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ハーモニーアダルト文庫『成立』

作: 平 和 (たいら なごみ)

「こちら朝倉紅葉(アサクラモミジ)さん。聖マリアンヌの2年生。既に調理師の免許は持っていらっしゃるのだけど、スポーツ栄養学を専行なさっている、今年成人したばかりの才色兼備、眉目秀麗なお嬢さんよ」
 これで何度目になるんだか判らない、おばが持ち込んだお見合いちう。今回は、一回りも下ですか。若けりゃ良いってもんじゃないんだけど、おばは諦めてくれない。
 マサシはホウッと溜め息を吐くと、徐ろにタバコに火を点けた。途端に、おばが眉を寄せる。
「正史さん」
「何です? 続けて下さい」
「んまぁっ! ごめんなさいね、紅葉さん。これがお話した甥の吉岡正史32歳。大学病院の外科部長で、これでも教授よ。タバコ、消しなさい」
「何故」
「なっ何故って、医者が喫煙なんて」
「僕は、ストレス感じた時しか吸いませんよ」
「スッストレスなのっ今の時間っ」
「以外の何ですか。話は終わったんですか」
「一応ね」
「結構」
「正史さん」
「何ですか」
「煙り嫌いなので、私と一緒の時は、タバコ止めなさい」
「こりゃ驚いた。次があるとでも? ないから心配ご無用。では失礼」
「正史さんっ!」
「大声ははしたないですよ、おば様」
「どう言うお嬢さんなら良いのっ?」
「おば様の目には才色兼備なのかも知れませんが、こんな、人を見下すような物言いが出来る子供は論外です。優しさのない女の子なんて、丸で魅力がない。じゃ、デートなんで僕」
 マサシはそう言い捨てると、後はもう、振り返る事もなく、お見合いでセッティングされたフレンチレストランの個室を出ると、さっさとタクシーを止め、その場を去ってしまった。
「ごめんなさいね、紅葉さん。昨日のオペ、上手く行かなかったのかも。普段はもっと穏やかで、思い遣りのある子なのよ」
「いえ。大丈夫です。俄然、やる気になりましたわ。男なんて胃袋を掴めばイチコロです。この私をフルなんて許さない」
 最後の一文は声にしなかったが、それでもおばさんは後悔していた。こんな風に考えるお嬢さんだと判っていれば、お見合いなんてセッティングしなかった。正史に悪い事しちゃったわ。次は、ちゃんとリサーチしてから決めないと。吉岡家の嫁なのですから━━‥‥。
 懲りないおばさんだ。
 このおばさんの、人を見抜く能力の低さで、何度、煮え湯を飲まされた事か━━‥‥。本人には更々悪気はなく一生懸命なんだけど、どれもが本人基準の悪意のなさと一生懸命だから、ついでに指摘してやる人も居なかったようで、おばはあちこちで空回りしていた。
 その被害を、今、集中的に浴びているのが、誰あろうマサシだ。結婚適齢期の従兄弟連中、皆んな、何度か(程度ではないと、想像が付くが)被害を受けていようが、その従兄弟連中の中で、はっきりとした恋人の居ない最年長がマサシだったから、上が片付かないと下も動けないのよ! と意味不明な理屈で、月に1〜2度、見合いを仕掛けられている。これが、ひたすら一方的に迷惑だ。
 公表出来ないだけで、好きな人なら1人居る。ちゃんと、じゃないかも知れないけど、お付き合いもしている。唯、あの人に好意を寄せているのは自分だけじゃなく、公には婚約者も居たりする。
 こう言う、不意打ち的お見合いの日は、俊のスマホにワン切りで電話を掛けていた。すると、今一番訊きたい人の太い声が、60分以内に訊けた。忙しい中、どう言う折り合いを付けるのかは知らないが、あの人の声で名を呼ばれるだけで、粟立っていた気持ちが落ち着いた。
“マサシ? どうした?”
「ごめんなさい。もう元気♡」
“ふむ。今、社外だから、戻ったらな”
「うわっ。ごめんなさいっっ。切るね。ごめんなさい」
“大丈夫か?”
「うん」
“ん。帰ったら連絡する”
「うん。気を付けて」
“おう”
 短い遣り取りだったけど、耳が喜んでいるのが判る。心も喜んでいる。否、全身全霊で喜んでいる。でも、シクッた。外出先に電話してしまうなんて、穴があったら入りたい。イヤイヤ、挿れられる側か。そんな冗談はさて置き、重要な会議中や商談中ならスマホを見る事も出来なかったろうが、それでも嬉しい、折り返してくれた事が…。
 マサシは左耳を手で覆うと、ホッと小さく息を吐いて、カルテに視線を落とした。今夜は呑みに行こうかな。そうだ、リズを誘おう! 日本に居れば…だけど…。
“は〜い。どうしたの?”
「今、日本?」
“うん。一昨日、パリから戻った。マサシ君にもお土産あるよ〜”
「わぁぉ。嬉しいな。今晩、呑みに行かない?」
“ん〜とぉ…9時過ぎちゃうけど良いかなぁ”
「勿論勿論。じゃ、何処で待ち合わせしようかなぁ〜? この前行ったZinでも良いかな」
“OKです! とっとこ終わらせて行くね!”
「うん。じゃ、今晩」
“OK!”
 俊が職業をバラしてからこっち、リズとは個人的に付き合いがあった。言うに言えない情人仲間。仲間意識、ってのとは違うと思うが、同じ人を好きな者同士、その同じ人の話が出来る。
「終わりぃ〜」
 病棟持っているから、夜勤とかあったりするけど、教鞭も取っているから早々巡って来るモノでもなく、特に今、容態が急変しそうなヤバイ患者も居ない。
 パタッとカルテを閉じ、1度部屋に戻ってから白衣を脱いでブレザーを羽織り、足早に病院を後にした。もう、診察時間は終わっているから、外来の方は灯りも暗くなっている。IDカードで出入り口のロックを解除し、外に出た。そして、大通りに向かう。今の時間帯は、病院関係者が多い。
「正史さん!」
 訊き覚えのない声で名を呼ばれ振り向くと、若い女が立っていた。知っている顔のような気がするが、思考に直結しない。なので、たっぷりと10秒は女を見詰めたまま悩んだ。そして、お昼の一時を思い出した。すると、
「ああ」って声が溢れる。お節介なおばさんの、大きなお世話だった。コレの事があったから俊に電話したんだし、リズとも呑む。
「俺に何か用」
「くっっ。コレをっ」
「何だ」
「お弁当です。私の実力をお見せします」
「要らない。そんな大上段に構えられて見下される謂れないから。2度と来ないでくれ。次は警備員呼ぶよ」
「!!!」
 紅葉が差し出しているランチBOXを避けるようにして、タクシーを止めると行ってしまった。
「この私にそんな態度っっ」
 マサシの乗ったタクシーを追い掛けるように、待たせていた車に乗り込み、本当に追い掛けた。けれど、銀座の常識にない違法駐車に驚いていたら、小さな店がゴチャッと並ぶ辺りでマサシがタクシーを降り、慌てて紅葉も車を降りたが、降りた場所の関係でマサシを見失った。何処に行ったのだろう。店に入ったの? 単に近道だった? 何にしろ、今夜のところはこれ以上の追跡は出来そうにないようだ。来週、病院を訪ねよう。病院は消えてなくならない。
 フンッ! と鼻息も荒く踵を返した紅葉は、目の前に見えているジャズバーZinに、マサシが居るとは思わず帰宅した。
 Zinのマサシは、キープしてあるブラントンを出して貰い、オムレツ食べながらバーボンロック。この店は俊の紹介で知り、俊と来る時は俊がキープしているブックスをロックで呑んでいたけど、今夜は俊とではない。なので、前回来た時に入れたボトルを出して貰った。当然、裏絡みの店である。マサシもリズもその事は知らないけれど、俊が唯のサラリーマンじゃない事は知っている。どう普通じゃないのかは知りようがないけど、この2人は離れて行けないと思う。現にマサシは、厚生省無認可…どころか、まだ満足な臨床データの出ていない、効く事だけは確かな避妊薬を、俊の婚約者殿用に流している。男ならタネに、女ならハタケに不具合が出るそうなのだが、どう現われるのかは個体差があるし、服用期間や量にも拘って来るのではっきりしない。一つはっきり言えるのは、この薬を使ったら、普通の妊娠出産はあり得ないと言う事。まだ17歳なのに、女の幸せの一つを失った。その代わりで、女の快楽を得ているから不満はないだろう。飾りでも婚約者なんだし、不満はこっちだ。あんな何処にでも居そうな子供が婚約者だなんて、ショック大きかった。
 さて、そろそろ1時間になろうとしていた、マサシが来店して。半分は入っていたブラントン、残り僅か。新しいの入れよ♡ マサシのネックが掛かるボトル。1人で呑みに行ける店は他にもあるけど、来店2回目にして3本目と言うハイペース。1人でこの店に立ち寄った時は俊のキープしているブックス呑んでたし、俊のツケだから懐も痛まなかったが今夜は違う━━‥‥。
 まだ8時が少し過ぎたくらいだから店には他にお客が居なくて、マスターと挿し呑みちう。これって、ペースが早くなるんだよなぁ〜っ。
「サービス」
「有り難う♡」
 チーズの盛り合わせ1皿。
「この前の女の子と待ち合わせ?」
「あ、うん。良く判ったね、マスター」
「ふふふ。マスターだからだよ」
「何だ、それ」
 と、扉に付いているカウベルがカラコロと鳴った。瞬間的に腕時計を見る。そろそろ、呑み屋に人が流れて来る時刻だ。
「お待たせぇ〜、マー君」
「あれ。リッちゃん。早かったねぇ」
 9時迄に、まだ15分ある。リズの他にも何人かお客さんが入って来たが、意に介さずのマサシは少し驚いたようにリズに話し掛けていた。
「タクシーの中で飛んだもん」
「その羽ばたきの音だったかっ」
「そうそう。はぁ」
「晩ご飯は?」
「まだぁ〜。マスター、オムレツとロックグラスぅ〜」
「は〜い。どうぞ、姫」
「うふふ♡」
 カウンターからBOX席に移って、闇に紛れる。ジャズ、嫌いじゃないけど詳しくない。有名なのしか判らないけど、それでも充分に音は楽しめていた。この店の売りの一つであるらしいオムレツが、出て来た。早速パク付くリズ。その分、お酒もすすむ。
「あっ、そうそう! これ、お土産♡」
「ああ。有り難う」
「開けてみて〜」
 言われるままに、包みを破った。
「おっ。ネクタイ。リッちゃんはネクタイが好きだねぇ」
「うん。男の人が、んんってネクタイを緩める仕草がセクシーだと思ってるのよ」
「ふむ…ふむふむ」
「どっかの誰かさんだと、格好良くない?」
「カッコいい。でも、俺はどうだろう」
「マー君も素敵よぅ♡ 何たって、誰かさんの眼鏡に叶った選ばれしピーポー」
「ピーポー」
「ピーポー」
「にゃる程。有り難う。コレに合わせて1着仕立てるかなぁ〜」
「マー君、お洒落よね。洋服好きでしょ」
「うん。大好き。自宅のオープンクローゼットじゃ収まり切らなくて、1部屋潰す事になりそうだし」
「あら。着なくなった服は処分した方が良いわよ? 又いつか〜なんて事、ないから」
「そう?」
「そう言うものよ。寄付しても良いじゃない? 私、ユニセフに送ってるよ」
「へぇ。リッちゃんは偉いなぁ〜。尊敬ぇ〜」
「いえいえ。そんな事あるけど」
「はは〜」
 リズが言葉と共に胸を張り、マサシが手を泳がせた。2人の顔に、愉快そうな笑みが浮かぶ。
「くすくすっ」
「くくくっ」
「仕立てるなら付き合うわよ?」
「高く付きそうだから要らない」
「まぁ」
「くくっ」
「うふふ」
 優しく微笑み合う2人を他人事して眺めると、恋人同士に見えなくもなかった。でも、2人は同じ1人に恋してて、同じ1人しか愛せない、謂わば戦友みたいなものだ。その1人を中心に据えるなら、恋人同士かも知れないが━━‥‥。
「ねぇ、リッちゃん」
「うん。何ぃ〜?」
「結婚しない?」
「えっ? え〜と…何かあったのね」
「うん。まぁ」
「おば様かしら」
「鋭いね♡」
「否。判り易いよ、マー君」
「否々。結婚をだね」
「や〜よ。私を1番にしてくれない人なんか」
「ある意味、Only」
「何がOnlyよ。調子良いわね」
「否々。本当にOnlyだって。で、トシさんの子供を産んで」
「━━‥‥えっ」
「その子を嫡子にして、その子を育てよ♡」
「えーと」
「良い案だと思わない?」
「え〜とぉっ」
「何か不都合な事でも」
「私にはないけど、トシさんがタネ付けしてくれるかどうか」
「う〜ん。そこに行き着くか」
「てか、そこが一番のネックよ」
「だよねぇ、矢っ張り」
「ですよぉ、矢っ張り」
「2人で頼んでもダメかな」
「2人共、切られるかもよ」
「ああっ。ダメだ、それじゃあ」
「でしょう」
「うん」
「ごめんねぇ、力になれなくて」
「ううん。俺こそごめん。変な話して」
「ううん。役に立たなくてごめんねぇ」
「否々。こうして付き合ってくれるだけで充分で御座います。俺、友人少ないから」
「私もよ。どうしてもね、引き籠りがちになってしまう」
「うん。困ったねぇ。こればっかりは、草津の湯でも治せないからなぁ〜」
「なぁにソレ。草津の湯? 温泉が?」
「唄の一節だよ。そういや最近、温泉行かないなぁ〜。今度行こうか。箱根に別荘あるから」
「行くぅ〜♡」
「その代わり、混浴ぅ〜♡」
「うそっ」
「うん。ウソ」
「ひど〜いっ」
「あはは。でも、別荘は嘘じゃないから」
 会話が弾めばお酒もすすむ。と、耳慣れた着信音が響き、マサシが身体に力を入れてスマホに目を向けた。ああ、こんな時に━━‥‥? 嫌じゃないけど━━‥‥。
 突如来たmailに返信してたら、リズが驚いたようにスマホを見て、瞬間的に破顔し、次に困ったような表情になってしまった。そして、自分と同じように、返信してる。んっ? ちょっと待て。自分と同じようにだと? それはぁ〜‥‥え〜とぉ〜‥‥確認しとこ━━‥‥。
「リッちゃん」
「あっ、マー君。あのね」
「トシさんからとか言う?」
「えっ。そんな露骨だった?」
「違う違う。俺だって露骨だったかも」
「え? トシさんから?」
「うん」
「そう。何かあったのかしら?」
「だろうね。スケジュール、空けとこ」
「あっ、そうね」
 2人して、明日明後日のスケジュールを動かす。今から訪ねて来いmailなんて普通だけど、泊まりに来いmailは何かあった時だけの特別で、これが2人同時に来たって事は、余り喜ばしい状況ではない。犯り足りないとか呑み足りないとか、或いは会社関係で不機嫌になる事があったか━━‥‥。
 過去を振り返れば、いくつもの思い出がゴロンゴロンと━━‥‥。
「あちゃ。明後日の午後、オペが2件あったんだっけ。忘れてたぁ〜。壊されないようにしなきゃ。午前中のカンファは俺なしでやって貰ってぇ〜」
「大丈夫?」
「今迄も大丈夫だったから、大丈夫です」
「判りました、Dr.」
 何のつもりか、リズが敬礼した。それを真似て、マサシも敬礼する。すると、リズが子供のような無邪気な笑みを浮かべた。うん。矢っ張り、リズは良い女だ。そう思ったと同時に、愛する男の趣味の良さにちょっと満足。
「マスター、チェックして下さい」
 マサシがそう言うと、丁度フロアに出たマスターが出来た料理をテーブルに運んでから、カウンターに大急ぎで戻って計算してくれた。
 この店は、マスターが1人でやってるジャズバーで、お客は10人も入ったら満員と言う小さな店だった。オススメはオムレツとコーヒー。その実、情報の受け渡し場所。だから、系列としては、山川系だ。
「はい。この額」
「割り勘で」
「良いよ、リッちゃん。俺が誘ったんだし」
「そんな事言うなら、次は付き合わないよ」
「はい。了解です。割り勘で」
「尻に敷かれてるんだ」
「否々嫌々」
「そっ。敷いてプレスしてるの♡」
「良いね。そう言える関係性が」
「関係性か。それは自慢だよ、マスター」
「私も自慢〜♡」
 見合っちゃったマサシとリズは、ニッと笑い合うと、マスターに笑い掛けた。そんな2人に、マスターがそっと囁き掛ける。
「5000円ずつで良いよ」
「えっそれはさすがにっ」
「半分にも」
「シッ」
 マスターがきつく口止めした。
「吉岡さんには、お店の口開けして貰ったし」
「じゃ、今夜は」
「はいはい。又来てね♡」
「ええ。有り難う、マスター。ご馳走様」
「ご馳走さん」
「は〜い」
 2人は仲良く札を1枚ずつ出すと、足早に店を出て、同じタクシーで俊のマンションに向かった。今夜はどんな呼び出しだろう━━‥‥?
