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コロ休みアダルト文庫『仕事人』

作:平 和 (たいら なごみ)

「ふむ。結構、美味しかった。今度たかちゃんを誘おう♡」
 金曜日の夜の街。聖は先約があるからと先に帰ってしまい、どうしようと悩んでブラブラしていた。早く帰っても誰かが待っている訳でもなく、否、もしそうなら聖と付き合ってないよと1人ノリツッコミなどもやりながら、ブ〜ラブラ。帰ってDVDでも観るかなぁ〜。そんな事をボヤヤ〜ンと考え、レンタルショップに向かおうと身体の向きを変えたら、何と、聖の姿を発見した。これは矢っ張り(魔)神のお導きなのだ。2人は結ばれるべくして結ばれたに違いないと、乙女モードMAXの匠が、声を張ろうとしたら、喉の奥で凍り付いた。
「お待たせ、パパ。パンフレット、最後の一部だったよぉ〜」
「気に入ったのか、今の映画」
「と言うか、パパとのデート記念」
「何だそれ」
「うふふ♡」
 咄嗟に物陰に隠れてしまった匠は、仲睦まじく腕を組んで歩き始めた2人を、声もなく見送った。
 パパって何だ? 娘? 否々イヤイヤ。それはない。断じてない。だって普通の娘でしたもの。魔物の子は魔物です。そのように教育されるし、指導も受ける。けれど、見た感じ、至って普通の女の子でしたよ。フツーの、一山百円くらいで叩き売りされてるような。じゃあ、囲ってんの? 俺と言うものがありながら! まぁ、若のように情人を複数人持っている例もあるけど、聖もその口だったらしいが、自分との関係が出来てから全てと手を切ったと言っていたのに、内緒で1人残しておいた?
 妄想が妄想を呼び、もう、頭がパンパンだ。聖を信じろ! と言う天使(?)の囁きと、聖はお前に嘘を言ったんだよ、と言う同種の囁きで、頭の中がグルグルして来た。こりゃ素面じゃやってられませんと、宅呑みを始めた。は良いが、匠は酒に弱いのだ(魔王調べ)。表社員と呑みに出るくらいの酒量なら平気なのだが、裏関係者と裏にタッチしている店で呑み始めると、ボトルを1本程空にした頃から絡んで来る。説教魔と絡み酒と泣き上戸と言う忙しい奴なのだが、それからが長くて、気が付いたら朝で店に1人なんて、良くある事だった。俊くらいだろう、部屋もベッドの中迄連れて行ってくれるのは。
「にゃろっ、聖の奴めっ、女、しかも、あんな何処にでも居そうな女なんか囲いやがって…ヒック…にゃあ〜ったかちゃ〜ん」
 黙々と呑んで、1本が空いた頃から頭の中にはお花が咲いて、もう半分呑んだら電話していた、俊の家電に。でも、出てくれない。
「ムッ! 俺様がこんなにも傷付いて悩んでいるのに、お楽しみの最中ってか?! ヒック。邪魔しちゃる!」
 プチッと切れてスマホに掛けると、当たり前だが俊の声がして、それが嬉しいやら安心するやらで、一言も発せずに泣き出してしまった。
“匠だな?”
「ヒック、エック、わ〜かぁ〜あ〜ん」
“それじゃ判んねぇから”
「ヒック、エッグ、うぐうぐ」
“切るぞ”
「待っで〜わがぁ〜っっ」
“あ〜もぉ! 何だ! 今、犯ってんだから、手短に済ませ!”
 矢っ張り、犯っていやがったか! こんなに俺様は打ちひしがれてるってのに、不謹慎だぞ! 少しは自粛しやがれ!
 方向違いの嫉妬も沸いたが、まずは聖の事だ。匠はえぐえぐ言いながらも今夜見た事を伝え、どうしようと泣き付いたら怒鳴られた。
“そのくれぇ、テメエで確認しやがれ!”
 ブチッと切られ、スマホを眺めながらパタパタと涙を溢す。素直に尋ねられるもんなら、こんなに悩んでないってばぁ〜!
 手近な所にあったクッションをボカスカと殴り付け、暫くの間、恨めしげにスマホを睨み付けていたが、結局のところ、聖に電話していた。
“じゃ明日。おやすみぃ〜♡”
「おやすみ」
 明日のデートを取り付けて電話を切った。何の為の電話だったのだ! あの女の事を問い質す電話じゃなかったのか! だと言うのに、デートの約束だとぉ!? けしから〜ん! 成敗してくれるわぁ〜! ハハ〜上様〜‥‥って、又しても1人ノリツッコミしてしまったが、気持ちが落ち着かない。気も晴れないし滅入る。
 そして、一睡も出来ないままに夜は明けて、早くも約束の時間。
 匠は、あ〜ぁ、なんて、凡そ彼のキャラにはないような溜め息を吐いて、部屋を出た。
 マンションの玄関前には聖が乗り付けたスカイラインR34が停まっていて、運転席に居た聖が匠に気付き、サッと降りてくれた。その顔に浮かぶ優しげな笑みが、今日は嘲笑っているように見える。
 兎も角、出発。
 さすが、乗り物のエキスパート。得意にしているのは陸上の乗り物だったが、乗り物全般に明るい。航空機もお手の物。若に運転技術を叩き込んだのが聖だ。
 そんな聖も、渋滞だけはどうしようもない。しかし、きっとライン取りが良いのだろう。目的地迄の裏道抜け道を良く知っていて、それは匠も事前に調べるけど、普通走行時のスピードが違い過ぎて、目的地迄、匠(に限らず)よりずっと早く着けてしまう。
 高速に乗って暫くすると、聖がゴソゴソとCDを掛けた。
「あっ! DJの新譜だ」
「うん。昨日、出先で見付けて、たっくん好きだったなって思って買った♡」
「昨日」
「うん♡」
「そう」
「?」
 何か今、匠の機嫌が悪くなったような?
