩ご飯に誘ったら、OKしてくれますか?」
「うん」
「良かった♡」
 匠が嬉しそうに笑う。
「いつ誘おうかなぁ〜。希望とかありますか?」
「夜景が綺麗な所」
「了解です。リサーチして予約入れよ。ダメな曜日とかありますか?」
「月曜から木曜」
「ありゃ。でも、週末は良いんですね♡」
「お酒、呑みたい。少しドライヴしよう」
「わっかりました! 飛び切りロマンチックな夜にしましょう♡♡」
「ん。部屋、取って下さい」
「えっ?!」
 言い捨てて立ち去った聖を見送り、匠はガッツポーズ。
「よっしゃあ!!」
 お互いに想い人に心を寄り添わせたが、違う点も。匠は、スタートにしたいと思った。けれど聖は、ゴールにするつもりでいた。応じてくれただけで満足だ。
 そんなある日、田口部長の前室の内線電話が鳴った。いつものように、聖が出た。
「はい。営業部部長室です」
『たかちゃん?』
「うん」
『明日の金曜の夜、空いていますか?』
「うん」
『デートを申し込みます。OKしてくれますか?』
「はい」
『何時に終わります?』
「明日になってみないと」
『そうか。まっ、無理の効く所だから平気です。では明日♡』
「はい」
 電話を切り、じ〜んと感じ入る。
「誰からですか? 随分と親し気でしたけど」
「須貝君」
「あ〜れ〜」
「有終の美さ。若は多忙?」
「暇ではないでしょうけど、話す時間くらいあると思います」
「そう。今行って怒られないかな」
「大丈夫ですょ」
 美樹に促され、聖が部長室に入って行った。そして、1通の封書を出して頭を下げる。
「長い間、お世話になりました」
「最後の1秒迄仕事しろ」
「はい」
 静かに出て行く聖を見送り、匠にFAX送信。勝手に纏めやがれ! 面倒見切れんわい!
 匠はデザイン課チーフだから、デスクにFAXもあるのだが、いきなり届いた若からのFAXに複雑な気分になった。でも、ピラッと閃いて、グッスリ眠れた。今日も元気だタバコが旨い!
「よしっと。ご苦労様です。聖さん、上がって下さい」
「よし君は?」
「宮城物流の会長のバースデーパーティー」
「何歳の?」
「88歳の」
「死ねよ、妖怪」
「あはは〜‥。じゃ、又明日」
「あっうん…?」
 第一秘書の美樹に話してないのか? 今日で部長秘書を辞めて、武闘派のメンツとしても現役引退し、お館もこの2〜3日中に出て行くのに。まぁ良いか。さよならの言えない稼業だ。
 聖の部屋は、片付けられていた。既に、荷物の殆どは段ボールに詰められている。まだ、次の住まいは見付けていないが、焦ってもいなかった。部屋が見付かる迄ホテルで暮らしても良いだろう。荷物は、トランクルームに預けておけば良い。
 匠との最初で最後のデート。
 聖のスカイラインR34でドライヴがてら舞浜に行き、ディズニー・シーに併設されているホテルでディナーを食べ、同じホテルの展望デッキで唇に甘いカクテルを楽しみ、身を一つに繋いだ。
 特定個人とは関係を結んでいないが、枯れない程度に特定多数と不定期に犯っていた。
 一方匠は、聖にマジ惚れしてからはずっと、行きずりの一夜だけの関係。たまにしつこいのに当たったけど、手厳しく振っていた。
 聖は、自分が辞表を出した事を匠が知っているとは思っていない。そして、その答えを見付けた事も知らない。
 SEXの後の一服。この夜は、聖もふかしていた。普段は吸わないんだけど━━━‥‥。
「たかちゃんは自分が要らないんだよね?」
「え?」
「若に辞表出したでしょう。若からFAX届いてさ」
 何て事をするんだと、正直呪った。けど……。
「たかちゃんに要らなくなったたかちゃんを、俺が貰うから」