「え〜とぉ」
「ん〜っと」
 一緒に現われた事を不自然とも不思議とも思わなかったらしい俊に、今夜の呼び出しの理由と思われる話を、2人揃って訊かされた。その愚痴を訊かされて、2人して困る。そんな、相手はお年頃の女の子なんだし、それは普通の事です。寧ろ、何もない事の方が問題ありますが━━‥‥? それに、それも承知して婚約したんじゃないの? けれど、それは口には出来ない。だって、何ら関係のない話だから━━‥‥。
「のっ吞もうよ、トシさん!」
「晩ご飯は食べたの?」
「まだだけどよぉ〜〜〜〜っっ」
「ト〜シ〜さ〜んっ」
「ほひゅ」
「ガンバってマサシ君♡ お腹の足しになる物作るね〜」
「えっ!? どゆ事? リズ?! にゃ」
 慌ててキスして俊の発言を阻止したマサシの背中をポンポンと叩いたリズは、1人でキッチンに逃げて行った。哀れ(?)な生贄のマサシは、前菜として食われちゃいましたとさ。ナムナム…。
「ひど〜い、トシさん。唯の八つ当たりっ!」
「そゆ事ゆ〜と、暴れるぞっ!」
「止めて〜っっ!」
 暴れる、と言う(言われる)と、マサシは慌てふためく。私の知らない2人の過去に何かあったのだろう、くらいの想像はしているが、尋ねようとは思わなかった。自分の耳に入れても良い話なら教えてくれるだろう、今日じゃなくても。そうじゃないのなら、自分が知っても仕方のない話なのか、知らせたくない話なのかのどっちかだ。なら、更々関係ない。
「私、先にシャワー借りるね」
「えっリズっ」
「暴れて上げて〜」
「何を言うんだっリズっ!」
「おうっ! 暴れるぞっ!」
「きゃあっ、止めて〜っ」
「マサシ、大人しくしやがれっ」
「俺は大人しいでしょ」
「お前の中で暴れてやる」
「それなら良いですよ」
「何か言ったか〜!」
「いいえっ! 何にもっっ」
 夕食前に俊はマサシ相手に2発もイッてくれちゃって、お陰でゆっくり食事の用意が出来てシャワー迄使えたリズに、マサシの裏切り者(ヒドイ)の視線が向けられたが、ツーンとして温め直しとかやっちゃって、3人して夕食(と言っても、俊も呑みながら待ってたくらいなので、ガッツリした物ではない)を食べて、改めて3Pと相成った。
 先に抜けたのはマサシ。追い縋って来る俊の太い腕から逃れ、全てをリズに回してやって、やれやれと酒(ガス)の補充をした。
 高校2年生のフィアンセが、バレンタインに連絡も取れなかったと怒って会社に訪ねて来た‥‥からと言って呼び出され、一方的な八つ当たりを受けている訳だが、嫌なら応じなければ良いだけの話。但し、その場合は完全なる終了を意味し、2度と電話は(mailも)ない‥‥だろう。試そうと思っていないし、考えてすらいないので、事の真相が明らかになる事はないのだが━━‥‥。
 犯り終えて(?)意識が途切れる直前に、俊におねだりするマサシの声を訊いていたように思うが、その返事がどうだったのか迄は記憶にない。トシさんは、何て答えたんだろう━━‥‥?
『トシさん、リズに子種仕込んでよ』
『で、どうすんだ』
『リズと結婚して━━‥‥』「一緒に育てる」
「ん〜‥‥。お前らが両親(オヤ)か。悪かないな。良いぞ。リズにその気があるなら」
「リズ様、OKして下さい♡」
「お前ら、外で呑んでるって?」
「え? うん。ダメだったかな」
 眠りに落ちたリズを左腕に抱え、右手指をマサシの唇に伸ばす。
「ダメならまず、会わせてねぇ」
「正体もバラしてねぇ」
「そうそう。って、俺、そんなダミ声か?」
「ううん。低音が痺れるバスです♡」
 俊の声マネをしたらしいマサシをメッしたら、ちゅうされた。
「何かあったか」
「甥坊に早く片付いて欲しいおば様の、余計なお世話だよ」
「又、見合いか」
「最近は明言しないね。何時に何処そこって一方的に言って切る」
「無視は」
「したよ、何回も」
「懲りねぇのか、何回もすっぽかされてんのに」
「そんな生易しい人じゃないよ。今日の見合い相手なんか、一回り下だよ」
「てぇ〜と、20歳か」
「うん。何かの間違いでお付き合いが始まったとしても、そもそもが間違いだから何も起こらないと思うな。何を話題にしろと?! って感じ」
「ん〜‥‥20歳か‥‥。17歳も痛いぞ」
「そりゃ、高校生よりはマシだろうけど‥‥あっっ、どうだろ。白山百合ともタメ張れるお嬢様大学、聖マリアンヌ」
「うわぁ〜っっ」
「えっえっそんなっ? そんなっうわぁ??」
「リズと結婚出来なくても、いくらでも偽装してやるからな」
「そっそこ迄ですかっっ」
「ある種の確信を持って、おうっ!」
「ひゃーひゃぁ〜っ。何をしてくれちゃってるのよ、おばさんっっ」
「良いおばさん持ったな」
「それ、嬉しくないし、褒めてもないから」
「よしよし」
「よしよしぢゃないしっっ」
「シーっっ」
「はっ。シーっっ??」
 リズが俊の腕から転がり落ち、マサシの唇に指を1本立てた。それを受けてマサシもシ〜なのだが、俊に手招かれるままにベッドから抜け出し、誘われてバスルームに入ったらカパッと抱き竦められ、満足に声を出させて貰えずに犯られ・まくって、翌日、1人で辛い朝、と言うか昼を迎えるマサシだった。
「ぃってぇっっ」
 もそもそ動き始めた小山を、朝の時間帯に起き出したリズが、俊と2人で眺めていた。すると、いきなり潰れちゃった。
「あらら。大丈夫ぅ〜?」
「オオゴエダサナイデ」
「えっゴメンナサイ」
 リズが、俊の逞しい左の二の腕をパンチ! パンチ、パ〜ンチっ!
「痛いなぁ〜。うらぁ」
「うらぁ、ぢゃないでしょっ」
 リズにシュッシュッと(ネコ)パンチを貰って、ベッドサイドにやって来た。そして、クシャっと頭を撫でて耳打ちしたら、ちょっと右手が出た。けど、それ以上はなくて、俊にパンチもチョップもお返し出来なかった。いだい〜〜〜〜〜っっ。
“嫌なら、そもそも来てねぇよな?”
 そうですが、嫌を言えなくさせてるくせに。もぉ、もぉ、もぉ〜〜〜〜っっ!! 言い返してやりたくとも声は出せず、叩き返したくとも身体は動かせず、悔しいやら腹が立つやらで、涙目になっていた(らしい)。
 俊が、いきなり表情を変えた。
「泣ける程、痛てぇのかよ」
「えっ!? 何、泣かせてるのよっ!」
 他人事ぉ〜と、蚊帳の外を決め込みコーヒーを飲んでいたリズが、耳聡く訊きつけてやって来た。そして、ボカスカと、俊の背中を殴り付ける。けれど、マジ泣いているから、ふざけてもいられなくなった。
「痛い? トシさんトコある痛み止め飲む?」
 泣いて呼吸が乱れるのも辛くて、でも、それは首を左右に振って拒否った。
 組織内のシンクタンク・科学局が開発した、2錠飲むとファイブカードでも10分は身動き出来なくなると言うアレだ。主成分のいくつかを教えて貰って、効きそうだけど身体に悪そう、と思った。明日の午後から2件もオペが入ってるのにそんなヤバイもんを飲める訳もなく、唯、パタパタと涙を溢した。泣くと、頭痛くなるから嫌だ。
「ど〜するのよ! マサシ君に嫌われても知らないからね!」
「え〜っ! 昨夜、一つ約束したのに」
「い〜んだ♡ 何の約束して貰ったの?」
 リズの笑顔は、いつもの彼女の人懐っこいもので、嫌味には感じなかったけど、身体が辛くて正常な判断が出来なかった。
「リッチャン、オレトケッコンシテ」
「えっ!? 何故今でこのタイミングっっ?!」
「トシサン、タネヅケシテクレルッテ。リッチャンシダイナンダ…コキュウガ、ツライ…」
「出番、出番」
 肘でツンツンしたけど、こう言う時の俊は巡りが悪い。
「何処に」
「マウスtoマウスの人工呼吸に決まってるでしょう。こうしちゃたのトシさんなんだからね!」
「オオゴエヤメテ」
「ごっこめんっっ。人工呼吸したんさい」
「そぉゆ〜事であれば、やぶさかでない」
「イラナイ」
「え?」
「何でだよっっ」
「カコノジブンヲフリカエレェ」
「え〜? 判んないなぁ。何かした? 俺」
「ゼンリョクデナクゾ」
「止めて止して」
「コシユシタイ」
「お安いご用だ」
「じゃ、その間に、何か朝食らしき物を作っておくね〜」
「おう。よっと」
「アタッ」
 リズは元気にキッチンに行き、マサシは俊に抱えられてバスルームに向かった。
 既に俊もリズもシャワー後だが、そんな事を言ってる場合じゃない。浴槽にドバドバ湯を入れながら、壁に寄り掛かってやっと立っているマサシを気に掛けつつ自分は脱ぐ。で、浴室に入って行った。湯は浴槽の1/3は溜まっていて、ツマミを捻ってシャワーにする。そして、カクカクと身体を震わせながら壁に手を付かせて立たせていたマサシの腰から下に湯を当て自分のザーメンを溢れさせているアナルに指を伸ばした。
「あれ。凄いね、腫れ方が」
「ヒトゴトダトオモッテッ…ツゥ」
「他人じゃねぇよ。俺様の情人(コイビト)じゃねぇか」
「スイアツ、ツヨイヨ」
「これも痛てぇ?」
「ウン」
 マサシの弱々しい声。ちょっぴり、良心(!?)が痛んだ。
「よっとぉ、お姫様」
 お湯が半分くらい溜まってから、マサシを用心深く浸ける。
「オレガヒメナラ、トシサンハナニ」
「王様」
 訊いた俺がバカだったの答えが即行返って来て、マサシが顔に引きつった笑みを張り付けた。めげるもんかっ! こう見えても10年の付き合いがある。正直なところ、殆ど役には立たなかったけど━━‥‥。
「ジャア、リズハ?」
「プリンセス」
「ジャア、フィアンセハ?」と言った後で、後悔した。俊の表情が、嫌そうに歪んだのだ。
「ありゃ、唯のガキだ」
「アラ? ボケツホッタ? オレ。ウワッ!」
 ちゃぷちゃぷとお湯に浸けていたけど、忘れたかった昨日の事思い出して、怒り再燃。何様のつもりだ?! あのガキ!! 突然会社に来て、俺様の美樹を呼び出しやがってオフィスに突撃しやがった。建て前のくせに、婚約者だってぇのを大上段に構えて受付を通り抜け、俺様の美樹を呼び出しやがった〜〜〜っっ!! 許せねぇっっ!! 今後二度と同じ誤ちが起きないように、受付にも良く良く言っといた。ふざけやがって!