 チラッと横を見る。こうして見る限りでは普段と変わらないんだけど、いつもより口数は少ないかも。でも、気になる程じゃないし。
「━━‥‥。たかちゃん」
「何?」
「こっこの車は何馬力にチューンしてあるの?」
「700馬力」
「うわっ。それを発揮したシーンは?」
「ないよ。こいつはゼロヨン車だもの」
「ゼロヨンって‥‥今もやってるの?」
「40歳で卒業した」
 何の話を振っているんだろうと思ったけど、矢っ張り訊けないよぉ。しかし、40歳迄、大井埠頭に出没していたとわ。
「たったかちゃん」
「はい」
「せっ戦績は?」
「圧勝無敗」
「だろうね〜」
「何か言った?」
「ううん。絡まれたりしないの?」
「するよ」
「どうすんのっっ」
 今度こそと思って声を掛けたが、又、車の話。
「大人しく抜かせて上げて、姿が見えなくなった辺りから踏んで抜き去る」
「いつもやってんの?」
「ううん。たまにだよ」
「そう」
「今もだけど」
「えっ!」
 矢っ張り訊けないよぉ〜と、静かに落ち込んでいたら、物騒な事を言われた。思わず後方を見遣る。けれど、車線を変えたので、右側に視線を向けた。スーッと加速して行った白い車が1台。
「今の?」
「うん。ケツ突々いて来たから、ちょっと相手して上げて、抜かせてやった」
「で、どうなんの?」
「当然、抜き返す!」
「え? えっ…え〜っっ!!」
 聖の左手が、ククッとシフトレバーを入れ直した。そして、一旦出た追い越し車線に戻った。グゥンと、スピードが増したのが体感出来た。少しだけど、身体がシートに押し付けられ、同時にキンコン鳴り始めた。
「あっ、さっき抜いて行ったの」
「うん。向こうも気付いたみたいだね」
「抜かないの?」
「直線では抜かない。直線なら、こいつの方が早いからね」
「どうすんの?」
「コーナーで抜く」
「??」
 良く判らん美学だ。
「喋ったら舌噛むよ」
「あ、はい」
 マジに抜きに掛かるらしい。白い車はコーナーの入り口に居る。
 更に加速したのが判った。続いて横G。抜いてった白い車が右側に見える。条件の良いin側なのに、外から被せて来た聖のR34にあっさり抜かれ、も少し加速して、バックミラーにも映らなくなってから聖の通常走行に戻った。
「もう良いよ」
「ああ。うん。もう、来ない? さっきの」
「来ないでしょ。ゼロヨン車に直線で抜かれたのなら兎も角、コーナーで抜かれたんだから。尤も、ゼロヨン車だって気付いてなかったかも」
「ふぅ〜ん」
 矢っ張り、良く判らん。
 聖の運転で(ここは矢っ張り、本職に任せた方が良いだろう)ドライヴして、聖オススメの海鮮料理屋さんで海の幸を楽しみ、夜は匠オススメのフレンチレストランでディナーを摂った。
 そして、匠のマンション。
 匠のマンションも、24時間コンセルジュの居るデザイナーズ億ション。間取りは大型の2LDK。
 ここに来るのは何度目だろうか。ドキドキしながらマンションの駐車場に車を停めて、揃って匠の部屋に行った。
「お邪魔します」
「誰に言ってんの」
「部屋とか家具に」
「━━‥‥。たかちゃん!」
「うわった! ぅっんっっ」
 ガバッと抱き締められて、容赦なく唇を食い破られた。で、裸になってベッドに入ったのだが、どうしても匠の様子がおかしい。否。昨夜の電話から様子がおかしかった。何かあったのかな?
「たかちゃん」
「はい」
「俺に隠してる事ない?」
「ないよ?」
 この一言で匠がブチッと切れて、滅茶苦茶に聖を抱いて、相当な無理もさせた。悲鳴が訊こえた気がしたが、無視してしまった。シーツに、いくつもの血の跡が残っている。
 うつ伏せて、顔をあっちに向けている聖を気遣う事もなく、上体を起こしてタバコを1本。音のない静まり返った室内。そこに、匠が作った煙の輪っかが2つ3つ。
「たまにはこう言うのも良いね♡」
「あ?」
 顔をこっちに向け、聖が笑った。
「何か、たっくんワイルドだった♡」
「あっああ、そう」
 別に演出でそうした訳じゃないんだけどな…。
「昨日、たかちゃんを見掛けた」
 突き放すような言い方をしてしまった。でも、俺のショックも考えてくれ。泣きそう。でも、簡単に返された。
「ふむ。声、掛けてくれたら良かったのに」
「おっ女とデートしてる時に声なんて掛けられるかよっ!」
「女って言っても娘だし」
「むっ娘ぇ〜?!」
「うん。あれが娘」
「えっ!?」
「え?」
 たっぷり10秒は見詰め合った。
「たっくん! 灰!」
「あっああ」
 言われてタバコを揉み消し、頭を整理する。する。する‥‥。する〜‥‥。出来ないよぉっ!
「娘って、たかちゃんの?」
「そうだよ? 今年25歳」
「え〜っとぉ…」
「どうしたの? 俺に娘が居る事は、皆んな知っている事じゃないか」
「皆んなって、誰々の事」
「幹部連中と、武闘派のメンツ…って何だよぉ」
「え〜っっ!!」
「何!」
「俺、知らないよっ」
「えっ」
 又しても、たっぷりと10 秒は見詰め合った。
「え〜。たっくん、知らない年代かぁ。だよねぇ。娘と5つしか違わないんだもん。じゃあ、びっくりしたね」
「うん」
「良からぬ事も考えたね?」
「うっん」
「酷い、たっくん。俺がそんな浮ついた気持ちでマリッジリングを受け取ったと思ってるんだ」
「そんな事ないよっっ!!」
「あのね」
「うん」
 アサシンとして自分を育てる親に、ずっと反発していたそうだ。随分と強引でスパルタだったらしい。それで、某有名国立大学の工学部に入学直後に出来た彼女の家に、着の身着のままで転がり込み同棲。彼女は15歳年上の女社長で34歳。家出同前でやって来た聖を受け入れ、即行で止められた学費も出してくれた。そして、妊娠・出産。親子3人で幸せに暮らせたのは、僅か1年。事もあろうか、聖の父親が直線乗り込んで来て、子供を奪おうとした。
「で、どうしたのっっ」
「俺が帰る代わりに、娘を母親と普通に暮らさせて貰うように交渉した」
「交渉成立したんだね」
「うん」
「そのご両親はもう居ないんだね」
「生きてるよ、しぶとく」
「えっ」
「え?」
「たかちゃんと呼ぶ人はこの世に居ない」
「ああ。そう呼んでたのは祖母だよ」
「なる程」
「たっくんは、ご両親亡くなったの?」
「うん。俺、天涯孤独」
「ごめん」
「ううん。仇は打ったし」
「殺されたの?」
「うん」
 匠が大学生の頃、実家が爆破されたらしい。匠は、異変を察知した父親の手に依って匿われて無事だったけど、元を正せば匠のミスで、自分のミスで肉親を殺された匠は怒り狂い、情けを掛けて生かしておいたファミリーの生き残りを根こそぎの根絶やしにしたそうだ。以来、情け容赦なく殺しまくっている。大学4年の、就職も決まった卒業間近のある日の事だった。これが元で、十人衆入り決定。良いんだか悪いんだか━━‥‥。
「それで、昨日はお嬢さんとデートしていたんだね」
「うん。たっくんの事を話したよ♡」
