トラウマ海外母子二人旅の思い出を聞いてくれ・前編
娘とのふたりきりの台湾旅行
あれはコロナなんてものが、まだこの世に無かった頃。2019年、秋の国慶節に、私と当時、幼稚園年長だった長女ははじめて「海外母子二人旅」に出た。
国慶節というのは、中国の建国記念日にあたる祝日で、毎年新暦の10月1日に設定されている。1949年の同日、天安門広場で当時の最高指導者だった毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言した日に由来する。
比較的新しい祝日なので、特にこの日に何かを食べる、とか、どこそこにお参りをするといった、いわゆる伝統的な風習のようなものがあるわけではない。ただ、この国慶節前後が大型連休になることもあり、多くの人がこの期間を利用して、国内外問わず、旅行に出かける。そのようすさながら民族大移動のごとし。
かくいう私も中国に住んでいた頃、この国慶節を利用して、よく旅行に行った。先述の海外母子二人旅もそう。この時がはじめて、「母子二人で」海外で旅をする経験だったから、同じ中国語圏で、なおかつそれほど遠くないという理由から、行先を台湾に設定した。(あ、このとき私たち、中国の広東省広州市に住んでいました。台湾へはフライトで2時間くらいやったはず。)
その頃の私の中国語は、まぁ流暢とは言わずとも、相手の言っていることも、あまりにも専門的な内容でなければある程度理解できるレベルにまでなっていた。「旅行ぐらいなら、なんとかなるだろう。」そう思えたからこそ、娘を連れていけたのだ。
ところが結局、この旅は、今もなお語り草になるくらい(私と娘の間で)、まぁ、控えめに言って「悲惨な」旅になった。
でも、同時に、少なくとも私史上、もっとも大切な旅のひとつ、になっている。皮肉なものだ。つらい経験、ショックな経験でこそ、人はようやく何かを学べるのかもしれない。前置きがえらい長くなってしまった。今年もまもなく国慶節がやってくるこの時期に、当時を振り返って今も自分の教訓になっていることを、この台湾旅を通して得たことを、書いておこうと思う。
出発2日前。暗雲が立ちはじめる
出発間際の2日前、思えばこの頃から何やらおかしな流れになっていたのだよね。
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母と娘仲良く、駐在期間を通して初めての食あたりに
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なってしまった。自慢ではないが、私と娘はそこそこ胃腸が強め。中国に来て以降、何かを食べてお腹を下すことは皆無だった。にも関わらず。出発前の週末。よく行くローカル店の、それはそれはおいしい(そして安い)ワンタン麺を食べた私たち。
※以下、あまり美しく無い表現があります。
その直後より、私のお腹の具合がおかしくなりはじめた。なんだか熱い、そして、痛い。しばらくすると「洪水」が発生し、トイレにおこもりの状態に。
娘も、この時は特段、変わった様子はなかったのだが…「お母さん、ちょっと気持ち悪い。。」と言い出した。「そっかそっか、きっと食べ過ぎたんだよね。いつもより寝るのも遅くなったし。」そう思いながら、それほど心配もせず、ヒリヒリする自分のお尻を押さえつつ、娘を寝かしつけた。
夜中のこと。娘の泣き声で目が覚める。何事かと見ると…なんとまぁ先ほどのワンタンさまを、おもどしになっているではないか。
そこから朝方近くまで、「吐くのが怖い。」と言ってとうまく眠れず、とはいえやってくる眠気と吐き気とたたかいつつ、何とか朝を迎えた。母と娘、初の二人旅出発2日前に、ワンタンに大当たり!してしまった、というわけだ。
けれども、元来カラダの作りが丈夫な我ら。驚異の1日復活を遂げ、よし、明日は台湾!(月曜出発だった)何とか行けるぞー!そう思いつつ、病み上がりの身体を休ませるべく、早めに布団に入った前夜…
まさかのフライトキャンセル
夫がそろっと寝室にやってきた。なにごと?眠気まなこの私に夫が一言。
「フライトキャンセルになった。」
なんといこと!台風のせいで、出発前夜に私たちの搭乗予定便が欠航となってしまったのだ。
なんと!なんとまぁ欠航ですか?!
私たちも食あたりになるし…これはもう「今回はやめときなはれ」という、思し召しかなぁとあきらめかけたのだが…行けないとなると、行きたくなるのが人間でww ばかだなぁ、よせばいいのにと、今なら思う。けれど、何とか手立てはないかと、夫とふたりあれやこれやと考えた挙句、、見つけたひとつの代替案は、香港経由・高雄行きで向かう!!!というものだった。