 マサシを片腕で浴槽から出し、ちょっと‥‥でもないけど気持ち良くさせて、とどの詰まり嫌が言えない状態に追い込んで、しっかり1発犯ったった。それから、改めて腰湯。俊も昨夜は10発はやったので中々来なくて、結構な時間出し入れしてたが、その分が長くなったけど、それでリズが文句を言う訳もなく、でも、消耗しているマサシを不思議そうに見ていた。腰湯しただろうに、余り変化がなくて、寧ろ反対に、辛そうになっている。これいかに? まさかねぇ、いくら何でも犯ってはいないだろう。腰湯させに行ったんだし。はて? そんなリズに、も一つの現実が‥‥。
「リッちゃん、結婚して」
「しつこい男は嫌われるよ」
「そっか。うん。有り難う」
 リズの答えで、マサシは話を完結させた。良い案だと思ったんだけど、拒まれては仕方ない。恋人なり婚約者なりを、俊に頼んででっち上げて貰おう。そうしないと、おばさんのお節介はまだまだ続くだろう。
「マサシ、さっさとうつ伏せになれ」
「あ、はい」
 言われるままに、マサシは俊が寝んでいたソファーベッドにうつ伏せになり、アナルに軟膏を塗って貰った。
「トシさん、シャツ貸してぇ〜」
「ああ。ん」
「さんきゅ」
 手渡されたシャツを、細い肩に羽織る。それを待っていた俊が、マサシを軽々と抱き上げ、食卓に着いた。テーブルには、リズが作った朝食が並んでいる。
「美味しそう♡」
「食欲はあるの? マサシ君」
「うん。でも、まずは飲み物が欲しい」
「ホットミルクで良い?」
「うん」
「新婚家庭に来たみてぇ」
「誰の」
「お前ら2人の」
「ないない」
「マサシ君?」
「さっき、しっかりフラれたじゃん。偽装は、何処迄頼めるの?」
「同じ屋根の下迄」
「部屋は別だよねっっ」
「勿論。同じなのは屋根の下と戸籍上」
「選べるの?」
「出来るが」
「が?」
 アクセントの付け方に、マサシが首を傾げた。
「何?」
「そんなに切迫してんの」
「未婚の従兄弟の中で俺が1番の年長で、ロックオンされた」
「おろ。動きが激しいとか」
「ん。月2〜3回お見合いさせられてる」
「スッポカシたの入れると、倍くらいは企てられてんのか」
「否。もっと。オオカミ少年的になってるから、俺が無視するじゃない。だから、たまに本当を混ぜる。そすっと、後々困るのは俺だから無視し難くなるし、慎重にもなる。それでも、5回に1回くらいだよ、出向くのは」
「おばさん、根性あんな」
 あは〜っと笑った俊の顔が、引きつっている。リズも、たはははって表情だ。
「マー君、どんな悪い事したのよ」
「してないよ、悪い事なんて。強いて上げるなら、逆らうからじゃない?」
「逆らってるんだ」
「このお嬢さんと結婚しなさい、と言うのを悉く蹴り飛ばしてるんだからねぇ」
「なる程」と、リズが納得したところで食事となった。後片付けも、リズがしている。さすがに、まだ動き回れない。さっき腰湯した時の1発が余分だった。あれはしくった。て事は、昨夜から9発は犯られてる? リズは2発かよ。狡い。けど、言えな〜い。吉岡医師半壊。今日は使い物にならんだろう。
 一瞬の静寂。そこに、意外な程大きく響いたバイブレーション音。ギョッとして、3人で顔を見合わせる。で、音の出処は何処かと探っていたら、マサシのジャケットのポケットだった。リズが、ブレザーを持って来てくれた。
「はい」
「有り難う」
 ポケットから出したのはスマホで、元気にブルブル震えている。
「病院からだぁ〜。知らない。電源落とす」
「え〜っ!! そんなぁ〜、Dr.」
「Dr.も人間です。神じゃないの。出来る事と出来ない事はあるし、無休で務まる程生易しい職場でもないの。休養も息抜きも必要」
「そうでしょうけどぉ」
「どっかで線を引かなきゃ、365日24時間営業のコンビニになっちゃうよ。それじゃ、質の高い医療なんて提供出来ない。医師は、ロボットでもアンドロイドでもないの」
「そうでしょうけどぉ」
「医者は聖職だと思ったらダメだよ。まぁ、俺も若い頃は、そんな甘い幻想を抱いて不眠不休で打ち込んでた時期あるけど、トシさんと出会って青いなと思ったし」
「何かあったのね」
「昔な昔。で、良いのかよ、病院」
「良いよ。俺の有休まだ残ってるし、今日は休みだよ」
「判った。毎度お馴染みだが、ドライヴにでも行きますか?」
「行く行く♡」
「ヲテイコツに響くね」
「何、それ」
「汚帝骨」
「え?」
「尾庭骨」
「はぁ…?」
 リズが小首を傾げた。 
「俺、寝てる。明日、午後から2件オペ」
「判った判った」
「え〜、ウソ〜」
「トシさんとLOVE×2しておいで。俺は死んでます。でわでわ。よっはっとぅってぃっ」
「掛け声程動けてないよ、マー君」
「う〜や〜た〜」
「なぁにぃ? それ」
「昔の子供番組」
「知らない」
「知らね」
「トシさんっ、酷いっ」
「知らねぇ知らねぇ。どれ着てこうかな」
「あっ! トシさんにお土産あったんだ!」
「何土産?」
「パリ土産。オススメの1本」
 俊に渡したのもネクタイだったけど、力の入り方が違う。ここらが、コイビトと友人の差か。
「ふん。これに合わせてコーディネートしてくれ。月曜日はそれで決めて行こうか」
「嬉しい♡ ん〜と…」
 俊のウォーキングクローゼットの中から、何着かスーツを出し、ブラウスも出して合わせてみる。で、パパッとカフスやタイピン、ポケットチーフの色も決めた。
「はい。今からのはぁ〜‥‥これ。私、初めて見るからこのスーツに、このネクタイ」と、一式コーディネートしてしまった。
 そんな遣り取りがなされている間、マサシは体幹が痛くて満足に動けないんだけど、彼なりに頑張って、ベッド脇に迄辿り着いていた。
 ベッド端に、そっと座る。それだけで、溜め息が溢れちゃう。
「大丈夫? マー君」
「結婚して、リッちゃん」
 ダメ元で、最後のお願いをしてみた。すると、リズが拒む訳が判った。
「こんなどさくさ紛れのついでプロポーズなんて受けな〜いっ! 私だって女の子だぞ! プロポーズには夢があるんだから!」
「第1の夢は叶わないよね。その次の夢って何?」
「第1の夢って‥‥?」
「トシさんからのプロポーズ」
「そんな無茶な非現実、いくら私でも夢になんて思わないわよっっ」
「あれ。そうなの?」
「何か、少しショック、俺」
「何言ってんの? トシさん」
「どうやれば良いのぉ〜っっ」
 そこでリズが、私にプロポーズするならと、2つ3つ注文を出して、俊とのドライヴに出掛けた。それをOKしたマサシはベッドに潜り込み、その晩も俊の所に泊まり、翌日曜日は午前中のカンファから病院に居た。そして、何事でもないかのように心臓バイパス手術と、心臓閉鎖弁再建手術をやってのけた。
 2つもオペを掛け持ちするとヘロヘロになるので、いつもなら2時間程仮眠を取るのだが、今夜はお願いして俊に迎えに来て貰うから、さっさと身形を整えて部屋を出た。そして、病院を後にしようとしたら、呼び止められた。
「吉岡先生!」
「はい」
「帰られるんですか?」
「ああ。お先」
「えっ?! マジですか!?」
「打ち上げ」
「しないよ、そんなもの。失礼」
 患者ウケは宜しい吉岡医師だが、同僚ウケは余り宜しくない。俊からの呼び出しを待つ関係で、どうしても付き合いが悪くなる。これは仕方ない事だ。マサシはコツコツと靴音を響かせて、病院を後にした。すると、俊はもう来ていて、車の中でタバコを吸っていた。
「待たせちゃった?」
「否。待つ時間も楽しい」
 マサシは助手席に収まると、夜、スモークガラスって事で、俊にキスしていた。
「行き付けの宝石屋だぞ」
「良い良い。宝石屋の情報なんてないよ」
「予算は」
「月給3ヶ月分とか5ヶ月分だろう? そうだなぁ〜? 切りの良いところで5000万くらい」
「フン。そこそこの品が作れるなぁ〜」
「作るって? 選ぶんじゃないの?」
「どうせならデザインからしてやれ。1点物で鑑定書が付くと価値が上がる」
「ふむ。じゃ、そうする」
 で、連れて行かれたのはサラマンダで、贈る相手(この場合、リズ)の事を根掘り葉掘り訊ねられた。でも、知らない事の方が多くて、最終的に本人に電話して、好きな色とか音楽とか国とか季節とか、色々訊いてしまった。
“なぁに? 何でそんな事知りたがるの?”
「貢ぎ物の関係です、女王陛下」
“良きに計らえ〜”
「くくっ。又、連絡するよ。有り難う」
“いいえ。楽しみにしているわ♡ じゃ”
 電話を切って、俊を探す。彼は、他のショーケースを覗いていた。
「何か、気になる品がありましたか?」
「ん〜‥‥マサシぃ〜ちょっと来い」
「何?」
 呼ばれて傍に歩み寄ると、グイッと左手を引かれた。そして、その整った指先を見入る。
「どうかした? 俺の左手」
「否。うん‥‥このブルーダイヤのリング、出してくれよ」
「はい。只今、鍵を持って参ります」
 そう言って、店主は一端、姿を消した。
「あの人、男性だよね?」
「お前に言われるとショックだろうが、男だな」
「日本人?」
「の筈だが」
「色白で綺麗な人だねぇ。声のトーンも高めだったから、医者なのに不安だった」
「ははは」
「トシさんの好みだね。食ってるでしょ?」
「てか、食われたっつうか」
「何、それ。コノコノ」
 トーンを落として肘でウリウリされたが、お前はアレの事をとやかく言えんだろう。お前も女顔の優男だからな、自覚はないようだが。タイプで区分すれば同じだから。そしてそれが、この俺様の好みだ。判りるかなぁ〜?
 メインデザイナーのサラマンダ店主、鏡響(カガミキョウ)は、年齢不詳だが当年取って48歳のれっきとした日本人男性で、少なくとも俊が知る範囲内では、先祖に外国人は居ない。が、何処か白人っぽい色白さだ。瞳の色は瑠璃色。染めていないのに茶髪で、唇の紅さが妙に目に付く、女性っぽい印象のある人物だった。実際、顧客の中には、彼を女性だと信じて通い詰めている者も居るとか。そして俊は、初めてオリジナルの銃を頼んだ16歳の春に、響に食われた。別に、犯られた訳じゃないから念の為。抵抗出来なかった訳でもないが、丁度、自分の肉体に宿る破壊力と精神のバランスが取れない頃で、縋らせてくれる手を欲していた。そんな時に差し伸べられた手だったから、ついうっかりと掴んで離さなかったら食われていた、とそう言う事だ。その頃の響は、鏡凶として売れ始めてて、今思うと、そんな暇お互いに良くあったなと思うが、今居る情人、美樹も含んだ13人の中で一番関係の長い人だ。
 だがしかし、凶もマサシには言われたくないだろう。お前の方が女顔の優男だ、と思っている筈だ。まぁ、どんぐりの背比べだが、俊に言わせると━━‥‥。上背がある分マサシの方が痩せて見えるが、肉質的(?)にはどっちもどっちだ。薄っぺらい筋肉とも呼べぬ肉で包まれた、全体的に色味と体毛の薄い一応野郎。付くモン付いてるし‥‥って、俊の認識なんてこの程度だ。
「食っちゃったくせに」
「逆だっての」
「又々〜♡」
「お待たせしました。え〜と。3本とも?」
「ん」
 ブルーダイヤのリングは3本あって、カットと大きさとデザインで、雰囲気が異なる。ベルベットの敷いてあるトレイの上に、俊が所望した3本のリングが置かれた。で、キョロンと辺りを見回していたマサシの左手を強く引き、小指にはめる。マサシは、何で?! って表情になったが、我関せずの俊は無視している。
「フ‥‥ン。コレ・だな」
「そうですね。こっちだと、地味になる」
「ん。これも嫌いじゃねぇが、この手でこの指なら、コレだ」
「そう思います」
「何々。指輪なんて出来ないよ」
「オペ以外なら付けていられるだろう」
「えっ?! マジで言ってる? トシさん」
「マジ」
「じゃ、じゃあ、有り難く…」
「サイズ直しが必要なようですね。どうぞこちらへ」
 要らなくなった2本のリングをショーケースに戻し、鍵を掛けてからカウンターの方に案内された。少し前迄、リズと電話で遣り取りをしていた場所だ。
 左手の小指。所謂ピンキーリングで、いつの頃からか、俊の左手小指にもしてあった。本人が自分の為に買うとは考え難いので、誰かからのプレゼント。それも、大切な人からのプレゼント。何故判るか━━‥‥? それは、俊が外そうとせず身に付けているから‥‥。とまぁ、このくらいの頭は回る訳で━━‥‥。唯、相手が何者なのかは知らないし、知りようにもないし、知る必要もなかったけれど━━‥‥。俊が、本心から誰を愛していようと関係ない。自分が必要とされていれば良い。それだけで━━‥‥。
「トシ君のだから」
「えっ!」
「うわっ! ごめん」
「良いよ、別に。さっきも、凶に食われた話してたくらいだし」
「あの頃はねぇ、トシ君も少年だったねぇ」
「煩せぇよ。何日掛かるんだよ」
「ああ。何か本業の方が忙しくてさ」
「ほ〜ん」
「急いで、超特急で、10日後の夕方5時以降」
「判った。その頃寄らせて貰う。又、デートだぞ。良いな」
「そりゃ、俺は良いけど、トシさん大丈夫なの」
「多分・きっと・だと良いなぁ〜」
「は〜い。10日後以降ね。動かせるように予定組むよ。それで良い?」
「おう。で、いくら」
「あ〜‥‥はいはい。え〜と」
 爪、ヤスリ掛けてるのだろうか。どの指も同じくらいの長さで整えられている。神経質そうな指先だ、凶の手指は━━‥‥。
「はい」と言って、凶が俊に金額を書いたメモをコソッと見せた。それを見て、俊が頬をコリコリと掻く。予想より高かったのか?! しかし‥‥。
「凶。商売しろよ」
「してる。他の人達で。好いた男で商売しなきゃならない程困ってないし」
「そんな事言うなら、利用出来なくなるぞ」
「それ嫌だ」
「なら、商売しろ」
「それも嫌」
「凶っっ」
「君なら判ってくれるよね、この乙女心」
「まぁ、判らなくはないですが、俺、乙女じゃないんで何とも」
「え〜〜っっ!! そう言う関係だとばかり」
「いえ。関係性は正しいです。唯、俺、オネエじゃないですから」
「そっそうか。ま、い〜や。カード?」
「どさくさに紛れようったってそうは行かねぇからな。サラマンダってケースに入ってるだけで価値が上がんの、知ってんだぞ」