「えっっ言ったの?! 俺の事」
「話したよ。娘は、俺がゲイに目覚めたのも知ってるし」
「反抗されなかった?」
「特には。もう辞めたのかなぁ。娘は同人作家で、え〜と、やおいとかゆ〜のを書いていたらしく、根掘り葉掘り取材された」
「取材って何」
「さぁ」
「どうじんサッカーって何」
「さぁ」
「球蹴っとばしてたの?」
「それは知らないけど、作家だよ」
「作家か。何の?」
「同人」
「何、それ」
「知らない」
「世間って奥深い。作った物、見せて貰ってないの?」
「うん。見せてくれない。絶対ヤダって。今はもう、封印してるんだって」
「封印って何…悪魔でも封印したのか…」
「さぁ。でもそうしたら、俺らは居られないよ」
「そりゃそうだ」
 ここで、クスッと笑い合った。そして、匠が聖にそっと口付けた。
「変な焼き餅焼いてごめんね」
「ううん。知らなかったなら仕方ないよ」
「お嬢さんの名前は?」
「美咲。尾崎美咲(オザキミサキ)25歳。独身! 恋人の有無は知らないけど、居てもおかしくないだろう」
「名字、違うんだ」
「母方の姓を名告ってる」
「ふぅ〜ん。お仕事はOLさん?」
「否。漫画家」
「スゲっ! 作品、見てみたい」
「ああ。たっくんもクリエイター」
「ペンネームは?」
「さぁ」
「パパ、知らなさ過ぎ」
「パパ言うなぁ〜っっ!」
「あははっ」
 この〜っと、聖が匠にボディアタック。
「今度、美咲に会って欲しい」
「喜んで。その時迄にペンネーム調べて、著書を入手しておこう」
「何で?」
「サインを貰う」
 聖が奇妙な表情を作り、匠をガン見している。
「何だよぅっっ」
「サインなんか貰ってどうすんの。俺の娘だよ?」
「でも、漫画家先生じゃん」
「売れてないって」
「判んないよ〜?」
「25にもなって、父親にたかるような娘だよ?」
「それとこれは別でしょう」
「そうかなぁ」
「そうそう。検索してみよう!」
「あっ、たっくんっ」
 言うが早いか、匠がベッドから抜け出た。それを聖が追い、PCの前に座っている匠の背後からそっと覗き込む。
「おっ、1件ヒット」
「うわ〜っっ」
「やった事ないの?」
「1度ある」
「じゃ、ペンネーム知ってるんじゃん」
「その先を見てない」
「何で?」
「何か、嫌な予感がして」
「ま、い〜や。それ」
 匠がクリックしたと同時に、聖は目を閉じた。
「ふ…む。こりゃ、パパには見せられんな」
「え〜っっ! 何ぃ〜っっ教えて〜っっ」
「教えるも何も自分も」見ていなかった。そう言って振り返った匠は、聖が瞼を落としてした事に初めて気付いた。
「聖灯(ヒジリアカリ)。近著は課長と呼ばないで」
「何ソレ。内容が想像出来ん」
「1年生サラリーマンと課長のラヴストーリー。呼ばないでシリーズがあるんだって」
「何でそれがパパに見せられないの」
「BLだから」
「何、ビーエルって」
「ボーイズラヴの略」
「ボーイズラヴって何」
「たかちゃん、漫画って読む?」
「読まない。読んだ事ない」
「あそ」
 今以て目閉じている聖が、可愛いと思う。
「男同士の恋愛を描いた、美咲ちゃんの場合は漫画」
「ぇ‥‥えっ‥‥え〜っっ?!」
「驚くなとは言わないけど、ネタ元パパかもよ」
「何だよ、それ」
「パパの話が漫画になっているかもって事」
「そんなの困るよっ!」
「って、今ここで喚いても始まらんわな。胸に手を当てて、過去の発言を思い出してごらん?」
「情人の話は殆どしてないよ。訊きたがったけど、適当に誤魔化したし」
「その誤魔化しが、漫画になっているかも」
「止めてよっ」
「売れっ子だよ?」
「それは嬉しい」
「読んでみよ」
「止めて〜っっ」
「何で」
「何ででも」
「理由になってませ〜ん。ま、いーや」
 その日、聖は匠の部屋に1泊したが、バイバイと見送ってくれた匠の野望(?)に気付く筈もなかった。
 明けて月曜日。
 毎朝の儀式が行われていたが、この日は、匠が紙袋を持っていた。
 一連の儀式も大分簡略化されて来たけど、それが終え、匠が徐ろに紙袋の中身を取り出した。聖のデスクにドカドカ積んで行く。
「本だ〜。見ても良いですか?」
「どうぞ」
 ニッと笑って美樹にOKを出すと、早速手を伸ばして来た。そんなの知らねと、積んで行く。
 ブックカバーがされてあるので、頁をくらないと内容は判らない。で、パラパラと頁をくった美樹が、声を漏らした。
「聖灯だ」
「えっ! たっくん!」
「聖さんのお嬢さんですよね。それなくても、好きな作家さんです」
「何で知ってるの、よし君」
 聖は表情を変えたが、匠は知らんプリ、美樹は嬉々としている。
「何でって。皆んな…ではないかもだけど、有名な事実。若も知ってますよ」
「そうなの?」
「そうですよ? だから買ったんでしょう?」
 聖に目をやり、そのまま匠を見遣った。
「俺は一昨日迄知らなかったけどぉっと、2の4の6…フム♡ 現在刊行済みで入手可能だった既刊本16冊。そしてこれが、最新刊」
 ホイッと美樹に手渡した17冊目。
「うわ〜。呼ばないでシリーズの最新刊だぁ。借りても良いですか? 本屋行く度探すんだけどなくて」
「どうぞどうぞ」
「よし君、漫画本買うの?!」
「買いますよ? 聖さん、買わないの?」
「読んだ事ない」
「えっ」
「たっくん! よし君!」
「何」
「はい」
「う〜〜〜っっ」
「愛娘を理解する為にも読みなさい」
「主人公が、何処となく聖さんに似てるんですよねぇ〜♡」
「えっ?」
「攻受が逆だけど」
「まぁ、そう言う場合もあったけど」
「じゃあねぇ〜」
「たっくん! あーもぉっっ! どうしろと言うんだ、この漫画の山をっっ」
 匠は掛け時計を見るなりさっさと行ってしまい、残ったのは、山と積まれるBL漫画本と、困り顔の聖、それとは対照的な、嬉しそうな美樹だった。
 そんな奇妙な空気の漂う前室に、俊の声が響く。
「おはよ〜」
「おはよう御座います」
「おはよう御座います」
 美樹は機嫌良く挨拶したけれど、聖は不機嫌で、俊が目をぱちくり。しかし、そこでは何も言わず、美樹に一つ口付けて、部長室に消えた。
 暫くすると、美樹が朝一の仕事をしに訪ねて来た。本日のスケジュールを訊かされ、はいはいと良い返事をして、聖の事を尋ねる。
「ああ。匠さんが聖灯の既刊本を持って来て、それに戸惑っているんだと思います」
「なして戸惑うの? 実の娘の作品だろ」
「その辺は良く判りません」
「変な奴」
「唯、聖さんは漫画を読んだ事がないそうです」
「あらら。じゃ、娘の漫画も読んだ事ねぇの?」
「じゃないんですか?」
「あらそう。ま、良いや。仕事に支障はないだろう。塩梅良くやってくれ」
「はい。失礼致します」
 美樹が部長室から出て前室に戻ると、山と積まれていた漫画本は片付けられていて、いつも通りの聖が居た。でも、夢ではない。美樹のデスクの上には、聖灯の最新刊が置いてある。
 触れてはならない禁忌だったのかしら?
