気づき
気づき
人生というか人間がこの世で生きるのは
気づき
これが根本かな
苦しみも悲しみも喜びも笑いも
全ては
気づき
のためなのかな?
気づきとは本来は自分自身がこの世の中で経験・体験を繰り返して得るものですよね。
私が息子に気づきに関しての注意や説明をしたところで息子自身の心にその必要性がなければなんの意味もありません。
霊感や霊力よりも本当に多くの方のサポートをするということは実はこの気づきにいかに誘導するかのテクニックを身につけるかということではないかな。
これはもう神の領域ですよね。
神仏はどのような人にもこの誘導ができるんですね。
人間はそれを試練、苦難と受け止めていますが実は気づくために必要な事なんと違うかな!
人は自分の力だけではなかなか気づきことができない知的生命体なんでしょうね。
さて気づきというのが魂の進化だと考えれば死は新たな旅立ちであって欲しいな。死んでも意識は存在していたいという私の強い願望です。そしてまた気づきのためにこの世に生を受ける。
輪廻転生ですね。
私の場合は一度の人生ではうーん、神仏の力を借りても気づきはほんの少しだけみたいです。💦
気づきの終わりってあるのかな?
その時って宇宙に魂はもどるのかな!
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