「え〜とぉ」
「凶!」
「計算し直すっっ」
 好いた男で商売したくはないだろうが、その好いた男を怒らせて捨てられるくらいなら、商売は商売と割り切った方がお利口だろう。
 ピポパポ電卓を弾いて、もう一度メモを見せた。すると、今度は俊も納得の金額だったらしく、懐から長財布を取り出し、そこから馴染みのあるブラックカードが出て来た。
「デザイン料とか入ってんの?」
「店頭分だから、別には掛からないよ。一括で良いんだよね?」
「ああ」
「サイン、お願いします」
 俊が窮屈そうに身を屈め、サラサラとサインをしてる。角をしっかりと書く、神経質そうな文字だ。プレゼントしてくれる品の代金を知ったんじゃ興醒めするだけなので、金額は敢えて見なかった。そして、自分もお支払いを、と思ったら
「商品お引き渡しの際でOKですよ」と言われた。
「そうなんですか? あれ?」
「トシ君は特殊だから」
「そうですね」と、笑って返し、ハタと気付く。トシさんは特殊なのか? まぁ、この若さで重役待遇なんだから、充分ちゃ充分に特別だけど、何かイントネーションが気になった。トシさんは特殊なのか。まぁ良いや。教えて貰っていない事なら、知る必要のない事だ。藪に首を突っ込む程の物好きじゃない。折角、結婚も決まりそうなんだし‥‥。
「有り難う御座いました」
 凶が愛想の良い笑みを浮かべたが、声が喉の奥で張り付いた。何だろう、とマサシが振り返るよりもずっと早く、俊に背中を強く押されて頭からカウンター内に突き飛ばされた。
 ガシャンっ! と何かが閉まった音が大きく響き、店内に赤色灯が灯りサイレンがファンファン鳴り始めた。
「なっ何っ?!」
「え〜!? なぁ〜にぃ〜?!」
 サイレンがかなり大きくて、凶の声が良く訊こえない。多分、自分の声も届いていない。
 突然カウンター内にお邪魔して済みません、なのだが、何が起こっているのか、正しい状況把握は出来ていなかった。だって、顔を出そうとしたら凶に強く引き止められてしまい、もう、パニック寸前。俊は上体をカウンターの中に入れると、何やら黒いバッグを手に身体を起こしてしまい、今のマサシの位置からだと、俊の姿は視認出来ない。動悸が耳に付く。
 店に入って来た、フルフェイスのメットを被った怪しい2人組。カタコトの日本語を使い、アディダスのバッグを俊に投げ付けてジェスチャー。それに反応しないで居ると、カッとなったらしいガタイの良い方が、流暢な日本語で畳み掛けて来た。
「さっさと宝石を入れねぇかっ! ブッ殺すぞっ!!」
「バッバカッ!」
「どうせバラしちまうんだろっ!? なら関係ねぇよ! ブッ殺して頂けば」
〜ズキュン!〜
「あっおいっ! ひぃっ」
 威勢良く啖呵を切っていた相棒が、いきなり真後ろに素っ飛んで行った。何だ? どうした? 何の冗談だ? と顔を覗き込むと、眉間から血を流し白眼を剥いていた。シッ死んでるっ!? ゆさゆさと身体を揺さぶってみたが、何の反応も返って来なかった。
「ひっ人殺しっ! ころっ殺してやるっ!」
 改造モデルガン。何処の誰が細工したのかは知らないが、銃工房に置いてある手入れの行き届いた本物に勝る改造モデルガンなんてある訳がない。加える事の、この射撃下手。こいつは、銃を撃った事がない。こんなに銃口がブレていては、どんな精巧に作られたオリジナルでも、当たりゃしない。まぁ、こんな奴にオリジナルなんて作る変態居ないだろうけど━━‥‥。
 俊は、カウンター内に突っ込んであった、黒いバッグ、万が一の時の為の備えの短銃(ベレッタ)を構え、バンバン撃って来る強盗に、無造作に近付いて行った。銃口がブレブレだから、俊程の動体視力と反射神経を持っていれば、欠伸しながらでも避けられる。
 実際、耳をホジホジしながら、目の前迄来ていた。そして、右手に持っていた短銃を眉間に密着させる。パンパン煩かった改造モデルガンはとっくにバレルが破裂していて、何の脅しにもなっていなかった。てか、ハナッから、邪魔にさえなり得なかったから━━‥‥。
 俊が、それは愉快そうに笑った。
 それの、何と恐ろしい事か━━‥‥。
 運良くだか運悪くだか、生き残っていた宝石強盗は、金縛りして失禁。無論、そのくらいで許される訳がない。俊は魔王で、その魔王が可愛い情人の1人と楽しい一時を過ごしていたのだ。その邪魔をして、生きて帰れると思われたんじゃ片腹痛い。
 俊は何の躊躇もなくトリガーを引くと、脳漿をブチ撒けた。たって、ヘルメットがあったし、店内のショーケースは全て防弾ガラスだしで、貫通した弾は威力を失くして当たって転がった。なので、ハンカチで包んで回収した。で、赤色灯は点けたままでサイレンだけ消す。すると、この店の地下の工房に居た、凶の弟子や護衛達が駆けて来て、一言も声を発せず2体の死体を処分した。これでやっと、赤色灯も消せる。
 暗いオレンヂの灯りの許、やっとマサシが、止める凶の腕を振り払って、俊の傍に駆け寄り首っ玉に抱き付いた。
「驚いたな。大丈夫だぞ。何があっても、お前らは俺が守るから」
「何が起こってたのっ」
 細い肩が小刻みに震え、声も涙声だった。
「外に、強盗が来たんだ」
「えっ!! 何で判ったの」
「そりゃお前、色々なセンサーが出入り口に付いてるからだよ」
「色々な?」
「今回はどんなのだったか知らねぇが、前の時はフルフェイスのメット被ったまま入店しようとしたカップルが、お巡りにしょっ引かれたなぁ」
「お客さん?」
「否。冷やかしだったようだ」
「ふぅ〜ん。あ〜びっくりした。見えないし訊こえないし…って、シャッター降りてる」
「自衛の一つです。もう、開けて良いかな」
 凶が割り込んで来た。俊から身体を離していたマサシは、俊に涙を拭われていて、深呼吸を繰り返している。
「俺ら帰ってからにしてくれ」
「あ、そうだね。裏口からどうぞ」
「10日後以降だな」
「はい」
「邪魔した。行くぞ」
「あ、うん。俺の方も宜しくお願いします」
「了解」
 そして2人は、裏口から表に出て、俊の運転する車で俊のマンションの方に来ていた。
「少し呑むと良い。落ち着く」
「うん。これ1杯呑んだら帰るね」
「バーカ。そんな真っ青で、カクカク震えてるお前を、1人に出来るか。今夜も泊まってけ」
「でも」
「命令だ」
「はい」と答えたマサシが、ハラハラと涙を溢し始めた。俊が抱き締める。
「泣ける程、怖かったクセに。強がり」
「トシさん、泣き虫苦手じゃない」
「コイビトの涙が苦手なだけだ。他人が泣こうが叫ぼうが、知ったこっちゃない」
 魔王が持つには暖かい胸に顔を埋め、ホウッと大きく息を吐いた。まだ、身体の芯が震えているが、アルコールを摂取したせいか、少し余裕が出て来た。
「トシさん、夕食どうする? 何か作ろうね。材料、残ってたっけ。うゎ」
 立ち上がろうとしたら腕を強く引かれ、俊の腕の中に倒れ込んだ。
「お前はやらんで良い。指を切るぞ」
「まさかぁ〜」と言ってキャラキャラ笑ったマサシに、自分の手を見てみろ、と言った。
 言われるままに、自分の手をぢっと見詰める。すると、又違ったトーンの笑いが漏れた。手が指先が、プルプル震えている。
 こりゃ確かに、指を切るかも━━‥‥。
「俺様が作ろう!」
「ぇ、ぇっ‥‥えっ?! え〜っっ!! 止めて! 止して! それこそ指落とすっ!」
「失礼な奴だぜ」
「もう少ししたら落ち着くからぁ〜」
「作らないのと、作れないのは、意味違うからな」
「じゃ何。作らなかった、とでも?」
「ああ。後片付けが嫌いなんだよ」
「ありがち」
「カルボナーラでも作るかな」
「難しいよ?」
「得意料理。お前は黙って食え。他言無用だぞ」
「どうして?」
「面倒臭せぇじゃん。説明すんの」
「なる…程」
「良い子に待ってろ」
「うん。傍に居ても良い?」
「ああ」
 本邦初公開。殺人ではなくて、魔王のお料理風景。思っていた以上に、手際が良い。何処でやってたんだろう。たまに、作ってるのかなぁ?
 パスタを茹でる迄の時間でベーコンをカットして、大好きな玉葱もスライスした。マッシュルームは水煮缶を使う。40分程でカルボナーラが2皿出来上がった。何と、サラダとスープ付き。
「出来たぞ〜」
「うん。キャベツの千切り、ちゃんと出来るんだねぇ。うきゃって目を閉じちゃったけど、まな板を叩く音がリズミカルで驚いた」
「どう言う意味じゃ」
 俊が皿を持ってリビングに行った。その後を、マサシが追う、トレンチにサラダとスープを乗せて。
「そんな良いモンがあったのかっ!」
「え?」
「盆だ盆」
「前からあったよ?」
「そうかぁ〜? 初めて見る」
「否。見てはいると思うよ。俺もリズも使ってるし」
「そうなのか」
「自炊しないって言うの、マジだったんだね」
「ほっとけ」
 俊がいつも座る所と自分が座る所にサラダとスープを置くと、皿が置かれてる隣りに、マサシの分を移動させた。
「何?」
「もう、1人で身体を支えて居られるか」
「ゔっ!」
「おっ」
 マサシがパタパタッと涙を溢し、俊にはしっとしがみ付いた。びっくりして抱き留める。
「俺、おかしいのかなぁ〜」
「何故、何に、どうして」
「どうして? そりゃ、好きだからでしょ」
「誰を」
「トシさん」
「するってぇと、おかしいのはこの俺か」
「滅茶苦茶おかしいよ。ふ〜〜〜っっ!」
「おっ」
 握る拳も逞しく、ポフポフと左右の手で1回ずつ、俊の厚い胸板を叩いた。
 思い出しただけで熱くなる。余りにも鮮明に、とびきり強烈に視界に飛び込んで来た。銃を構える俊の姿。特に躊躇わず、眉間に銃口を当てて撃っていた。どんな表情だったのか、はっきりとは見ていない。唯、銃を突き付けられた男の表情が恐怖で青ざめるのを見た。俊の顔に浮かんでいた愉快そうな笑みは、店内の鏡越しだったけど、見た。それを見ていた自分は頭に血が昇っていて、凶に引き倒されて壁に打ち付けた背中の痛みで我に戻った。そして、出すモンなんてないのにイッたのだ。俊はセクシーだった。否。セクシーなのは重々承知していたが、今日程鮮烈だった事はない。人間の命に銃を向けて躊躇しないなんておかしいのに、セクシーだと思い、感じ、イッた。
「トシさん、セクシーだったよ」
「そりゃどうも。パスタ作ったくれぇでセクシーなんざ言われるとはね」
「否。パスタ作りじゃないから」
「ああっ! 千切りか。失礼な奴だぜっっ」
「それも違うから」
「じゃ何」
「━━‥‥。死んだのかなぁ〜あの人」
「━━‥‥どの人」
「押し行って来た、強盗?」
「見たの? お前」
「1人、倒れてたね。もう1人を撃った瞬間ね、チラッと見た。カーッと身体が熱くなって、痛いと思ったらイッてた。俺は変態だぁ〜っっ」
 長く続くって事は、その素要は待っていたと思われるが、喜んで良い事なんだか悲しむべき事なんだか、最近良く判らない。
「じゃあ俺は、ド変態か」
「そ〜だよっ! ドSぢゃん」
「そうだっけぇ〜?」
「あっ!」
 股間を鷲掴みされ、マサシが腰を引いた。しかし、抱き付いたままなので、気持ち離れたに過ぎない。
「元気じゃん」
「うん。出すモンないのにね。さっきの思い出しただけでこれだもの‥‥」
 ホウッと、随分と熱っぽい吐息を溢し、俊の胸に身を預けた。そして、溜め息を繰り返す。
「んっっ」と息を詰めたかと思ったらマサシの肩先が小刻みに震え、フニャ〜っと身体の力を抜いて縋り付いて来た。どうやら、イッたらしい。自分だけ‥‥。狡い‥‥。
「虚し過ぎる」
「言いたい事は色々あるが、折角作ったんだから、冷え切っちまう前に食ってくれ。で、後片付け宜しく」
「あ、はい」
 やっと夕食になっり、何か今日はびっくりしてばかりだ。俊が食われちゃったとか、俊に台所仕事が出来たとか、しかも、それが美味しいってショック大きい。
「何て顔してんだよ」
「凄く美味しかったから」
「他言無用だからな」
「はいはい。後片付けしよ」
 食器を下げて、勝手知ったる俊の部屋のキッチン。使いっぱのフライパンとか、包丁とかまな板とか、テキパキと片付けた。すると、背中からカパッと抱き竦められた。
「なっ何っっ。びっくりしたぁ〜」
「さっきの続きだ」
「さっきのって?」
 腕の中で、身体の向きを変えてやる。不思議そうな、コイビトの顔が見えた。
「なぁに? あっ! ダメっ! 明日、普通に外来もあるんだってばっんんっっ」
 煩い唇はキスで塞ぎ、片手で両手の自由を封じ込め、ベッドに導いてった。ボフンッとベッドに沈めて、直接肌に、唇や指先が触れる頃には大人しくなっていた。その結果、辛い辛い月曜日が待っていた。
「いだい〜っっ」
「家経由なんだろ?」
「ふ〜〜〜っっ!」
「ホットミルク出したげるから」
「労ってよぉ、ブツブツ」
 マサシは四苦八苦しながらベッドから抜け出ると、バスルームには俊が抱いて連れて行ってくれて、熱めのお湯で腰湯をする。
「しみっるぅっっ」
 この2日とか3日で、1ヶ月分は犯られた。向こう1ヶ月くらい、なくても構わない。
 痛いよぅ、お尻と腰が。まぁ、気持ち良いがたっぷりでしたけど━━‥‥。
「続きとか言っといて、飛躍するんだからっ」
「どの辺が」
「丸毎全部!」
「ウソ吐け。オラッ! ホットミルクだ!」
「有り難う♡ ふ〜っっ。あ、俺の背中に痣とかない?」
「何で」
「響さんに引き倒された時ね、背中の痛みで戻って来たから」
「何処行ってたんだ」
「冥王星迄ビュンッと」
「ま、遠くはねぇなぁ〜」
 顎を摩ってそう言った俊を目の前に置き、矢っ張り夢じゃなかったのかと、嬉しいような悲しいような、何とも複雑な心境━━‥‥。
「ふんっっ」
 マグカップに口を付けた時に身体の向きを変えられたからびっくりしたけど、そんなのに構ってくれない俊。ま、慣れてるけど━━‥‥。
「痣と言うか、広範囲に渡って赤くなってるのぉ〜」
「何処のヤブエロジジイ医者だよ」
「ヤブでジジイはねぇだろう。当たってるのエロだけだぞ」
「エロいって自覚はあるんだ。ふぅ〜ん」
「このっ!」
「きゃあっ」
「こますぞ」
「昨夜、こまされた。一昨日の晩もその前の晩も」
「わ〜った、わ〜った。お前は小姑かって」
「何それ」
「別に」