 そう言えば、娘さんの話をするところって見た事ないかも。周知の事実だから隠してる訳じゃないと思うけど、普通の生活をしている一般人だから、こちら側にタッチさせたくないんだろうなぁ。自分に肉親は居ないけど、肉親の情は何となく判る。可能な限り、接点は最小にしたいと思うだろう。どう言った加減で火の粉が飛んで来るのか判らない。そんな、危うい世界に住んでいる。
 美樹は、漫画本をしまうと、仕事に取り掛かった。
「よし君」
「はい?」
 不意の聖の声。顔を上げると、ペーパーナイフで封書をテキパキと解体していて、手元から視線を上げる様子はなかった。
「漫画の読み方、教えてくれる?」
「勿論!」
「有り難う。お館に帰ってからね」
「はい」
 その日の晩から、聖は美樹に漫画の読み方をレクチャーされながら、娘の作品を少しずつ読んでみた。当然、美樹が俊のマンションに泊まった時や自分が匠の部屋に泊まった時は叶わなかったけど、何となく判って来たから、先生(?)は必要としなかった。
 そして、17冊読了。
 何と言うか、パパに見せられなかった理由は判った。初めて読んだので、面白いも面白くないも判らなかったけど、匠は面白いと言っていた。美樹も、最新刊を待っていたと言った。他に誰々が知っているのか気にはなったけど、敢えて探らなかった。
 それから1ヶ月。
 月に1度の愛娘とのデートの日。匠も同伴した。そして、ちゃんと紹介した。
「初めまして〜♡ 尾崎美咲です♡」
 一山百円とか言っちゃったけど、中々の美人だった。匠は人見知りではないので、話題を次々と提供している。夕食をゆっくりと摂りながら、色んな話をした。匠は話題が豊富だ。そして、和んで来たところで最新刊を出した。
 美咲が驚いている。よもや自分の本が出て来るとは思わなかった。この人は、私がBL作家だと知っているの? 内容も知ってるの?
「たっくん! 否っ」
「何々? たっくんって呼んでるの? パパ」
「煩い。それ仕舞ってっ」
「や〜だよ。サイン下さい、先生♡」
「読んだんですか?」
「うん。入手可能だった既刊本は読んだよ。面白かった。パパも読んでるよ」
「きゃっ。恥ずかしいっ。内緒にしてたのにっ」
「何で?」
「ママにはエロ本呼ばわりされてます」
「あらま。ストーリーしっかりしてるから、読み易かったよ」
「有り難う御座います」
「サイン♡」
「喜んで♡ たっくんへ、で良いですか?」
「うん♡」
 匠から本を受け取り、いつも持ち歩いているペンケースを出し、サインペンでサラサラとサインした。そのついでに、似顔絵も━━‥‥。
「わーい。俺がたかちゃんにちゅうしてる♡」
「え〜?」
「ほら」と言って見せてくれた似顔絵。何となくそれらしく見える。さすがプロ、と言う事か。
「パパはたかちゃんなんですね」
「うん」
「美咲、その手帳は何だっっ」
「取材」
「み・さ・きっっ」
「はーい。良いじゃない、少しくらい。生の声って貴重なのにぃ」
「俺は別に構わないけど」
「須貝君っっ」
「おーコワ。これ名刺。近くに来たら寄って。お茶くらいご馳走するよ」
「有り難う御座います。これ、私の名刺です」
「有り難う。パパ抜きで内緒話しようね♡」
 思わぬ名刺交換。美咲が匠の名刺をマジマジと見ている。
「エリートでらっしゃる。デザインってどんなデザインを?」
「俺は空間デザインとかグラフィックとかかな。たまに、家の図面も引く」
「ああ。一級建築士。父とは何処で?」
「同僚ィタッ!」
 聖が匠の膝を叩いた。しかし、遅かった。もう、発言した後だ。
「何すんのぉ〜っ」
 叩かれた膝を摩りつつ、匠が怨みがましい視線で聖を見遣る。
「パパ、山下コーポレーションで働いてるの? 俺は唯の技術屋だ、とか言ってたのに」
「何となく成り行きでな」
「成り行きで就職出来ないわよ。一流企業よ?」
「企業はな」
「そうそう。トップふざけてるし」
「あはは」と笑ってしまったが、イカンイカンと表情を引き締め、父の威厳を保つ。そこが何処であれ、トップ批判はやっちゃイカンだろう。
「パパの事は良いから、お前は彼氏、居らんのか。1度も紹介してくれんが」
 年頃の娘を持つ父の心配。でも〜・・・、
「仕事が恋人ぉ〜。当分、男は要らない」
 随分と投げやりな台詞が口を突いて出て来た。
「何かあったのか。困り事ならママじゃなく、パパに言いなさい」
「揉めそうならそうするぅ」
「何だ。揉めそうなのか」
「ん〜‥‥まだ判んない」
「まぁまぁ。美咲ちゃんの漫画の主人公のモデルってさ」
「パパですよ」
「矢っ張り! それをね、同僚と話してたんだよね。教えてやろうっと」
「ちょっ何処迄広がってるんだよっ」
「今のトコ、ファイブカードと美樹」
「それ以上は止めてくれ。三郎はヤダ」
「アレは最初から飛ばすつもりだった」
「わはは」と、思わず笑い合ってしまった。
「ファイブカードってポーカーですよね?」
「うん。そう呼ばれる必殺仕事人集団があるの」
「へぇ。面白そう♡ パパも入ってるの?」
「否。パパは違う」
「何だぁ〜」
 その後は他愛無い世間話をして終わり、美咲を、彼女が1人で住んでいる世田谷のマンションに送って行く途中での話。
「あの、須貝さん」
「何?」
「パパって、運転上手ですか?」
「えっ?!」
 美咲をマジっと見詰めてしまった。
「上手なんてもんじゃないよっっ神レベル」
「え〜〜〜っっ!! そうなのぉ〜っっ?! これが普通だと思ってた」
 何でガン見されたのか判らなかったが、判るなり雄叫びを上げていた。
「パパの運転が普通で育った美咲ちゃんは仕方ないけど、決して普通じゃないから。神です神」
「皆んな、パパより下手?」
「下手でクソ。パパと比べちゃいけないな。比べられた人が可哀想。だって、神だよ神」
「そうなのかぁ〜悪い事言っちゃったかなぁ〜」
「何かあったの?」
 助手席強奪戦ってのも見苦しいので、匠も美咲も後部座席に並んで座っていた。で、パパは、耳で会話だけを拾っている。