「・・・。は?」
「たかちゃんに拒否権はないよ。だってたかちゃんは、自分の所有権を棄てたんだから。それを、俺が貰い受ける」
「何を言って」
「俺は一生涯、たかちゃんを美しいままで守って行く。そう決めたから」
「バカな事言ってないで」
「バカかもだけどマジだょ。俺は不可能を可能にする男」
「ダメだよぉ」
「どうして。そんなに俺が嫌い? 嫌いでも、俺の虜にするし」
「好きだからダメ」
「聞かない。たかちゃんは自分を棄てた」
「輝かしい未来のあるたっくんに、俺は相応しくないんだって」
「へぇ。普段の一人称は俺なんだ。もっと地を出してよ。後、魔物の俺の未来に、輝くものなんてない」
 ゾクゾクゾク〜っっ! カッコいい。否々。
「こんなみすぼらしい中年のオッサンなんか」
「失礼だな。たかちゃん、俺のたかちゃんに失礼だろ。謝ってよ」
「何を…」
「俺のたかちゃんは…俺のたかちゃんは〜そうです! 所作が美しいんだよ。線を引くように無駄がない。そうなのです! 美しいのだ♡」
「たっくん…」
「何も聞かない。たかちゃんは俺が貰った。俺のだからね!」
「うん。全部上げる」
 聖が抱き付いて来て泣き始めたが、危ないタバコの火の始末は、匠が大慌てでやった。それから改めて、抱き締める。こんなに細いんだ。そろっと扱わないと、壊しちゃう。
「たかちゃん。大事にするからね」
「はい」
「もっかい良い? 元気になっちゃった…」
「うん…。俺のも元気…」
 口付けから始めて、夢中だった2発目。ガムシャラな3発目。夢見るような4発目が終わってからの5発目。やっと楽しめてる。
 お互いに、スゲーッ! なのだが、肉の相性、良かったらしい。まだ行ける。
 腰に手を添えて、ゆっさゆっさと聖の身体を揺すっていた。そしたら、緊急用と、枕元に置いておいたスマホが視界に映った。聖を貰った事、若の耳にも一言入れておくか。元所有者だし、金曜の深夜26時に、あの若が寝ているもんか! てな訳で、もしもし電話。固定に掛けたけど出ないから、スマホに掛け直す。すると出てくれた。
『何かあったか』
 いつもの、野太い若の低い声。それを耳にして機嫌の良くなった匠は、笑いが止められなくてヘラヘラしている。
「たかちゃん、確かに貰いましたから〜」
『誰だそれ』
「たかちゃんだってば! 林聖〜♡」
『お前、薬やってねぇだろうなっ!』
「そんなバカしますかって! 犯ってますけどねぇ〜SEX♡」
『そーかよ』
「すっげー良いんですよ!」
『聖とはやってねぇからなぁ』
「今更ダメですよ!」
『喧しい! 俺も犯ってんだ!』
「美樹と? か〜っ! 性犯罪者!」
『バカ! ミキじゃねぇがな〜』
「え〜? 良く許して貰えますねぇ…」
『そう躾てある。聖に伝えとけ。ちゃんと出社しろって。じゃあな』
 一方的に電話を切られて、匠がムッとなる。その分グラインドが大きくなって、聖は桃色吐息。
 そんなの判らない、てか、気付かない。
「もしもし若! それな〜に! たかちゃんは俺のだからね! 大事にしまっとくの!」
『ざけんなっ! 誰が任を解くっつったっ! 辞表は棄てたわいっ! ガチャン』
「あっ‥‥あ〜‥‥たかちゃん。若が仕事しろって言うょう〜‥‥」
「うっん‥‥若の声大きいから‥‥聞こえたぁ〜たっくんっ‥‥気持ち良いのぉ」
 天使降臨! 可愛過ぎる〜っとガンガン突き上げて、一緒に召天した。嫌々。降臨したのは魔物で、一緒に召されたのは地獄である。
「おはよう御座います」と言って姿を現わしたのは美樹で、今朝も大きな荷物を持っていた。