 カップに残っていたコーヒーをクイ〜ッと飲み干すと、俊は着替え始めた。マサシも、ホットミルクを飲み干すと、そろそろと支度を始めた。その様を横目で見ていた俊が、無茶やらせたかなぁと、しても始まらない反省をしてみた。後悔も反省も、先に立つ事はない。
「マサシ」
「はい」
「正死、に改名しねぇか?」
「正しい死? 良いけど、戸籍課との交渉はトシさんやってよね。俺ヤダよ」
「正史より正死の方が、俺の、持ち物には相応しいんだがなぁ〜」
「トシさんは何なんだよ」
「魔王」
「そら‥‥うん。正死かぁ〜‥‥祖父ちゃんと祖母ちゃんか泣くなぁ〜‥‥。でも、持ち物としては魔王(ゴシュジン)様の方が大切だし、子供も出来る事だし我慢して貰って」
「俺の子だがなぁ〜」
「何の問題が? 俺、女は一切バツだし」
「そうだったな。でも、キスくらいしろ」
「そのくらいなら」
「で、何でジジイとババアが出て来る」
「ばぁちゃんの名前が史(フミ)。ばぁちゃん好き×2じぃちゃんが、待望の嫡系男子って事で、大好きなばぁちゃんの名前を入れて正史にした」
「良くやるわ。医者の家系やないのか。そんな話、してなかったかな」
「そうだよ。戦国時代から続く医師の家系。薬師も兼務してたそうだから、分家は薬剤師が多い。その関係なんだけどね」
 何が、その関係、なのかは確認以前。まどかに飲ませている避妊薬の事だ。きっちりしたデータが入手出来るなら、非合法でも薬は流す。細心の注意を払い、トップしか知らないシステムを作って━━‥‥。このシステム作りに尽力しかのが、山川系。ま、マサシには関係のない事だ。
 身体が思うように動かないからモタモタしてしまったが、俊は特に急がせる事もなく、マサシの身支度が済むのを黙って待っていた。その時間、タバコ4本分。5本目を唇に銜えたら、大きく息を吐き、洗い晒しの髪をサラリと掻き上げるところだった。
「一服するか?」
「させて」
「ん」
 基本、マサシはタバコは吸わないが、疲れた時とか苛々した時なんか、稀に吸う。
 俊に渡されたタバコとライターのセットを受け取ると、1本と1本に火を点けると返した。そして、深々と一服。たって、2〜3口で消しちゃうんだけどね。灰皿にタバコを押し付けて火を消し、溜め息一つ。
「はぁ〜‥‥年で濡れなくなったのかなぁ〜」
「何で」
「腰湯した時しみてぇ〜ないなぁ〜あはは〜」
「マサシ!」
「きゃあっ! 止めて止して!」
 ジタバタするマサシをベッドにうつ伏せになるように押さえ付け、四苦八苦しながら履いたスラックスを下着毎下ろして双丘の奥を見遣った。
 ふんむ。腫れが酷い。切れてはいなかったが、擦り過ぎて真っ赤になっている。これじゃあ滲みるだろうて━━‥‥。
「そのままで居ろ!」と命令してから、薬箱を持って来た。そして、傷薬を塗って、湿布もしてしまった。
「えっそんなに酷い?!」
「触ったら血吹きそう」
「えっ」と言って固まったマサシを起こして、スラックスを上げてやる。そして、使い掛けだけどと前置きした上で、今塗った傷薬と滅菌ガーゼを渡した。と言うか、マサシがいつも持ち歩いているバッグの中に、放り込んだ。
「良いの? トシさん、困らない?」
「ああ。さて、行くぞ。用意は良いか」
「アイアイサー」
「バーカ」
 掛け声と共に変な敬礼をしたマサシの頭を小突き、歩を出した。その後を、マサシが慌てて追い掛けて来る。
「んもぉっ置いてくなっ」
 そう言って、背中に抱き付いた。
「おっと。大丈夫か?」
「うん♡ トシさん、大好き♡ 愛してる♡」
「ん。知ってる」
「ブーブー」
 玄関先で今日の打ち止めのキスをして、マサシは成城の自宅に車で送って貰った。が、時間は大分早くて、俊の為のコーヒーをコーヒーメーカーで落としながら、自分はお召替えちう。さすがに、金曜日、日曜日と同じ服装はマズイだろう。大体、2日続けて同じ服を着てく事がない。一々チェックを入れる看護師、ってのが居る。それも、複数人。嫌がらせである。
 装いを一新し、マサシが俊にコーヒーを持って来た。自分はほうじ茶。それを飲んで、病院迄の道すがらにある、感じの良い喫茶店のモーニングを2人でパク付き、病院迄送って貰った。
「どうも有り難う」
「否。当然のアフターケア」
「しょってる。じゃ」
「辛いようなら電話しろ。迎えに来る」
「そんな。良いよぅ。トシさん忙しいのに」
「お前を家に送り届けるくらいの時間はある」
「━━‥‥。そんな事言うと、アテにするよ」
「良いぞ。何時上がりだ」
「何事もなければ19時」
「ん。頭に入れとく。何事か起こったら、mailでも電話でもしてくれ。迎えに来るから」
「うん♡ 有り難う♡ 何か、泣きそうなくらい嬉しい♡」
「おいっっ」
「大丈夫、大丈夫。じゃ、又、後で」
「ああ」
 マサシは病院内に姿を消して、俊も消えた。
 同日昼。午前中の診察が終え、遅い昼食を摂る事にした。正直、お尻痛いし腰も痛いから、食欲なんて何万光年も彼方にある。けど、医者も体力なのだ。何か、胃に入れとこう、と思った。今日は顔色悪くて、もう4人の病院関係者に指摘されて、5人の年寄りの患者さんに心配されていた。午後も診察はあるから、元気出さないと━━‥‥。
「吉岡先生!」
「はい」
 足早に食堂に向かっていたら、呼び止められた。
「何でしょう」
「ご面会の方が」
「私にですか?」
「吉岡正史医師は先生ですよね」
「そうですね」
「フィアンセだと仰っているそうですけど」
「はぁ!? 何者ですか、それ」
「心当たりないんですか? 朝倉紅葉さん」
「誰だ?」
「えっ!」
「えっ?」
 足を止めたは良いけど、耳慣れない名前を訊かされ、悩んでしまった。誰だっけ。割りと最近、訊いたような━━‥‥?
 呼び止めた病院職員と顔を見合わせ、息さえ詰めてたっぷりと20秒は悩んだ。が、思い出す前にその当人から声を掛けられ、その人物が視界に映った。誰だ、この高飛車なバカ女。
「正史さん。お弁当、お持ちしました」
「俺は乞食じゃない。他人の施しなんて受けない」
 話してる内に思い出したが、この高慢で人を見下す女は、おば言うところの才色兼備で眉目秀麗なお嬢さんで、見合いの相手だった。その気なんて更々ないので覚える気もないのだが、名前と顔が一致せずに丸々一呼吸分は出遅れた。にしても、こんな恩着せがましく弁当を届けて、相手が喜んで受け取るとでも考えているのだろうか。だとしたら、はっきりハズレだ。頭の中だけで恋愛し、本の中やTVの登場人物との擬似恋愛しか知らないのなら高慢にもなるだろうし、相手への思い遣りとか尊敬の念とかも育たないだろう。何にしても、気の毒な程、頭デッカチだ。それらを踏まえた上でも、許容は出来ない。
「次は警備員を呼ぶと警告した筈だが」
「呼べるものなら呼んでみなさいな。正史さんのおば様がお母様にどうしても仰るから」
「そんな事は知らないし、更々関係ない。君、警備員を。このバカを摘み出してくれ。私のフィアンセなんかじゃない。唯の妄人だ」
「宜しいんですか?」
「構わない」
「そんなマネをしたら、おば様の顔に泥を」
「金輪際、取り合わないでくれ。私の婚約者は、大久保律子だ」
「はぁ…」
「正史さん!」
 何か喚いていたけど知らない。おばが何と言ってあのお見合いをセッティングしたのかなんて、マサシには更々関係のない話だった。大きなお世話を勝手に焼いているのはおばで、そのせいで彼女がどんな恥をかこうが知った事じゃない。いくらでもかけば良いのだ、何処迄行っても、余計なお節介でしかないのだから━━‥‥。
 マサシは後ろさえ振り返らず院内の食堂に行くと、キツネうどんを食べた。
 う〜ん? 大人気なかったかなぁ〜?
 否々! 世間知らずのお嬢様には、あれくらいのお灸は必要だろう。一体、どれだけ甘やかされて育ったのかは知らないが、ありゃ、社会に出てから挫折する。まぁ、社会に出ないのかも知れないが、狭い世界の中でしか生きられない、可哀想で気の毒な人種だ。甘やかしてる親は、それで良いのかも知れないけれど━━‥‥。
 マサシが、婚約者の固有名詞を口に出した事は、その日の帰り迄に、殆どの病院関係者が知るところとなり、看護師の視線が痛かった。又、マサシにお相手が居ると知ってホッとした独身の同僚達からは、いつ出来ただの、今迄隠してたのかだの、気の早い奴からは結婚おめでとうと、祝福された。こいつら、そんなに恋人に困っていたのか? あな恐ろしや。ツルカメツルカメ…。
 その後はこれと言って特別変わった事はなく、終業。白衣を脱いで、背広に袖を通す。そして、いつもと同じように病院を出た。すると、俊の車が待っていた。ついつい頬が緩む。
 コンコンと運転席の窓を叩き、フロントから助手席に回り込み、開けてくれたドアから中に滑り込んだ。時刻は19時が20分程過ぎた頃で、俊はココで30分余り待っていた。ま、マサシを送って行ったら社に戻るが━━‥‥。
「ごめん。待った?」
「否。月曜日は気忙しいから、のんびりしてた」
「そう。有り難う♡ 嬉しい♡」
「ふふ」
 夜、スモークガラス。矢っ張りキス♡ と、マサシのポケットからバイブレーション音。
「何だぁ〜?」
「さぁ〜? あれ、おばさんだ。無視しちゃおうかなぁ〜」
「良いのかよ。元気に鳴ってるぞ」
「この人はしつこい。あっ! 念押しとこ」
「ん?」
 昼間の事を思い出したマサシが電話に出た‥‥ら、おばさんのマシンガントークに襲われた。側で漏れ訊こえるマサシのおばさんの大声に、俊も目をパチクリ。事の詳細は不明だが、今日昼間に、マサシの見合い相手が病院に訪ねて来て追い返した事と、リズの名前を出したらしい事は判った。三十路の甥坊に恋人が居たら、そんなキンキン喚く程イカン事なのかや? 何か、良く判らん理屈を展開する女(ヒト)だ。相手様に迷惑だとか失礼だとか無礼だとか顔向け出来ないだとか、大声で喚いていたけど、そりゃ全部あんた1人の話で、マサシには関係ないし、迷惑も無礼も、マサシの方が受けていた。それに対する謝罪はないのかよ。それはイカンだろう。筋が通らねぇ。
 でも、マサシはこれと言って反論せず、マシンガンの弾が切れるのを黙って待った。弾切れで押し黙ったおばに、静かだけど切れ味は鋭いマサシの冷たい声が響く。
「前回来た時に次は警備員を呼ぶと宣言しています。子供じゃないんだから、忘れたとか、本気だと思わなかったとかないでしょう。それに、言いましたよね俺。こんな人を見下すような奴とは付き合えないって。忘れたとは言わせませんよ。忘れたのでしたら、痴呆の検査を受けて下さい。今この場で予約入れるし、迎えにも行きます」
 おばさん、完全に沈黙。そりゃそうだろう。痴呆にされちゃあねぇ〜‥‥。にしても、朝倉議員って何処の朝倉議員だ。それによっちゃあ、他人事してられねぇ。なので、尋ねるようにそっと言った。
「議員ってだけで特別扱いするのは田舎だけですよ。区議会議員が私立病院の人事に口出し出来るもんですか」
“代議士先生ですよっ! 大久保何某と言う女の人よりも、吉岡家に相応しいお家柄です!”
「代議士だろうと、落選したら能無しでしょ。否々、代議士だから余計ですね。家柄と結婚する気はないですから」
“正史さん……”
「何か?」
“若いお嬢さんなんだし”
「それが? 家の躾がなってないって話ですよね。そんなの、俺にどうしろと? 親でも兄弟でもないですよ」
“そうでしょうけど、あなたは吉岡家の”
「俺を批判するのは勝手ですが、はっきり迷惑です。これ言うの、何十回目だか忘れましたけどね。じゃ、おばさんの責任できちんと断って下さい。おやすみなさい」と一方的に畳み掛け、ブチッと切ってしまった。
 車が、やっとスタートする。
「着拒にしようかな」
「まぁまぁ。しかし、大物に引っ掛かったな」
「朝倉議員? 知った人?」
「直接は知らねぇが、コイビトの政敵だなぁ〜」
「えっ! 代議士のコイビト居るのっ?!」
「1人なぁ〜。ま、手を打っとくかな。政界の呼び名がマムシだから、お前に何かあったら俺が困る。娘を溺愛してるのは、政界では有名な話だしな。どんな仕返しに出るか見当も付かん」
「何それ」
「年いって出来た、待望の女の子なんですと」
「はぁ。何でも良いよぉう。疲れちゃった」
「ふむ。おばさん、いつもあんな調子?」
「大体あんな感じ」
「ふぅん。茶、しばいてくか?」
「うん。お尻痛いけど、美味しいコーヒーが飲みたい」
「まだ痛てぇか」
「痛てぇよっ」
「あはは〜許せ。ついつい」
「はふぅっ。良いけどね、トシさんのくれる痛いは宝物だから♡」
「おお。嬉しいね。じゃ、コーヒー屋寄って帰るぞ」
「うん♡」と頷いたマサシと茶をしばき、自宅に送り届けた。
「有り難う♡」
「否。暫くの間は、戸締りと来訪者に気を付けろよ。朝倉の事は何とかするから」
「うん♡ 判った」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 マサシと別れ、社に急ぐ。それから、朝倉一雄(アサクラカズオ)代議士の処遇をどうするか、考えた。まず、黙っているとは考え難い。アレコレと、横槍を入れて来るだろう。その程度で済むような、済ませるような奴だったら心配ないが、相手はマムシ。汚れ仕事を一手に引き受けて来た、政権与党の壊し屋だ。あいつのせいで表舞台から消された若手議員は三桁に昇り、廃案となつた有効な案件は数知れず。政界を陰で牛耳る妖怪共の、隠し玉的存在だった。そんな怪物が、溺愛している娘にケチを付けたと言ってケチを付けられたら、マサシは消し飛ぶ。俺様の持ち物(者?)だから、俺様が全力で守らなきゃ、魔王の名折れだ。表裏、両面から攻めようじゃないか。必要以上にマサシを追っ掛け回した娘は薬漬けにして、世間知らずの奥方には浮気して貰って、最大のガン、朝倉代議士にはテンテコ舞いを踊って頂こうかな‥‥?
方向が決まったので、必要なメンツに必要な命令を下し、その返事を受けて、圭介に1本電話した。1週間後、朝倉と宴を設け、ベロンベロンに酔わせてくれ、と━━‥‥。
“あの人、何か訳アリで、酒は殆ど呑まないよ?”