「否…あのっっ」
 実は〜と、美咲が話してくれたのは、先週別れたと言う恋人の事だった。パパには月に1回しか会えなかったけどパパが大好きで、パパの運転でドライヴするのが何より好きだったそうだ。それで自然と車が好きになり、車の免許を取ったついでに国内A級ライセンスも取ったらしい。大学生の頃はワンメイクレースなんかにも参加していたとか。表彰台を逃した事はなかったらしい。カエルの子はカエル、と言う事だろうか? その関係で、佐久美智(サクミチ)と言うペンネームで、車雑誌にコラムを連載しているらしく、こっちの方が古いとか。中々、本格的だ。
「良くプロの誘いなかったね」
「ありましたよ、一杯。でも、ママが心配するから、プロは無理かなぁ〜って」
 彼女の話はまだ続く。
 彼氏の条件はたった一つ。運転が上手で、長距離ドライヴした時美咲が酔わない事。これさえクリアしてくれたら、多少不細工(これは、見慣れるだろうとの事)だろうと、プー太郎(これは、ママが社長だからとの事)だろうと、ヲタク(これは、一緒に同人誌を出せるから、寧ろ歓迎らしい)だろうと、性格が悪くさえなければOK…なのだが、これにクリアした男も、ついでに女も居なかったそうだ。絶対に車酔いするんだそうな。
 あははっと笑いを顔に張り付かせた匠は、そりゃ世界規模で探さなきゃ居ないよ、と言いたかったのを我慢した。
 で、先週振った彼と言うのは現役のプロドライバーで、箱根迄の道程で酔ったらしい。
「で、どうしたの?」
「途中下車して、下手クソって、だから表彰台にも手が届かないのよって、怒鳴って、タクシーで帰りました」
「タクシーは大丈夫なんだ」
「ハナッからこんなモンって思って乗りますし、酔い止めも忘れません」
「あっああ、そう。何のレースやってたの彼」
「ラリー」
「あちゃあ」
「えっ! あちゃあ事ですか?! パパ悪路もスイスイ走るけど、矢っ張りラリーとかやってた!?」
「一通りやったよ、若い頃」
「ふっふ〜ん。矢っ張りそうなんだ」
 何か、妙な納得をしている。ま、本人もレーサーとして走っていたのなら、実父の唯ならぬ運転技術の高さは感じ取れたろう。
「ナビに座ってても盗めないのよね、パパのテクって」
「フン。パパ上様を尊敬しろ」
「はは〜〜っっ」
「はは〜〜っっ」
「何やってんだ、2人して」
「尊敬の表われよ」
「バカたれ」
「しかし、そうかぁ〜。パパは神だったか。1番長く保ったしなぁ〜。う〜ん。謝った方が良いのかなぁ〜」
「好きなのか」
「嫌いじゃないわよ、付き合ってたくらいなんだから」
「そ〜じゃなくて」
「なぁに?」
 聖の言葉の濁し方でピンと来た匠が、ニヤリと笑う。ここは一つ、助け舟をだすか━━‥‥。
「パパはこう訊きたいのだ。SEXしたかって」
「たったっくん!」
「そうだろう?」
「ゔっっ」
「寝たわ」
「みっ美咲っ」
「身体の相性は良かったんだけどなぁ〜」
「意外にも頭の硬かったパパは放っておいて、身体の相性は大切だよ。車の運転より大切かも」
「そうか。ん? 電話が来た。どうしよう」
「頑張れ!」
「オスッ! もしもし?」
 上手く行きますようにと心の中で願いながら、電話が終わる迄、大人しくしてた。でも、対応が硬い。揉めてるようだ。
「そんなの勝手に決めないでよ! ちょっと!」
 がなり立てている。そして切れたらしい。
「復縁出来そう?」
「無理。果たし状だった」
「え〜!? 何だって?」
「私の言う運転の上手い人を連れて、次の日曜日の午前11時に、鈴鹿サーキット迄来いって」
「おろろん。どうしますの、パパ」
「どうするって」
「どう言うレース?」
「さぁ。訊いてみよう。━━‥‥あれっ? 電源落としてる! ムカ吐くっっ〜。パパ、行ってくれるぅ〜?」
「それは構わんが、仕事次第だな」
「あ、そか。って、パパどんな仕事に就いてるのよ。山下コーポレーションなのは判ったけど。ママも心配してるんだからね」
「部長秘書だ」
「うおっ。いつの間に。今度は秘書課にしようかな♡」
「美咲!」
「冗談です。じゃ、私が自分で走ろう!」
 オーッ! と右腕を突き上げている娘を、ルームミラーで眺める。心細いのか、今にも泣きそうだ。
「11時迄待ちなさい」
「来てくれるの? パパ♡」
「11時過ぎてもパパが行かなかったら、仕事だと諦めてくれ」
「はい」
 シュンっと目を伏せた美咲の頭を撫でたのは、匠だった。
「たかちゃんが無理の場合は、俺が行こう!」
「良いです」
「えっ? OKって事?」
「要らないです」
「そんなはっきり」
 匠がカクッと転けた。
「パパ程とは言わないけど、元彼より上手いと思うぜ、俺の方が」
「でもぉ〜」
「信用してないな」
「はい」
「うおっ! 何吹いてんだよ、たかちゃん!」
「否。失敬。楽しい漫才だったもんでつい」
「失礼なっ! プンプン!」
「ダートは苦手にしてなかった?」
「苦手なのではない。得意じゃないだけ。場所はサーキットだろ? 砂利は敷かないだろう」
「ふむ。美咲」
「はい」
「パパが行けなかったら、代わりにたっくんが行く。でも、たっくんも忙しい人だから、絶対とは言えない。兎も角、11時迄待ちなさい」
「判った」
「ん」
 何となく、話が纏まった。
「しかし、果たし状。果たし電話? よっぽど悔しかったんだねぇ」
「と言うか、女に言われたからだと思います」
「ん? どゆ事?」
「女は黙って付いて来いって、今時流行らないタイプの人だったから」
「ふぅ〜ん。ガキだなぁ〜」
「ガキですよ。そこも好きだったけど」
「ご馳走様」
「嫌々」
「歳下なの?」
「はい。2つ。てんでガキで」
「でも、そこも好きだった」
「まあ。でも、こうなったからにはケチョンケチョンにしてやって!」
「おお。頼もしい」
「出来なくもないが、潰れるぞ?」
「その程度で潰れるのなら、ポディウムのトップになんて立つ資格はないわ」
「判った」