 あのホモ狩りが落着してから、早くも2ヶ月半。人の噂も75日。騒付き浮き足立っていた社内も落ち着きを取り戻し、日常が過ぎていた。
「おはよう」と、静かに返す聖の姿もいつもと同じ。昨日と変わったところなど何処にもない。
「おっはよ〜御座いま〜す♡」と、賑々しく登場したのは忘れて久しい人物だった。
「3ヶ月半振りの三郎です! 淋しかったでしょう、聖さん♡」
「全く」
 握られた手を、ペッと払う。しかし、一向にめげない谷山君。
「ホモ狩り解決のお礼のディナー、今晩行きましょう。予約入れてます♡」
「どうして私が礼をしなくちゃならない。勝手に予約など入れないでくれ」
「嫌々イヤイヤ。僕からのお礼で〜す♡」
 不愉快そうな聖の表情も目に映らない。
「ホテルオークラの展望レストランに聖さんの名前でリザーブしてあります。そのままロイヤルスィートで一夜を過ごし、身も心も一つになりましょう♡」
「部屋も私の名前」
「はい♡」
「支払いは」
「勿論、僕で〜す!」
「ふむ。だって、たっくん。オークラの展望レストランでディナー摂って、ロイヤルスィートに1泊しよう」
「そうだね、たかちゃん。遅くなってごめん。淋しかったろう?」
「ん。淋しくて泣きそうだった」
「どうしたら良い?」
「ちゅう♡」
「普通の?」
「ううん。甘くて濃いの♡」
「お安い御用♡♡」
 レロレロの濃厚DEEP Kissを目の前で展開されて、三郎が凍り付いた。けれど、美樹は平然と無視して仕事をしている。だって、これも日常。今日は少し遅れた感じ。どうしたんだろう? と心配にはなったが、匠が来ない事はない、と思っていた。ま、出張中は無理だけど‥‥。
「三郎さんなんかと話してるから、俺が来たのに気付いてないんじゃないかと思った」
「谷山君なんかと話してるんだから気付くよぉ。たっくんは俺のダーリンなんだから♡」
「My honey、たかちゃん♡」
「My darling、たっくん♡」
 三郎を押し除けるようにして、はしーっと抱き合い、朝一の、謂わば昨日振りで淋しかったよの儀式が終了。と同時に、第2部が始まる。
「今日のお昼、たっくん1人になるかも知れない」
「えっ! どどどどどどーしてぇっ?!」
 第2部はお昼の予定がメイン。
「お取り引き先の専務と会食なんだぁ。1人でも、お昼食べられる?」
「ムリ! ぜーったいにムリ!」
「だよねぇ〜。俺が戻る迄、ひもじいの我慢出来る?」
「我慢する!」
「じゃ、一緒に食べよう。ね?」
「うん♡」
「ちゅう♡」
「ちゅう♡」
「た〜かちゃん♡」
「はぁい♡」
「ちゅう♡」
「ちゅう♡」
「た〜っくん♡」
「ちゅう♡」
「ちゅう♡」
 第2部終了。朝の儀、これにて完了。今朝も仲良しで良かった良かった。
「おっと。9時になるや。たかちゃん、気を付けてね」
「有り難う、たっくん♡」
「美樹、今日の帰り時間は?」
「え〜と。いつも通りです」
 話を振られた美樹が、本日の予定表を眺めた。代わり映えのしない、びっしり埋まったスケジュール。残業3時間コースだ。
「判った。じゃ、お昼ね、たかちゃん♡」
「うん。たっくん♡」
 耳に付く、甘ったるい鼻声を出し合ってたくせに、9時になると普通に仕事かい?!
 空白の3ヶ月半が痛かったと、それがなければdarlingと呼ばれているのは自分だった筈だと、激しく思い違いしている三郎は、それでも目の前で起こった現実を受け止めて、聖の幸せを心から祈った。そう考えると、些か間抜けだが、良い(?)魔物だと思われる。


《終わり》

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