「全く呑まない訳じゃあるめぇ」
“まぁね。僕も虐められたから、妖怪出すかな”
「手段は選ばねぇよ。頼むな〜」で完了。後は、仕上げをごろうじろってなもんだ。
 仮面夫婦の朝倉夫婦。
 家に居つかない旦那には外に何人か若い女が居て、マンションを買い与え、生活すらも面倒見ている。
 奥方は見栄っ張りの世間知らずで、流行のファッションで身を固め、お茶会や音楽会で大忙し。
 年頃の娘は居るが世話は家政婦任せで、朝食の時にチラリと顔を合わせるくらい。夫が溺愛するからと、自分は無視している。
 夫は入り婿なのに、地盤を受け継ぎ、目の上のコブだった父が亡くなって娘が誕生したら、自分の後継は娘の婿だ! とか勝手に言っちゃって、出来の良い息子達には目も向けない。こんな話、奥方的には容認出来る話じゃなかった。
 確かに、見目は私に似たから美しい方だけど、性格は貧乏臭い夫そっくりで、執念深くて往生際が悪くて一々細かい。あんな夫の愛人って、何が楽しいのかしら? 人生を楽しむって考えがないし、真面目って言うのもユーモアがないだけで、一途も融通が効かないってのが本当のところ。父娘揃って、面白味のない人間だ。人間、余裕が大切だと思う。遊びがないと、壊れ易いものだ。そう言うところが合わないのだけど、他界した父には伝わらなかった。
 同郷ってだけで猫っ可愛がりし、後継に選んで強制的に結婚。別に好きな人が居てちゃんとお付き合いもしていたのに、その人の将来と夫を選べと迫られて、その人に明るい未来が訪れる事を願い夫と結婚したが、失くしたのは好きな人だけじゃなかった。多くの友人も失くした。全ては、あの貧乏人のせいだ。お金の使い方を知らないから、何をやるにしても下品で品性のカケラも感じられなかった。そして、娘ってのがこれにそっくりで、もう、私の人生を返してっ! て感じ。
 ま、それも今は昔の話。ひょんな事から、昔お付き合いしていた彼と再会したのだ♡ 彼は大手商社の取締役専務なっていて、恋の炎が再燃した。これが、1週間前の話。
 貧乏性の娘は、サロンで知り合った口の達者な奥さんの息子だか甥っ子だかとお見合いをした。たまたま帰って来ていた夫がその話を娘から訊いて、私に相談もなく話を決めてしまったのだ。と言うのも、お相手が、大学病院の外科部長で教授だと知ったせいなのだが、娘はまだ20歳じゃないか。一回りも年上の医者なんて、話も合うまい。今更だけど、見合い前から、破談にするな! と散々焚き付けていて、だからだろうけど、追い返されてもメゲる事なくお弁当を届け続けているらしい。それ、唯のストーカーですから。警察呼ばれる前に気付きなさいね。
 その娘とは、この2〜3日会っていなかった。落としたからなのか、落とされたからなのか、はた又、脈なしと諦めたのか、いずれのどれが原因なのかは知らないが、姿も見ていないし声すらも訊いていない。ま、あの娘は、母親の愛情の要らない、父親の愛情過多で育った子だから、淋しいとも思わないけれど。
 そんな不出来な娘より、3人の息子達がそれぞれ独立して立派に所帯を持って、こんな仮面夫婦じゃない、愛し愛されている女性との間に子供をもうけ幸せに暮らしてくれているのが、何よりもの幸せだ。おばあちゃん、なんて呼ばせないけど。だって今、恋しているし、愛されている実感もある。夫からは感じた事のない温もりに、今、確かに包まれている♡
 ━━‥‥と、舞い上がってる朝倉代議士夫人には申し訳ないが、昔の恋人、だと思い込んでいる男は、マスクとの異名を持つ武闘派の色男だった。十人衆入りこそしていないが、サッカーで言うところのスーパーサブ的存在で、彼女の経歴を調べたら昔のロマンスが出て来て、それでまぁ、マスクに老けメイクさせて演じさせているだけ。
 本物の彼女の恋人は、裏切った彼女の事なんか思い出す事もなく、パリでパリジャンと結婚し、一男二女のパパとしてホテルを経営している。
 そして、姿を見ていない娘さんは、正確には6日前から監禁していて、とっくのとうに薬漬けにして犯されまくっていた。知らぬは、親バカちゃんりんの父親と、我が世の春を謳歌しているバカな女親の2人だが━━‥‥。
 写真誌やゴシップ雑誌の編集部に、次々と写真が送られて来ていた。しかし、三流雑誌社は相手が大物過ぎて二の足を踏み、真っ先に取り上げたのは大手出版社が発行しているお堅い週刊誌だった。それを受けてゴシップ雑誌等がこぞって取り上げ始めたが、所詮は二番煎じ。相手がマムシの妻娘って事で慎重になり過ぎたようだ。勿論、野党の先生方の元へも、与党三役にも、もっとドぎつい無修正の写真、それも妻と娘のを合わせて100枚近く送り付けていた。直接本人に火消しをやらせようとしたが、それを命じる前にネットに上がったのが痛かったらしい。てか、そうじゃないと困る。ネトウヨ共が、悪意ある合成だ! と騒いでは削除させていたが、それでは追い付かない数の流出写真と動画が一斉にネットに上がった。ネット対策で専門のバイトも雇っていたが、全然間に合わない。何とか1個アカウント凍結に成功しても、新しいアカが10個くらい現われては新しい写真やムービーを上げる。10個凍結に成功したら100個現われてと、火消しどころか油を注いでいた。実際、そう言うプログラムなのだが、雇われネトウヨさん達は、知る由もない。
 そして、今日、圭介が党の妖怪を立てて、朝倉代議士と会う。
 アイツは叩き上げの泥臭い政治屋で、圭介とは一線を画す宿敵のようなものだった。
 俊の頼みじゃなければ、こんな芋とは呑まないが、面白い小道具一杯貰ったから、虐められてた仕返しに試してみようと思う。どうするのかな、このオッサン。自分の事を蔑んだような目で見てくれちゃってたけど、お前はどうなんだ! って話でしょう? 本人のもあるしねぇ━━‥‥。
 まずは、呑ませた。名前だけ借りた妖怪からの差し入れだからと、1杯呑ませた。1杯呑んだら止まらないらしい、と言う情報は入手済み。と同時に、その1杯迄が遠いとの前情報もあったが、妖怪の名を出したら、昔気質の朝倉は、思いの外あっさりと冷酒を空けた。2杯目からは手酌である。
 このオジサン、酒が大好きなんだ。で、何度も失敗したんだ。まぁ、そこが狙い目なんだけど、酒好きなクセに酒に弱い。それも、メッチャ弱い。冷酒3杯でベロンベロンになってくれちゃって、後はもう俊の手下に任せて、自分は俊としっぽり濡れた。
 その翌日。朝倉は政界から引退し、家も引き払って行方不明となった。報道では、自身と妻娘の不始末を恥じて隠遁した事になっているが、実際はこの世の人でなくなったのだ。つまり、あの世の人達って事だけど、父親の愛情は薄かったけどだからこそ普通に育ったとも言える、独立している3人の息子の家族は、これ幸いに縁を切り他人であろうとしたようだ。これはあくまでも、後日談だけれども━━‥‥。
 宝石店から電話が来たのは、翌週の水曜日だった。近い内に取りに行くと答え、お仕事を続けて同週の金曜日。カリコリとカルテを整理して、大きく伸びをしたら、俊からmailが来た。
 いつもなら、今から来い、だけの色気も何もない短文だったが、今日のは文章になっていた。要約すると、サラマンダに行くんだけど一緒に行かね? 行くついでにメシ食うべ、と言う事だ。文字としては一言も触れられていないが、SEXするぞも含まれている、メシ食うべ、に━━‥‥。
 マサシはポチポチと返信すると、終業迄の時間を過ごした。10日後に仕上がると言われたので、あの日から10日後以降のスケジュールは、動かせるように組んだ。矢っ張り第一は、俊との時間なのだ。いつもは傍にない人だから、これは仕方ないと思う。
 と、ココ迄考えて、降って湧いた疑問が一つ。リズと結婚した場合の呼び出しってどうなるの?
 妊娠ちうは無理をさせられないから、自分1人になる‥‥のかな? でも、妊娠は病気じゃないし、家に閉じ籠るのはどうかと思う。少なくとも安定期に入ったら、適度な運動も必要。育児に関しては、やれる事はやるつもりだ。授乳は出来ないが、もし、母乳で育ててくれるなら、家事は全部やっても良いと思っている。そうじゃなくても、やれる家事にお風呂の世話などは任せて欲しい。で、この、子供に手の掛かる間の俊からの呼び出しは、交代で良いかな? で、たまに親子揃って訪ねるのもアリだろう。俊も、我が子の成長が気になるだろうし━━‥‥。
 そんな、結婚後の事を妄想していたら、あっと言う間に時間が過ぎて、さっさと帰る支度。唯、出る前に電話しろ、と書いてあったのでその通りにしたら、迎えの車、ロールスロイスが居るから、それに乗って来いと言われた。
「ふむ」
 玄関に出た方が良いのかなぁ? と考えながら、いつもの所に出て、玄関に向かおうとしたら、マサシの行く手を遮るようにロールスロイスが滑り込んで来た。そして、中肉中背の紳士が降り立った。
「吉岡マサシ医師ですね」
「はい」
「お乗り下さい」
 それは聖だったのだが、俊の使いだと判るように、わざとマサシと呼び掛けさせた。そして、連れて行かれたのはブランカだった。
「暫くお待ち下さい。車を停めて来ます」
「あ、はい」
 マサシは初めて来る所だから、物珍しそうにしている。点滅する電飾。褪せたビリヤード台とキューのイラスト。何か、映画とかドラマに出て来そうな雰囲気のある、プールバーだ。
「お待たせしました。どうぞ」
「はい」
「あ、私は田口俊の秘書をやっております」
「あっ、ご丁寧に」
 思わず名刺交換。
「若、我が儘だから大変でしょう」
「若?」
「トシです」
「いえ。そんな事ないです」
「さぁ、入りましょう」
「はい」
 聖がドアを開けると、蝶番の錆びた音が大きく木霊し、自然光に近い灯りが溢れて来た。4台のビリヤード台の間を抜けて行き、奥のBOX席に行くと、俊が1人で呑んでいた。
「若。お連れしました」
「さんきゅう。直ぐ判ったろ?」
「私以外の者には難しいかと」
「えっ!? 何で!? 長身細身の女顔の美形」
「そんな大雑把な括りで判るのは身内だけです」
「え〜〜〜っっ。納得出来ないなぁ〜」
「何とでも仰って下さい」
「ムッ! マサシ、こっちゃ来い」
「あ、うん」
 俊に手招かれるままに彼の左隣りに座る。しかし、自分の事を説明するのに、長身細身の女顔の美形、はないだろう。
「呑む? 食う?」
「両方♡」
「わーった。おーい、メシ〜!」と叫んだら、はーいと声が返って来た。それは、毎度お馴染みの宏で、今夜もメシスタントとして呼ばれて、邦彦も当然居る。その邦彦をお客だと思っていたから、ロックグラスを渡されてちょいとびっくり。でも、基本、俊と一緒なら文句ないので、俊のネックが掛かっているボトルから酒を注ぎ、早速乾杯。なのだが、俊に止められた。
「ん? なぁに?」
「宏ぃ〜?! 聖のジュース出てないぞぉ〜!」
「今、行きま〜す!」
「ああっクにゃん、貰うよ」
 聖が取りに行く。あんなおっかなびっくりの屁っ放り腰で運ばれてたら、取りに行くってば!
「かんぱ〜い! オツ〜」
「お疲れ様〜♡」
「私まだ、仕事中」
「そうだったね。残業手当出るからね♡」
「どっちからですか? それに依って運転が変わります」
「怖いなぁ〜」
「ふぅ〜んだ」
「本業の方からに決まってましょ」
「はーい♡」
 表情の乏しい聖がニパッと笑ったら、すんごい美人に見えた。うへっ! こんな美人の秘書さんと、普段から一緒に居るの? コイビトの1人?
 ちょいとドキドキする。口が乾くので、酒を煽った。俊が笑う。顔に出たかなぁ?
「おお。良い呑みっぷり。駆け付け3杯とも言うから、どぞどぞ」
「今週は宅呑みばかりだったから」
「忙しかったのか」
「いつもと変わらないよ。トシさんこそ」
「俺も、いつもと変わらん。今日は早く上がったけどなぁ〜。第一秘書に任せてぇ♡」
「俺のせい?」
「違う。第一秘書いぢめ♡」
「可哀想なよし君」
「煩せぇよ。ささ、もう一献」
「おいひぃ〜。ブランデーってこんなに旨いモンだったの?」
「銘柄に依るな」
「そうか」
「先生、強いですね」
「いえ。嗜む程度です♡」
「だよなぁ〜♡」
「で〜す♡」
「マサシとリズは、俺に付き合えるぞ」
「底の抜けたバケツ」
 聖がヒクッと引きつった。楽しいお酒だから良いけど、その呑みっぷりの良さは、心配になる程のものだ。それが2人ですか━━‥‥?
 マサシは人見知りなので、酒の力を借りて聖とも話をするようになっていた。会社での俊の事を、少し訊いた。
 聖も初対面の人物には表情が固いが、若の情人って事でハードルが大分低くて、温和な顔をしている。会社での若の仕事っぷりは、包み隠さず、正直に答えた。若から訂正を求められる事もあったが、知ら〜んぷり。
 そうこうしている間にご飯が出来た。
「ヘイ、お待ち」
 そう言って、3枚のプレートを持って来てくれて、サラダとスープも付いた。
「召し上がれ」
「おう。コイツ宏。俺様の直の部下。マサシだ。切ったり繋いだり得意だぞ」
「トシさんっっ」
「ん? 何か間違ってたか?」
「ん〜〜〜〜〜っっ。トシさんのバカっ!」
「くすっ。初めまして、先生。宜しくお願いします」
「あっ。初めまして。宜しくお願いします」
「クにゃん! こっちゃ来い!」
「にゃ」
 矢っ張り、クにゃんってロックグラスをくれた青年の事だ。どう言う意味だろう?
「この2人、夫々」
「あら、ステキ♡」
「外科の先生だよ」
「おお。お医者さん、嫌いにゃ」
「こらこら。済みません。クニ?」
 旦那さんの方が恐縮しているが、クにゃんは笑いながら明後日の方を向いていた。
「お医者さん、注射するにゃ。怖いにゃ」
「若より怖い医者は居ないぞ」
「うにゃ? にゃ〜〜〜ん?」
「そんなに不思議じゃないだろ」
「部長は仕事が出来る人にゃ♡」
「クにゃんの評価か?」
「全社的に有名な事実にゃ」
「クにゃんの評価は?」
「俺にヒロちゃんをくれた人だから、神♡」
「ほほう。トシさんは?」
「ん〜‥‥。カッコいいにゃ♡」
「ふむ♡」
「ヒロちゃんの次に♡♡」
「あら」
 俊がズルッと転ける。
「クニは正直だなぁ〜」
 宏が邦彦を撫で子撫で子。
「にゃ♡」
「━━‥‥。にゃ?」
 訊き間違いじゃなく、にゃって言ってる。
「唯の接尾語です。可愛いでしょ?」
「そっそうですね」と言ったマサシの表情が、心なしか引きつった。
「冷めない内に食べて下さいね〜」
「あ、はい」
「そうそう。こう言う者です、表向き」
「? 有り難う御座います」
 俊と同じ、山下コーポレーションの社員。直の部下だと言ったから営業部だと思ったのに、企画部だった。ねこちゃんの方は営業部だったけど平社員だし、そんなに接点があるようには思われないが━━‥‥?