 パパの静かな言葉を訊いて、美咲が話題を変えた。いつ迄も昔の男(この時点で、よりが戻る事はなくなった)の話なんてしていたくない。まぁ、パパの話ばかりするからファザコンだと思われていたけど、アレが一々威張り散らすのがいけない。私としては長く保った方ね、半年だけど。
 美咲は、実は恋多き女の子だった。
 パパには言えないけど━━‥‥。エヘッ…。
「須貝さんのお仕事現場、取材したいなぁ」
「えっ! お仕事?!」
 匠がギクッとして、声をひっくり返した。嫌々イヤイヤ。いくら恋人の娘でも、お仕事現場には連れて行けませんョ。死活問題、否、即行死刑です。1人で百面相しながら焦っている匠に、聖が呆れたように声を掛けた。
「会社だよ、バカ」
「あっああ。会社かっっ」
「ん? 人に言えない裏の顔があるとか?」
「そうそう。昼間は一流企業のチーフデザイナー。その実、超A級の殺し屋」
「ぶふっ」
「あれ。そんな吹き出さなくても」
「それ、好い加減使い古されたネタですょ」
「否。マジだって。こう、否、こうかな? 銃を構えてバーンってやるのさ」
「くすすっ。パパの恋人さんって楽しい方ね」
「美咲ちゃんっっ」
「くくくくくっ」
「たかちゃんは笑い過ぎ」
「悪い悪い。でもなぁ〜、美咲とデートしてるトコ見て、俺が女囲ってるって早合点しちゃう程だからなぁ〜。くくくっ」
「わ〜! シーッ! シーッ!」
「そうなんですか?」
「否っっあははぁ〜っっ」
 ここは笑って誤魔化すしかあるまい。なので、匠はバカ笑いをしている。
「虚しくない? たっくん」
「ぅ〜っっ。たかちゃん、キツイ」
「済みません」
「えっ?!」
「ん?」
「パパは表情は乏しいのに、思った事は余り考えずに口にしちゃうんです。親しくなれば親しい程顕著で。こんなパパですけど、宜しくお願いします。人間は良いです」
 唐突に美咲が謝るから何のこっちゃ判らなかったが、判るなり聖は照れて、匠はそれは優しい笑みを浮かべた。
「はい。お願いされます。それにね、たかちゃんの表情が乏しいと感じた事はないよ」
「そうですか?」
「うん」
「着いたぞー」
「あっ、はーい」
 いつの間にやら、車は止まっていた。匠も一緒に降りて、助手席に座り直す。運転席のパワーウィンドウが降りて、美咲が顔を覗かせて来た。
「じゃ、次の日曜日、よろPく」
「行けたらな。直で行くぞ」
「うん。じゃ須貝さん、いずれオフィスにお邪魔します」
「OK。デスク周り片付けとかないと」
「ふふ。じゃあね、パパ。又〜」
 そう言って、美咲がタワー億ションに姿を消し、それを見送り助手席をみる。すると、視界から匠の顔がはみ出して、唇が熱くなった。
 触れるだけのKiss。
「美咲ちゃん、良い子だね」
「勿論。俺の娘だ」
 聖の左手がククッとシフトレバーを動かし、車がスタートした。向かうは匠のマンション。
「俺の代わりに行くのは良いんだけど、ライセンス持ってるの?」
「何の? 殺しのライセンスは超一流」
「その様子だと持ってないなぁ。偽造するくらいなら行った方が早いや」
「何のライセンスだょぉ〜」
「鈴鹿サーキットのライセンス」
「何それ」
「鈴鹿サーキットを走る為には要るんだよ」
「え〜、何それぇ。訊いた事なぁ〜い。鈴鹿サーキットだけ特別扱いって何ぃ〜」
「何処のサーキットでも、そこのサーキットライセンスが要るの」
「おや」
「たっくんは、モータースポーツ、そんなに好きじゃないね?」
「う〜〜〜ん。ごめん」
「良いよ、別に。次の日曜日か。お仕事入りませんように」
「お仕事は大丈夫だろ? あの3ヶ月余りで、大方片付けた筈だぜ? 残ったのはしょぼいトコばっか」
「秘書の仕事!」
「声が怒ってる」
「怒るわい。土日祝祭日に仕事が入る事、珍しくないんだよ、田口部長の秘書は特に」
「ごみん」
 横目で匠をキッと睨め付け、直ぐに前方へ注意を払う。
 さて。どうするかなぁ〜。本当にケチョンケチョンにして、立ち直れないようにしてやろうかな。そんな事を考えていたら、匠の住まいするマンションに近付いていた。
「泊まって行くよね」
「うん」
 匠の申し出に頷いたけど、まだ照れ臭い。いつの日にか、平気に受け流せるようになるのだろうか。それは、ちょっとヤダな。
 車をいつもの所に停めて、エンジンを切った。明日、給油してやらないと━━‥‥。
「お腹空いてない?」
「え?」
「俺ん家で夜食ってどうよ」
「良いよ。何食べたい?」
「嫌々。俺が作るぅ〜♡」
「えっ?! たっくん、料理作れるの」
「失礼な! 独り暮らし9年目の男の料理を馳走しようじゃないか!」と威勢は良かったのだが、聖に良いところを見せようとして、作った事は愚か食べた事もないイタリア料理にチャレンジし、見事に失敗。鍋には穴を開ける、フライパンは焦がす、ついでに包丁で指も切った。
 対面式のダイニングキッチン。
 ダイニングの方で待たされていた聖は、気が気じゃなかった。キッチンから悲鳴がする度にキッチンに運んだけど、大丈夫だからと笑う。焦げ臭いし、床にも血痕が付いているのに━━‥‥。
 けど、大丈夫だと言って頑張っているのに水を差すのも気が引ける。だから、黙って待った、本人が諦めて出て来る迄━━‥‥。
「ごめん、たかちゃん。失敗しちゃった」
 テヘッと笑ってキッチンから出て来た匠を、聖が両腕できつく抱き締めた。
「料理なんて作れなくて良い。それより、手当てをしよう?」
 匠の左腕を引いて食卓の椅子に座らせる。そして、匠の部屋にもある救急箱を取って来て、切った指の手当てを始めた。どれも大した事なくて、絆創膏で大丈夫そうだった。
「今の俺、メッチャかっこ悪い」
「その分可愛いから良いのだ」
「何それ。可愛いのはたかちゃんの専売特許じゃんっ」
「いつから。そっちの方が何それ」
「俺のたかちゃんは可愛いの!」
「はいはい」
「ブーブー。ちゅうして♡」
「はい。ちゅう♡」
 言われるままに、唇にちゅう。
「残り物で何か作るよ」
「無理」
「どうして」
「鍋もフライパンも使えない」
「━━‥‥。ありゃ。じゃ、食べに出ましょう。車はあるんだし」
「ごめんね。次わっ!」
「次は、俺の手料理を食べて下さい」
「たかちゃん、料理なんて出来るの?」
「失礼な。ダテじゃない本宅住み込み。一通りやらされるから、出来るよ」
「ふぅ〜ん。じゃ楽しみにしてよ」
「好き嫌いは?」
「ないです」
「宜しい…と、行こうか」
 夜食を摂りに近くのファミレスに行き、犯る事は犯って眠った。
 そして、問題の日曜日。
 前日入りしてコースを走り込んでいた元彼。サービス体制もしっかりしていて、痴話喧嘩と言う感じでもない。
 そんな事とは知らない美咲は、朝一で自分のマシンでやって来て、コースを歩いてタイヤ跡やゴミのチェックをした。
 指定時刻は午前11時。刻一刻と時間がなくなって行く。
『ああ。パパ。ダメだったんだね』
 祈るように指を組んでいた美咲が、パッと顔を上げた。これはもう、自分で行くしかない。コースの下見はした。大丈夫。いつも通り平常心で。
「車をグリッドに出してくれよ」
「ええ」
 言葉短く答えて、クルッと踵を返したら、パパが居た。
「パパー!」
「おっと。待たせたな。下道で来たから」
「多重玉突き事故で大渋滞だよ、高速」
「須貝さん♡ とと‥‥一杯‥‥」
 駆け寄り抱き付いて顔を上げると、まずは匠の顔が見えて微笑んだのだが、何か、一杯ギャラリーが居る。誰だろう、この人達━━‥‥?
「こんにちは、美咲君」
「はぁ」
「こちら、上司の田口部長。この方の秘書をやっているんだよ」
「こんにちは。父がいつもお世話になっています。尾崎美咲です」
「ん〜可愛い娘だねぇ」
 言いつつカイグリカイグリ。
「当然でしょ。私の娘なんですから」
「勘当されてたんだっけ、林君」
「何か? 部長!」
「否。別に。若い頃はヤンチャだったんだなぁと思って」
 俊がニヘェ〜と笑う。それを嫌い、聖がそっぽを向いた。
「負けるな俺っ。ヨシッ。同僚の泉原君。彼が第一秘書なんだよ」と、2台の車に分乗して出歯亀しに来た5人を紹介した。俊と美樹以外は名前だけ。俺の娘見たさ、と言うより、聖灯先生にお近付きになりたくて付いて来ただけだから、それだけでも充分だろう。
 しかし、ある業界筋の人間が見たらキンタマ縮み上がる程に怖い顔触れだ。何しろ、ファイブカードの揃い踏みである。
 怖い物知らずの元彼がふかす。
「どいつが俺の相手だ! さっさと着替えて来やがれ!」
「パパ、更衣室は」
「要らない。このままで」
「━━‥‥。えっ! スーツと革靴で?!」
「うん。これが、パパの戦闘服だから」
「パパ、カッコいい。今の台詞、使おう」
「美咲」
「えへっ」
 泣きそうだ。パパが来てくれた。これだけでもう、良いとか思っちゃう。
「車をグリッドに出せ! とっくに11時過ぎてんだぞ!」
「練習走行くらいさせてよ! 今来たばっかなんだし!」
「知るか! 勝つ気がねぇのか舐めてんだろ! 勝つ気あるなら前乗りしてる! たった半月でパトロンなんか作りやがって! この尻軽女め!」
 最後のには美咲もカチンと来たが、ファイブカード+1は、あちゃ〜と手で顔を覆った。
 カツカツと、鈴鹿サーキットに靴音が響く。そして、パーンと、乾いた音が大きくした。
「何しやがるっ!」
 歯を持ってかれ、口からダラダラ血を流しながらも元彼が喚く。
「それは私の台詞だ! 私の娘が尻軽だと?! お前のレーサー生命はないと思え!」
「ゔうっ。お父様でられましたかっ。あのっ」
 美咲が、身体の相性が良かったと言ってたくらいだ。男の方も、実は未練たらたらで、男らしく勝って惚れ直させようと言う魂胆だった。それでこれだけ大袈裟になっているのだが、復縁作戦、いきなり暗礁に乗り上げた。よりにもよってお父様をパトロン扱いはマズイだろう。
 血をダラダラ流しながら縋るような声を掛けたが、聖は振り向いてやる事もなく、いつもの国産車をグリッドに付けた。そして、怒鳴る。
「勝負はヨーイドンでコース10周! 先にチェッカーを受けた者を勝者とし、勝者より60秒以上の差を付けられてゴールした敗者は今の職業を辞する! 良いなっ!」
「そんなっ、パパ」
「黙れ」
「はい」
「返事はっ!」
「はっはい〜」
 今回のレースごっこ。相手に花を持たせようかとも思っていた。少なくとも、職を辞するはなかった。こらこら程度で済ませて上げようと考えていたのに、尻軽女発言。これにムッとなってマジ殴りしたが、こんなモンで気が晴れる訳もない。
 ケチョンケチョンにしてやる━━‥‥。
 聖が、静かに闘志を燃やしていた。
「要は負けなきゃ良いんだよ」
「相手は素人だろ。リラックス、リラックス」
「それより、口の中、大丈夫かよ」
 筋書きが違うので、相手に動揺が見られたが、クルーがタオル持って元彼の口元を押さえ、レーシングスーツの前に垂れた血を拭いていた。
 美咲は、そんなの見ていない。パパの姿を見ていた。いくらパパの運転技術が神レベルだと言われても、サーキットでの戦闘力は判らないじゃないか。レーシングスーツもブーツもないのだ。あったのは、フルフェイスのヘルメットとグローブだけ。
 パパはあいつに負ける気なんだろうか? そんな気は使わなくて良いのに。ぶってくれただけで気が晴れたから、良いレースにして欲しいな。
「パパ。勝ってね」
「そのつもりだ」
 娘の眼許に光っていた涙を、そっと拭ってやる。
「何の涙だ?」
「何でもないよ」
「そんなに好きなのか」
「違うよ。愛想尽きた」
「ふむ」
「血が滲んでる」
 パパの手。拳の皮が剥けていた。
「痛くない?」
「大丈夫だ」
「えっ?!」
「ん?」
「拳がないっ」
「ああ。拳法やってたからな。大分ヤワになったが」
 マジマジと見るのは初めてかも。パパの手は、思ってた以上にゴツかった。
「イメージじゃないなぁ」
「そりゃ悪かった」
 そこに響き渡った、野太くて良く通る低い声。
「聖!」
「はいっ?!」
 思わず緊張。
「3分! 否、4分の差で勝て!」
「えっ。60秒、結構頑張りました」