 この店は個人的に良く使う所で、本業に絡んだトコだと補足説明が入ったが、良く意味が判らなかった。本業って何だろう? 矢っ張り、闇医者かなぁ〜? 小首傾げてると、今日はここ迄かなぁ〜なんて言われちゃって、早食えと言われた。そう言われちゃっちゃうと追求出来ないので、香川さん、改め、宏さんが拵えてくれた晩ご飯を摂った。んっ!? 晩ご飯を拵えた? 何で? 天下の山下コーポレーションの社員なんでしょう? こんな薄汚れた(失礼。テヘッ…)プールバーでバイトしなくても、充分なサラリー貰ってるだろうに。まぁ、見掛けに依らず、極上の酒置いてるのは確かだったけど━━‥‥。
「何故、お料理してたんですか?」
「金払ってバイトしてるんですっ」
「えっ!?」
「バイトなら優秀なのが居るわい」
「ひでぇな! 源ジイ!」
「当たってるだけに」
「聖さん?!」
 俊は穏やかに笑っていて、マサシの戸惑いも一緒に包み込んでいる。
「先生は、若にそんなカオをさせられる人なんですね」
「えっ」
「ん?」
 聖の呟きのような台詞で、俊とマサシが顔を見合った。
「俺の顔、何か変か?」
「ううん。今日も漢前♡」
「だってよ」
「でしょうよ、先生には」
「何焼いてんの? 宏。クにゃんに良い子良い子して貰え」
「ヒロちゃん、良い子♡」
「クニ〜っっ若がイケズするぅ〜」
「俺にはヒロちゃんが一等漢前にゃ♡」
「へっへっへっ!」
「虚しくない? 宏君」
「聖さんが一番キツイ」
「くすくす。良いなぁ〜」
「ん?」
「え?」
「お?」
「あ、済みません。はむっもくもく」
 つい溢れた本音は、本人が思った以上に深く広がって、俊に優しく促される迄、出口を求め彷徨っていた。
「こ〜ら。何抱えてる。今更俺に、秘密もないだろ」
「大した事じゃないょ」
「それを決めるのは俺だ」
「ちょいとね、羨ましくなって」
 そう言って笑った顔が、淋しそうだった。だから俊が、笑いに持ってった。
「裏山? 財宝でも掘りに行ったか」
「そうそう。大判小判がザクザクと〜って、バカー!」
「くくくっ。どうした?」
「トシさんは知ってると思うけど、俺、そもそも人見知りじゃない」
「そうだな」
「トシさんとはバカも言うけど、他にそんな人居ないからさ、財宝掘りに行っちゃった」
「若が何も仰らないので我々も仲良く喋らせて頂いていますが、部下ですからっっ」
「そうそう。私の替えなんて五万と居ます」
 マサシが裏山に財宝を掘りに行った訳が判り、部下2名が矢継ぎ早に言葉を繋いだ。が、俊の琴線に触れる事も言っちゃって、聖が責められた。
「タカ兄」
「若っっ」
 子供の頃の呼び方はするなと、聖に嗜められる。でも、一喝された。
「煩いわ! タカ兄の替えなんざ居ねぇ!」
「はい。ごめんなさい」と、聖は何故かショボン。
 大声を出した俊と、肩を落とした聖を見遣り、マサシがポンッと重大な事を口にした。
「聖さんが大切なんだね」
「ああ。お前とは又、別の意味でな」
 若が自宅マンションに泊めるだけの事はある?
 ある種の安心をして、宏が横道にズラした。
「タカ兄なんスねぇ〜。俺もそう呼ぼうかな♡」
「若の分は黙殺すると思うけど、ハートのエースに殺されるよ?」
「わきゃーっっ。それ一番ダメなや〜つ! シャレになってないっスよ」
「本気」
「余計悪い」
 マサシが、ビクッと身体に力を込め、俊に身を凭せ掛けた。まだまだ、刺激が強いかな?
「俺、殺されるかも」
 何となく出来た会話の間。そこに、マサシの呟きが大きく響き、魔物3匹が盛大にむせった。
「トシさん。大丈夫?」
 マサシは俊の背中をトントン。邦彦は宏の背中を摩っている。
「何だ、いきなり」
「そう言う電話があった」
「何て?」
「俺が結婚秒読みになったじゃない」
「うん」
「そうしたら、精神科に入院中の患者さんから電話が掛かって来て、私と結婚するって言ったじゃない! 嘘吐き! 殺してやる! だって」
「それ、保護室行きじゃね?」
「多分ね。はむっもくもく」
「主治医に連絡した?」
「うん」
 マサシは特に気にした風にもなくて、ご飯を食べていた。
「先生もdangerousな世界に住んでますね」
「そうですね。脅しなんて日常ですよ」
「へぇ」
「あ、そうそう。マサシで良いですよ」
「いえいえ。尊敬の念を込めて、先生と呼ばさせて頂きます」
「俺も俺も」
 邦彦が身体を揺すった。ハンサムさんなのに、今は可愛い。きっと、旦那さんと一緒だからだろう。安心しているのだ。なら、自分も同じかな?
「邦彦君はお医者さん嫌いなんじゃないの?」
「嫌いにゃ」
「無理しなくて良いよ?」
「無理じゃないにゃ♡ 先生は特別なのにゃ♡」
「有り難う」
「えへっ」
 邦彦が笑う、子供のように無邪気に━━‥‥。
「何かあればご一報を」
「お?」
「宏君?」
「若に。へへ」
「お前が動くんだからな」
「え〜っっ。自分、山田さんだけでお腹一杯」
 キリリッと決めてみた。すると、俊と聖にガン見されて、慌ててオチを口にする。でも、許してくれない若に無茶言われて、ゲップしてみた。
「圭介、お前に何か言うの?」
「いいえ」
「じゃ何」
「利用価値、期限付きだなぁと思って」
「そうだなぁ〜。いんじゃね」
「若が良いんなら良いですよ」
「良い」
「そ〜ですか〜だ」
「お前、どっちに焼いてんの?」
「焼く? はぁ? どっちって何ですか」
「俺? 圭介? 俺の場合は圭介に、圭介の場合は俺にLOVEだけど♡」
「ななななな何つ〜恐ろしい事を!! 止めて! 私には若い妻が!!」
「クにゃん、宏が浮気してるぞ」
「するもんですか! プンスカ! 家は新婚です! なぁ〜クニ。って、何食ってんのお前」
「にゃ♡」
 中々話に噛んで来ないと思ったら、邦彦はマサシに残り物を貰ってもくもく食べていた。
「にゃじゃないだろう。済みません、先生。お口に合いませんでしたか? こら、メッ」
「にゃあ」
「ああ。邦彦君を責めないで。口に合いましたとも。唯、お腹一杯で、でも、美味しかったから残すのも忍びなくて、それで邦彦君に手伝って貰っていただけです」
「そうでしたか」
「邦彦君は毎日こんな美味しいご飯を食べてるんだね〜。ゆっくりお上がり」
「にゃ♡」
「毎日じゃないですけどね」
「ああ。そうなんですね」
「お仕事入ったら、クニを1人残して出張です」
「ああ。出張。心配ですね」
「心配はクニがしてます。何分にも連絡の付かないお仕事ですから」
 マサシが小首を傾げた。イントネーションの付け方が━━‥‥? その時、俊に腰を抱かれドキッとした。俊を見遣る。俊はいつもと何ら変わったところはなくて、何だろうと悩んだ。パクパク美味しそうに頬張っていた邦彦が、急に美味しくなさそうにポソポソ食べてる。
「邦彦君? 無理して食べなくて良いんだからね?」
 コクッと頷くが、食べる手は止めなかった。けれど、フォークが皿に落ち、宏に抱き付いた。
「ヒロちゃんヒロちゃんっっ」
「ああ、クニ。泣かなくて良いから」
「ぇぐぇぐっっ俺っ待ってれば良いんだよねっ」
「ああ。必ず迎えに行くよ」
 いつ訪れるとも判らない永遠なる別れ。恋人は待っていろと言う、迎えに行くから。それを支えに生きるには、邦彦はピュア過ぎるのだろう。その邦彦の頭を、聖がクシャリと撫でた。邦彦の、水浸しの目が向けられる。
「ヒロちゃんは嘘吐きかい?」
「ううん」
「大丈夫だよ」
「聖さんは平気なの?」
「大人だから我慢してる」
「ふ〜〜〜っっ。俺っ子供ぉ〜‥‥」
 邦彦の頬に、新しい涙が一条。
「本当は、泣きたくなる程心細いよ」と言って、邦彦と額をくっ付けた。宏が、邦彦を慌てて抱き寄せる。今思い出したが、昔の聖の、ドストライクじゃないか、邦彦。あくまでも見た目だけど。
「何だい? 私はもう、人の物だが」
「ちゅうしようとしたでしょ」
「バレたか」
「聖さん!?」
「くすくす。こ〜んな焼き餅焼きのヒロちゃんが、黙って殺される訳ないよ、クにゃん」
「うにゃ?」
「ヒロちゃん出張行ったらちゅうしよう、クにゃん」
「にゃ♡」
 邦彦の顔に笑顔が戻った。邦彦の目尻に溜まっていた涙を、聖の整った指先が受け止めた。
「ダメ〜っっ!!」
「ケチだなぁ。減るもんじゃなし」
「にゃ♡」
「クニ、その気になってるんじゃないっっ」
「心が狭いよ、宏君」
「若〜っっ何とか言ってっっ」
「匠に言え」
「匠に言付けますからね!!」
「良いょう〜」
「えっっ」
「唯の強がりだから気にするな」
「若はどっちの味方!」
「マサシ」
 バシッと言ったら、戯れていた魔物が、固まっているマサシに気付いた。あ〜れ〜? 何でぇ?
「何処迄話したんスか」
「話しては〜いないかな」
「何もなくてブランカには連れて来ませんよね」
「見られた」
「何を?」
「サラマンダに押し入って来た強盗を射殺するところ」
「あらま」
「若らしくもない。気付かなかったんですか?」
「うん」
「おや?」
「おやおや?」
「おやおやおや?」とバカやってる魔物は放っておいて、邦彦がマサシに声を掛けた。
「怖くないにゃ♡ 信じれば♡」
「信じれば?」
「うん。俺はヒロちゃんを信じてるにゃ♡ 先生はトシさんを信じたら良いにゃ♡」
 スーッと、腑に落ちた。そうか。今迄と同じで良いのか。なら出来る。しか出来ない。
 マサシの顔に、自然な笑みが浮かんだ。この瞬間、マサシが身の内の魔を解き放って、まだ戯れてた魔物3匹が、小さく鼻を鳴らした。
「連れて来て良かったんじゃねぇか」
「クニのお手柄ですよー」
「だな。小遣い出さねぇとな」
「喜べクニ! 小遣い出るって。スーツ1着」
「否々。翔に言ってちゃんと出す」
「おお〜」
 何言ってるのか、さっぱり判らない。だから、魔物だけど一応? の、かなり人間に近い2人がキョトキョトしている。
「小遣いと言えばマサシだよなぁ。なあ」
「えっ!? 何?!」
「お駄賃の話」
「お駄賃?」
「ああ。まどかに飲ませてる避妊薬、先生あってこその話だし」
「否々。俺じゃないよ。分家の」
「分家の手柄じゃねぇよ。お前がなかったら成立してねぇんだから」
「ふむ。そう考えるのか」
「ん?」
「ううん」
「お前も自覚しろ。こっち側の人間なんだって」
「はーい。でも、人命を救うよ」
「構わねぇよ。俺らも、必要な人命は救ってる」
「そうなんだ!!」
「あっああ」
 突然のマサシの大声に、俊を始めとし3人がびっくり。またぞろパク付き始めていた邦彦が、喉に詰まらせ咳き込む。慌てて宏が、邦彦に水を飲ませた。
「ねぇねぇトシさん。訊いて良い?」
「何だ」
「俺はトシさんが人の命に向けて銃を撃つトコを見たけど、本業ってのがそれ? 殺し屋なの? 宏さんも殺し屋なの? 聖さんは? 邦彦君は? こっち側ってどっち側?」
 矢継ぎ早に質問が来た。俊が頬を、コリコリと掻いている。
「俺も宏も聖も殺し屋だが、本業は紅龍と言う名のシンジケートの構成員だ。クニは違う。唯、殺し屋と結婚したからこっち側。こっちは魔界だ」
「魔界??」
「ああ。俺は魔王だ」
「なる…ほど」
「食べた〜♡」
「有り難う、邦彦君」
「クにゃんで良いにゃ♡ 皆んなそう呼ぶにゃ」
「判った、クにゃん」
「にゃは♡」
 殺し屋とかシンジケートとか魔界とか、一朝一夕に理解出来るものじゃない。でも、こんな質の悪い冗談を言う人じゃないから、本当なのだろう。邦彦の笑顔に救われる。
 結局、ブランカには2時間程居た。
 聖の運転するロールスロイスで、俊のマンションに向かう。着いたのは、22時が大きく回ってからだった。
「おやすみなさいませ、若、先生」
「おやすみ〜タカ兄。犯られ過ぎ注意だぜ。良い週末を」
「若っっ!!」
「くすくす。仲良いんですね。おやすみなさい」
「先生」
「はい」
「どしどし入って来て下さい。先生もご注意下さいませ」
「トシさんに言って下さい」
 偽らざる本音。自分では、注意の仕様がない。ほらほら、玄関を入るなり腰を抱かれて、唇を食い破られた。たっぷり10分の、俊のマジキス。でも、今夜はイカせてくれなかった。寸前、寸前で手加減するから、バキバキでお預け状態で辛い。
「シャワー入るぞ」
「う〜〜〜っっ!」
「怒ってる怒ってる」
 服を歩きながら脱ぐのは、美樹が来る、居ると判っている時だけだ。だから、とっても真面目に脱いでいて、泊まるの前提のマサシも普通に脱いでる。普段の日は、呼び出しがあろうとなかろうと、下着の替えは必要。
 バスルームでは気持ち良い悪戯され放題で、でも、寸止めされて切なくなって来た。そうしたら啜り泣いていて、それを待ってでもいたのか、やっとイカせてくれた。その後は、ほぼいつもの夜となった。もう、出すモンないけど━━‥‥。
「トシさんっもっとだよっもっと」
「おいおい」
「トシさんが足りないよっトシさんっ」
 時間差攻撃!? と腹の中でベロベロッと大きく舌を出した俊が、諦めたようにマサシを犯り殺したった。殺し屋だけに━━‥‥。ぐふふ♡
 翌日。俊は4時間睡眠で起き出し、トレーニングルームで60分汗を流したが、マサシは昼が過ぎてから半覚醒になって、その時、寝返りを打ってくぐもった低い声を上げ起きた。
「いだい〜っっ」
「昨夜は凄かったね、マサシ」
「ひぃ〜んっっ」
 ベッドサイド迄、コーヒーカップ片手にやって来た俊に、合わせる顔がない。昨夜、自分がくれくれ催促したのは覚えている。可能なら、忘れていたかったけど━━‥‥。ん? 嫌だ! 俊との限られた時間を忘れるなんて、絶対嫌だ!