「訊こえねぇ。1秒でも遅れてみやがれ、本社の便所掃除、お前がやれ!」
「え〜〜っ! ハードル上げないで下さいよぉ、若のイケズ」
「何か言ったか!」
「何も言ってませ〜んっ! んもぉっ、それじゃマジにならなきゃじゃない。弱い者虐めは良くないと思うのよ、私」
「ブシャブシャ能書き垂れるな!」
「はーい」
 このやり取りは向こうにも訊こえていた。元より、内緒話をしていた訳ではないので当然だが、気分悪そうにしている。
「ふざけやがって」
 人を食ったようなサラリーマン軍団。鈴鹿には魔物が住んでいるんだよ。今に痛い目見るぞ。怒りを新たにし、闘志がメラメラ。
 ともあれ、スタートと相成った。
 頭を取ったのは元彼。気分は良いだろうがワザとだ。聖は、その後をピタリと付けてプレッシャーを掛けながら、コースを知っている人からコースを教えて貰った。
『ナビ有り難う』
 2周目の正面ストレートで、聖が膨らみベタ足で抜きに掛かった。この日の為にエンジンを丸毎積み替えて、今は1200馬力。足回りも、馬力に負けないよう弄って来た。タイヤは新しいセミスリを履いた。ボディは一見すると重そうな市販車仕様だが、実際は違う。
 聖のR34が、F1並みの馬力に引っ張られ、第一コーナーに突っ込んで行く。
「キャー! あんなスピードじゃ曲がれない!」
 美咲が悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。その肩を匠が叩いた。
「大丈夫だよ。君のパパは、その筋じゃプロだから♡」
 美咲がコースから視線を外している間にパパは曲がってしまっていて、ほっと胸を撫で下ろす。
 でも、その筋ってどの筋だろう。
 そう疑問に思ったが、匠に尋ねる前にサイン攻めにあってしまった。もう、レースどころの騒ぎじゃない。
「今、書く物ないので」と、断ろうとしたら、著書を差し出していた5人中4人が、懐からボールペンを取り出してくれちゃった。
 そうだった。この人達、サラリーマンだ。書く物は、必須アイテムではないか。
 困った。どうしよう。レースの方が気になる。
 結局、断り切れず、順番に差し出していた著書にサインした。で、どうせ知れ渡っているのだろうからと、似顔絵も添えた。そして、4人目の本にサインして似顔絵描こうとしたら、ストップを掛けられた。
「済みません。似顔絵は、2人にして下さい♡」
「良いですよ。どちらの方と?」
「部長♡ 田口部長? あれ?」
 俊を呼んだ美樹が、思わずキョロキョロ。俊は少し離れた所で戦況を伺っていた。その俊の太い左腕にそっと手を掛けて、軽く引っ張る。
「俺は良いよ」
「どうしてですか? 私と一緒に描かれるのは嫌ですか? ぐすん」
「違〜う! 泣かなくて良いから。ミキ? 一緒に描いて貰おうな」
「すん。良いんですか? 若」
「ああ」
 美樹を抱き寄せ良い子良い子してやりながら、残りの4人にきっつい視線を投げた。
「今笑った奴、減俸な」
「え〜っ!」
「部署違うのにぃ〜っ!」
「俺様、重役待遇だから」
「あぎゃ〜っっ」
「誰だー! あんな凶暴な奴にそんな危険な権限を与えたのわ〜っっ!!」
「オーナーだろう」
「そうですね」
 笑ったのはお調子者の匠と宏。落ち着いているもう2人は、微笑ましいねぇと、眺めていた。
「酷いっっ」
「人間の発言じゃないっっ」
「仕方ない。俺ら人間じゃないし」
「そうですね。魔物ですから」
「ですよね」
「はい」
 ニッと笑い合ってしまった。
 それを無視して、俊と一緒に美咲の前に行く。
「聖先生、お願いします♡」
「描けてます。はい、どうぞ」
 手渡された物を見て、美樹がド赤面。少し前の、俊に抱き寄せられ撫で子撫で子されているシーンだったのだ。固まって赤くなった美樹を見て俊は吹いたが、その俊の左腕をパシッと叩く。
 と、向こうが騒がしくなった。
 振り返れば市販車仕様の聖のR34がチェッカーを受けているところで、ケンカ売って来た元彼は完走も出来なかった。2周遅れにされた時、焦ってブレーキングポイントを間違えてシケインに突っ込んだ。減速していたので怪我はしなかったが、こんなの認めない!
 戻って来て、ワンメイクレースで勝負だと喚いた。こんな遊びで優劣なんて決められるかとも。
 すると、美咲が早足で歩み寄って来て、横っ面を張り飛ばされた。
「なっ何しやがる! 女のくせに!」
「殴ったのよ、負け犬」
「何だと!」
「約束は守って貰うわよ!」
「何の事やら」
 そっぽ向いて空惚ける。
 美咲は、自分の男を見る目のなさに反省しきり。どころか、悲しくなって来た。
「アンタって約束一つ守れないのね。それならそれで良いわよ。私はメディアを使うから」
「ほほう。漫画にするのか? エロ漫画家め!」
「BL作家を敵に回したわね、アンタ。車雑誌にコラム書いてるのよね、私」
「見た事ねぇなぁ、聖灯なんて」
「当たり前じゃない。ペンネーム違うもの」
「フン! やれよ! どうせ売れてねぇ三流誌だろ!」
 サーキットで行われる舌戦。
 それにしても、口の減らない男だ。俊がいつ迄我慢して訊いているかなぁ━━‥‥?
「ごめ〜ん。最大手よ。くすっ。連載6年目」
「勝手にしろ! 謝っても許さんからな!」
「完走も出来なかったクセに何言ってんの。謝るのはアンタでしょ」
「ざけんな!」
「こっちは暴行で訴えるかな」
「やれるモンならやってみろ」
 低い俊の声。
 我慢の効かなかった俊は魔王全開で、恐怖に慄いた元彼は尻もち着いてワタワタと逃げて行き、援護射撃に来たクルーの1人は余りの恐怖に過呼吸を起こしている。どうしたんだろう━━‥‥?
 この情けない姿を見て、美咲が振り返った。ニコニコしている部長さんが、直ぐそこに居た。
 鈴鹿に住むと言う魔物は訪ねて来た魔物に敬意を表し、元彼は、職と女を失うのである。


《終わり》

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