 百面相していたマサシが、涙目で、弱々しく両腕を伸べて来た。コーヒーカップをサイドテーブルに置き、その腕を取って抱き締めてやる。マサシの白い身体のあちこちには、紅い花びらが散らされていた。
「この週末はゆっくり過ごせ」
「何?! いだいっっまだ何かあるのっっ!?」
「昨夜以上の秘密の暴露はない」
「以下のが待ってるんだね」
「中々鋭い。でも、余裕だと思うよ」
「何基準っっ」
「魔王基準♡」
 当てになるんだかならないんだか、と小さく呟いたマサシの頬にちゅう。マサシがくすぐったそうに目を細めた。
 そんなマサシを腰湯に連れて行き、いつものようにソファーに四つん這いにさせて双丘の奥を見遣った。出すモンないのに求めるから、いつになく腫れが酷い。でも、犯れないレベルではない。
 尤も、美樹だとOUTだ。けれど、これは妃と情人の差だから、俊の中では正当化されている。
 後で又犯るけど、何かの慰めになるだろうと傷薬を塗ってやった。そして、ホットミルクを出してやる。唯、サービスカウンターでではなく、ローテーブルの方に持って来てやった。TVニュースを見る関係でそうなったのだが、マサシはさっぱり気付かずに見逃して、あれあれ? となったのは俊の方だった。
「おい」
「なぁに?」
「訊いてたか? 今の」
「今の? 何か大事な事だった?」
「否。大事な事ではない。寧ろゴミだから、訊いたら即デリートで良い」
「デリート前提の事なんて知らなくて良いよ」
「否々イヤイヤ。そうはイカンだろう、お前は。おばさんも関係してる」
「えっ?! おばさん、紅龍に狙われるようなヘマやったの!? やりそうだから、庇い切れないな」
「おいおいっっ。簡単に諦めて良いのか」
「じゃあ尋ねるけど、助けてくれるの? おばさん」
「無理」
「ほらほら。無駄な事は嫌い」
「そうでしたね」
「なぁにっっ」
「否。お前はそれで良いんだけど、拘った者として、最後は見てやれ」
「おばさんの最後に立ち合うの?」
「否。おばさんは切っ掛けに過ぎん。も1度流すから、見落とすな」
「うん‥‥?」
 でも、矢っ張り、綺麗に見落とした。
「マサシっっ」
「何っっ! トシさんが教えてくれれば良いじゃないかっっ!」
「ん〜と‥‥朝倉議員の事だ」
「誰、それ」
「おいっっ」
「え〜っっ。議員と名の付く人、週に何人診ると思ってんだよ。そんなの一々覚えてないよ」
「お前の見合い相手だ」
「が? 警備員が効いたのか、さっぱり来なくなったよ、あのガキ」
「お口が悪いですわよ、マサシさん」
「うるちゃぁ〜いっっ! 俺は偉かったんだい」
「と言う冗談はさて置き、俺が個人的に処分した」
「処分? 議員辞職でもさせた?」
「この世から消した、朝倉議員本人と妻と、お前の見合い相手だった娘の3人を」
「ふっふぅ〜ん。個人でも動くんだ」
「お前に危害を加えられたら堪らんからな」
「えっ」
「朝倉はそう言う男だった」
「そう。トシさんの判断に従うよ。これは、デリートして良いんだよね」
「ああ」
 ワタワタしたのも束の間、直ぐにいつものマサシに戻っていた。
「お前、ドライだね」
「そうかな? 医者だからじゃない? 人間の生き死にに日常的に携わっているから、耐性出来たんだろ?」
「俺の持ち物だから、そう在って貰わなくちゃなんねぇけどな」
「あらそう。じゃ、ある意味合格」
「筆記試験が合格ってトコかな」
「実地試験が残ってるんだね?」
「ああ」
「判った。覚悟決めとく」
 そう言って、マサシが俊を誘った。
 覚悟なら出来ている。俊は失くせないのだから。失くせば、屍のような人生しか残っていない。これからお気に入りの女の子と結婚して、好いた男の子を育てて行こうと言う時に、縁起でもない。
 出すモンないけど気持ち良くなって、俊に1発イッて貰った。上体起こしてタバコ吸ってる俊に、思い切ったように話し掛ける。
「トシさん」
「ん〜?」
「嘘言っても良いからね」
「何だぁ?」
「黙秘権も、使って良いよ」
「はぁ」
「コイビトは何人?」
「お前入れて13人」
「内何人が実地に進んで合格した?」
「お前と同ケースなのは1人。合格した」
「そう。シードされてた人も居るんだ」
「ああ。それは2人。だから、合格者は3人だ」
「ふぅ〜ん。中々の高確率。チャレンジしてみようかなぁ。結婚もするし、早い方が良い」
「最悪、死ぬぞ」
「トシさんに棄てられた時点でダイだから」
 こう言う堅気なところが気に入ってるんだよな、俺。
「判った。じゃ、今晩辺り」
「えっ!? 今日の今日でやれるモンなの?」
「ああ。俺がやると言えば事足りる」
「ふぅ〜ん。そう。じゃ宜しく♡」と言う訳で、マサシは俊の魔王としての顔を間近にする事になる。だが、大して驚かなかった。と言うのも、たまにだけど、俊から物凄い血の臭いがしていたせいだ。そう言う日の俊はいつになくしつこくて、マサシは痛む腰を庇い、違和感たっぷりなアナルで普通そうに歩いて仕事してた。何か、全てが符号する。そう言う事だったか━━‥‥。
 昨夜、美味しい夕食を作ってくれた宏と、他にもう3人。直ぐ傍に、俊が愉快そうに新しい刀の試し斬りをして、鯉のエサになった惨殺体が複数あるのに、呑気に名刺交換をしてしまった。が、それが、マサシの限界だった。膝が笑う。ダメだ。今、この場でして欲しい。口で呼吸し、胸一杯に血の臭いを吸い込む。そして、俊を呼んだ。
「トシさんっっ」
「ん〜?」
「抱いてっっ」
「おう! お前ら出てけ」
「はいはい」
「ごゆっくりどうぞ」
「あ〜アホらしい」
「皆んな呼べば良かったのに」
 ブツブツ言いながら4枚のエース共は処刑場を後にして、LOVE×2な魔物の交尾が行われるのだ。後片付け要員の黒服共は、貧乏くじ。
 1時間程で落ち着いてくれて、でも、マサシは昨夜からネジが飛んでたから満足に歩けなくて、半ば抱えるようにして1階に昇って来た。
「ピアノの音‥‥?」
「ああ。ちゃんと紹介する」
「うん」
 邦彦が居た。聖も居た。こんな犯ったばかりだと判る格好で会うのも恥ずかしいが、昨夜からの知り合いだけど知らぬ仲じゃなし、取り敢えず、会釈しといた。俊の言うように慣れている為か、特に顔色も変えずに返してくれた。
 他には、ピアノを弾いている大学生風の青年と、その直ぐ脇に居る、まだ幼さを残した少年がいた。誰が誰のコイビトなのか訊いたが、あの身長差は厳しいんじゃないか? と心配になった。
「ミキは?」との俊の呼び掛けに、
「見た通りです」と、即行かえすと、
「黙ってろ! 匠!」と俊に怒鳴られた。
「連絡はないです」
 慌てず騒がず取り乱さずに聖が答えると、俊が不満そうになった。
「誰?」
「ああ。全ての面において特別な、俺の第一秘書君♡」と言い終わったら、美樹が来た。
「はぁっっ。長かった。もう、終わっちゃいましたか?」
「おせぇよっっ!」
「僕の責任じゃないですけど、済みません。事故に巻き込まれちゃって」
「人身事故?」
「はい」
「何人死んだの? ココは3人だったよ。ぷぷ」
「さぁ。炎上してました」
「玉突きじゃないの? ココは玉突き。ぷぷっ」
「正面衝突事故のようでした」
「ぐちゃぐちゃ?」
「ダンプと乗用車だったので、乗用車はヤバイですね」
 匠と宏に捕まり、一々答えていたが、俊が切れた。
「お前ら! 好い加減にしろ! うらぁ〜! 名刺出しやがれっ!」
「あっはい。えと、初めまして。泉原美樹です。宜しくお願いします、Dr.」
「初めまして。マサシです」
 ココでも名刺交換。すると、ピアノを弾いていた青年が突進して来た。思わず仰反る。
「俺も! 良いでしょ、翔さん♡」
「お好きに」
「わ〜い♡」と、洸が喜んだ。折角作って貰った名刺だけど、使う時がなくて悲しかった。それを使う、ビックチャンス到来!
「初めまして。前田洸です。宜しくお願いします」
「初めまして。マサシです」
「わーい♡ 名刺交換第一号で〜す♡」
「おや。先生、初物GETですょ」
「くすくす。そうだね」
 マサシの顔に柔らかい笑みが浮かぶ。でも、1人であぶれていた涼一が、ブーブー言い始めた。
「ボク、交換出来ない〜っっ」
「お前は良いの」
「パンチパンチっっ!」
「はいはい」
 智の、一見するとそうは感じられない、実は逞しい背中を、涼一がボカスカ殴り付けてはブー垂れている。可愛いなぁ〜なんて思って、ほのぼのしちゃった。
「はい。名刺。貰っておくれ」
「わぁ〜♡ 有り難う御座います♡」
 ほのぼの少年にも名刺を渡し、マサシは1人でポツネンと座っていた。何か、入って行けない。ここで出るか人見知り。邦彦の声が上滑りする。聖の気遣いすら遠い。でも、そんな状態のマサシを、1人で放っておく俊ではない。いつの間にか隣りに来ていて、そっと腰を抱いていた。これで気分が落ち着くんだから俺ってば━━‥‥。
 この晩も厨房は宏で、美味しいご飯を食べた。良く良く考えれば、今日初めてのまともな食事。唯、マサシには量が少し多い。同じ物食べてるから、昨夜のように邦彦に手伝って貰う訳にも行かないし‥‥どうしよう‥‥?
 はふぅっと溜め息吐いたら、目敏く俊が気付いてくれて、手伝ってくれた。
「トシさん、有り難う♡」
「否」
「よし君は誰のコイビトなの?」
「俺様の妃。魔王妃だ」
「そうか。お妃様には敵わないな。俺は何番目?」
「側室1号」
「おや。先に実地試験合格した人居るんじゃ」
「お前が側室1号だ」
「は・い」
「トシ兄、そんな凄まなくてもっっ」
「喧し」
「はーい。横暴なんだから。Dr.、一緒に泣きましょ」
「いいえ。棄てられたら事なので」
「恐怖政治を敷いてるよな」
「んだんだ」
「腕力に物言わせてるよな」
「んだんだ」
「デカマラ政治を敷いてて、精力に物言わせてるんだ!」
「自分で言うかなっっキーっっ」
「俺だって長保ちするもんっっキー」
 匠と宏である。
 ご飯食べて、昨夜と同じく、聖の運転するロールスロイス‥‥じゃなくてR34で、俊のマンションに戻った。唯、助手席にもう1人、匠が収まっている。
「何でお前迄、同乗してんだ」
「良いじゃないっスか。同じ所に帰るんだし♡」
「お前を泊める気はねぇけど」
「誰が若の所って言いました。たかちゃんが俺の所に来てるのぉ〜っっ」
「そ〜かよっ。けっ」
 会話はそれっ切りで、俊の部屋。
「あんま驚いてねぇな」
「うん。たまに血の臭いがしてたからかな」
「あらそう。鼻が良いのね、先生」
「匂いには敏感かも」
「ふぅ〜ん。ま、良いや。問題はリズだ」
「あの娘には無理」
「矢っ張りそう思うか」
「うん。ミサに行くような、敬虔なクリスチャンだし」
「あらまー。改宗させねぇと」
「だね。魔王を拝めって。くすす」
「崇め奉るのは紅い神龍だが。ふむ。まともに笑っていやがる」
「魔王の持ち物ですから、これでも」
「もう黙ってろ」
「えっ!? ちょっとぉ〜明日、プロポーズするんだってばぁっっ!」
「タネ、仕込まねぇとなぁ〜。いつが良い」
「結婚してからで良いよ」
「そうか。う〜ん♡」
 鼻の先でくすぐられ、この晩もバカスカ犯られた。そして、コーヒーの飲めない朝を迎える。
 朝と言ってもマサシが目覚めたのは昼過ぎで、腰湯に連れて行って貰ってから、ブツブツと、訊こえるくらいの大きさで文句を並べ立てているマサシにホットミルクを出してやり、ほっぺにちゅう。
「もうっ! 狡いなぁ〜、トシさん」
「何とでも抜かしやがれ」
 朝食兼用の昼食を原宿のレストランで摂り、15時くらいにサラマンダに行った。ここで、俊が人を射殺するのを目撃し、イッたのがそもそもの始まりだ。側室1号だって━━‥‥。
 俊のもマサシのも仕上がっていて、マサシは俊に、左の小指にリングをはめて貰った。
「ん。矢っ張り、この指に似合う。俺、天才♡」
「有り難う♡ これで、ずっとトシさんと一緒だね♡」
 マサシがそれは嬉しそうに微笑んだ。この笑顔がたったの1000万なら、安いと思う。
「そうだな。それよか、見てみ」
「うん。でも、宝石の善し悪しなんて判らないから」と言い訳した上で、リングケースを開けてみた。で、いきなり固まる。おいおいおいおい。マジですか? この豪華さで5000万ですか!?
「すごっ。響さんこそ天才」
「何だとぉ〜っっ!」
「他意はないってばっっ」
「そだ。凶にも改めて紹介しとく。俺様の側室1号だから」
「ようこそ。2丁目のない地獄の1丁目へ」
「えっ!? 響さん、こっち側の人?!」
「腕の良い銃の巧みだぞ」
「それで銃があったの?」
「違う。商売柄、敵が多いんだ」
「へっへぇ〜。あなたの知らない世界だぁ〜」
「先生も気を付けてね」
「えっ? 俺?」
「先生に何かあったら、トシ君切れちゃうよ」
「心配すんな。お前は俺が守る」
「うん」
 俊の頼もしい言葉に、マサシが頬を染めた。
「とても同い年には見えないね。先生、可愛い」
「えっ‥‥同い年って‥‥?」
「先生とトシ君、同い年の同級生だよ」
「又々ぁ〜。響さん、冗談キツい〜」
「ど〜ゆ〜意味だっっ」
「えっ!? 嘘ウソ!! マジなの?」
「フン!」
「え〜〜〜っっ!! 絶対年上だと思ってた」
「花屋に行くぞ!!」
「拗ねちゃった。トシさん待って〜。響さん有り難う」
「上手く行く事を祈ってるよ」
 凶に見送られ、花屋を経由して、銀座のリズの店にやって来た。これから、一世一代の大見栄を切りに行く。俊とは店の前で別れ、健闘を祈ると尻を叩かれた。犯られ過ぎで痛いっつうの! でも、もう居ない。唯、そのズキズキのせいで、必要以上に緊張せずに済んだ。そこ迄、考えてた?!
「あら、マー君、いらっしゃい」
 リズが今日この時間に店に居る事は、予めリサーチ済み。リズも、マサシが紅い薔薇の花束を抱えていた事から、察してしたろう。
「律子さん、僕と結婚して下さい」
 抱えていた両腕一杯の薔薇の花束を差し出し、続いてサラマンダのリングケースを開けた。リズは、リングにはチラリとしか視線を向けなかったが、その大きな瞳に美しい涙を浮かべ、はっきり判るようにコクッと頷いた。
「喜んで、正史さん」
 言葉と共に差し出されて来た左手も薬指に、指輪をする。リズは泣き笑い。でも、綺麗だと思った。
「有り難う♡ 豪華ね、このリング。値段を訊く程の野暮じゃないけど、奮発したわね」
「そんな事ないよ。永遠の伴侶をGETする為なら」
 これはあくまでも当人同士の結婚の約束だったが、この後改めて、結納を交わした。晴れて婚約者だ。仕事を調整しながら挙式へのカウントダウン。周りが急に騒がしくなったが、マイペースな当人達だった。

《終わり》


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